私の生活、意見、日本語の練習

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どうやって地球を救ったらいいのか

Posted by チャート・デイビッド on December 15th, 2006

誤解されないように、ちょっと言いたいことがある。私一人は地球を救えるわけはないということだ。それは、いうまでもないだろう。だが、地球の問題に立ち向かわないと大変な状況に陥るのは明らかだ。地球温暖化、イラク戦争、エイズ、アフリカやアジアにいる貧困に弾圧された大勢の人々などなど。一人で解決できないが、何もしなければそれも無責任なのではないかと思わざるを得ない。
尚、自分の気持ちを良くするためになにもしたくない。むしろ、苦しんでいる人を助けたいのだ。もしくは、環境の状況を良くしたいのだ。効果がなければ、お金の無駄遣いに過ぎない。
アフリカに行けないこともいうまでもない。日本に責任があるし、アフリカで役に立つ能力はあまりない。だから、行っても無駄だ。だから、遠い国の人々を助けるために、UNICEFなどに寄付したらいいだろう。そうすれば、緊急の場合に食糧やお水、日常に支援を間接的に与えられるはずだ。が、そんなに簡単ではないようだ。
第一、やり方は良く批判される。効率が低いという批判も聞こえるし、死ぬ程の困難がある人より生き残るはずな人を助けるという批判もある。もっと深い批判として、豊富な国から貧乏な国を助けると、それは帝国主義そのものという批判もある。助けると言っても、寄付する人や募金を集める組織が問題を選んで、その問題を解決しようとするのは当り前だ。大統領が以下に「一番必要な物は、核兵器だ」と言っても、UNICEFが核兵器を買ってあげるわけはない。が、国の政府が「一番必要なのは、水道管だ」といっても、UNICEFのお金はそういう風に使われるわけには行かない場合も多い。だから、豊富な国から来た人々が困難な人を子供のように扱う場合は多いそうだ。勿論、ああいうことを支えたくないのだ。
一方、私は本人の意見と賛成できない場合、私は本人の間違いを支えるべきはないだろう。だから、組織を調べて、目標と同意できる組織を選んだらいいのではないか。そして、組織には信頼感があったら、行動の効率は最低ではないと信じてもいいだろう。UNICEFは、貧乏な国に損害を与えるはずはないだろう。だから、寄付したら、いいだろう。
確かに、そういう可能性は高いが、間違えたら、却って困難を深めるしかない。
これだけではない。環境問題もひどいそうだ。元々の原因は、地球人口は高すぎると言ってもいい。だから、人を救ったら、環境問題を深めるのではないだろうか。詳しく見ても、病気を防ぐために沼を畑にしたら、沼に棲む動物や植物を破滅することが避けられない。農場で豊穣を促したら、農薬のせいで川を汚れる場合も多い。
環境に損害を与えずに助けたほうがいいというのは、いうまでもない。具体的にあれはなんだかという問題は容易ではない。最近、農耕のやり方を変えれば、環境が良くなると主張する人は多いが、推進された方法を検討すれば、結果は曖昧だそうだ。そして、水源力の発電所が温暖化を進めないはずだったが、最新研究によると逆だそうだ。ダムが石炭発電所より温暖化を推進すると言われている。否定する人もいるが、私は判決できない。だが、間違えるわけにはいかない。
何もしないわけには行かないと思ったら、良い方法を見付けようとする。だが、それは本当に難しい。組織には全く問題はないとしても、水道管を村落に伸ばす方法は小学校を設ける方法よりいいか悪いかと決めるのは大変だ。組織のやり方にも疑問があれば、益々深刻な問題になる。
じゃ、何もしないと決めたら、まだ損害を与える可能性は高い。それは、問題の一番鋭い点だ。決めないこと、問題を避けることはできない。生活を送ったら、世界の仕組に影響を与えるしかない。部屋の中に閉じこもっても、同じだ。そして、地球の問題は明らかだ。見ても何もしない人を批判しても良いだろう。良い方法を探すのは義務なのではないか。
が、探すのに時間も能力も必要だ。時間が経ったら、問題が解決できない状況まで達する可能性もある。だから、解決するために早めに何かをしないと行けない。が、間違えたら。。。
これは、人生の一番深い問題だと思う。いつも間違える可能性が付きまとっている。倫理に従っても、世界の状況を間違えたら最悪な行為を犯してしまう恐れがある。倫理も論理も人間が方法の道を歩んだら間違えないと主張するが、それは嘘だと思う。完璧な方法はないので、誤りの可能性を避けることができない。だが、まだ行動しないわけにはいかない。
残念ながら、問題の解決を持っていない。ただ、一応地球の状態を見て、道を選んだ。間違えたことが分かったら、変える。それだけだ。いつも間違えた恐れを覚えて歩んだら、損害をなるべく少なくできるだろう。そう信じている。そう信じないと、生きられない。