記憶

今日小学校時代のJohn Amaechiという友達の自伝を読んだ。かれがバスケットの選手になって、アメリカのNBAのチームに入ったそうだ。イギリス人として、一番高いバスケットのキャリアだそうだが、全て私たちが別れた後の話しなのだから、自伝を読む前に詳しくなかった。興味深かった。今バスケットのことがもう少し分かってきた。ゼロから始めたので、難しくなかった。

本の最初の所で、私が登場した。英語のブログで引用したが、ここで粗筋について書きたいと思う。本当に短かったが、昔の話しだから当然だ。所が二つある。一つは、私の記憶とそっくりだ。事件が書かれたが、それは詳しく覚えないのにそういう事件を一応覚える。だから、当たっていると思う。

もう一つは、付き合いの終りについての話しだ。ここで、私の記憶が大分違う。第一、覚えられない手紙がある。ジョンが私に「友達で信頼したが、うそをついて裏切った」という内容だ。あのころの手紙を覚えるが、やはり内容は違う。そして、覚えられない行為もある。あの手紙の返事として、赤ペンで綴りのミスを訂正してジョンの手紙を返したという。全然見覚えはない。

が、十歳の私を考えたら、してしまった可能性はなくはない。私が覚えるのは、付き合いが終わったが、私がなんとなく後悔して、なんか悪く扱ってしまったのではないかと思った。中直ろうとした記憶もあるが、すごく積極的ではなかった。ジョンは私のことが嫌いになったような気がしたのも覚えると思う。少なくとも、それは正しかったようだ。

今尚謝れたら謝るが、もう遅いし謝る機会はないと思う。 私も悪くしたように感じたので、それは事実だったかもしれない。

ただ、記憶の差異は注目すべきだ。二人ともほぼ同じ年齢で、同じ経験があったが、記憶がすごく違う。私の記憶によれば、ジョンが書いたことは無理だった。危機とされた日の後でも友達同士で続いたと覚えるからだ。細かいことを数年後(もう二十数年後なのだが)、幼いころのことは特に、間違いがよくあるという。心理学者の研究によって。だから、私の記憶が現実とずれて、ジョンの記憶もすれる可能性は低くない。私が覚える友達、恋人など、何人が今も私から受けた傷を抱くかな。誰もいないと考えたかったが、やはりそうではない。私が傷をつけることを覚えなくても、傷を付けた可能性はまだある。