私の生活、意見、日本語の練習

Archive for March, 2007

執筆という仕事

Posted by チャート・デイビッド on March 24th, 2007

今日の主な仕事は秘密なプロジェクトの執筆だった。何となく進んだが、やはり執筆って、変な仕事なのと思った。数十分パソコンの前に座って、何も出来ない。そして、急に洪水が漏れるように言葉が指から流れて画面に顕われる。それから、また何も出来なくなる。洪水の時の効率が続いたら、一週間以内長編小説が書けるはずなのだが、そう続くわけはない。ところが、書けないときが続くことのほうが普通なのように感じる。今日一時間以上待ってから書けるようになったが、また三十分が経ったら書けない状況に戻ってしまった。
勿論しかたがないので、いわゆる休憩を含めて必要な時間を推測しかないのだ。でも、画面を見つめている間に、ちょっとイライラする感じだ。なんで言葉が出てこないのかとの疑問が頭の中に浮かんでくる。

半分進んだ

Posted by チャート・デイビッド on March 23rd, 2007

今日の仕事が半分うまくいった。残念ながら、半分が中断に陥った。だから、これからちょっと進めようとするので、ブログを短くする。面白い言いたいこともないし。ただ、一言。
今週、なぜか生徒さんの大半が授業を休んだ。来週からまた授業を受けるようだが、今週は非常に静かだった。仕事が緩くなるといいと思う人は多いかもしれないが、授業はないと給与もないので、今週家計がちょっと厳しくなった。では、仕方がない。フリーで英語を教えたら、これは避けられない問題だろう。生徒に無理矢理授業を受けさせるわけにはいかないだろう。子供ではないからだ。子供でも、両親の意志で休む場合は少なくないだろう。やはり、仕事の密接な問題だと思う。
暇を使って秘密なプロジェクトを進めるつもりだが、今日前に言った通り半分できた。明日完全に出来るように頑張る。

反罰

Posted by チャート・デイビッド on March 22nd, 2007

最近罰について考えてきた。ちょっと前に倫理学の学論誌を読んだが、一つの掲載された学論が罰を与えてもいいという結論を促進した。なぜこれは問題になるかというと、人間は、環境や遺伝子や物理学的な影響によって操作されるので、行為の責任を本当に持つと言えるかは不明だからだ。これは哲学の意志の自由の問題の一面で、数千年論じている。結論はまだ出ていないが。
さて、私が学論を読んでいる間に、どんどん不安になった。客観的に見ると、この学論が人を苦しめるのはいいということを維持する。長くて詳しく論じた人を苦しめるべきだという結論が何回も歴史に見られる。女性を自由にするべからずとか、ユダヤ人を殺すべきだとか、黒人を奴隷にすべきだなどの否定すべき結論は多い。そう考えたら、「悪い人を苦しめるべきだ」という表現も怪しく見てくる。それは、どういう風に「黒人を苦しめるべきだ」と違うだろう。
簡単に「悪いことをした人が罰を値する」と言える。しかし、これ自体は問題だ。例を上げよう。人が転んだり、思わず窓のガラスを壊しても罰を与えないはずだ。賠償を払ってもらうかもしれないが、罰に至らないと思う。なぜなら、「思わず」だからだ。罰は、意図的に悪いことをする場合に相応しいと思われる。では、もう一つの例。人が瓶の中身を薬と思って、友達に飲ませるが、実は毒だから、友達が死んでしまう。ここも、罰が相応しくないと思われるのではないか。医者に信頼して、薬として液体を飲んで死ぬ人が自殺しないようにいい結果があると思い込んで何かしてしまった人に罰を与えたらひどく見えないだろうか。子供や知的障害者が罪を犯しても、罰を与えるわけはない。叱るかもしれないが、叩いたり刑務所に入れたりするわけはないだろう。
だが、借金に迷わせられた人が連続不眠の後強盗をしたら、罰を与えるはずだ。この場合がどうやって子供や知的障害者の場合と違うだろう。環境の圧力を耐えるべきだと言っても、必ずしもできるとは限らない。転んでしまった人のように無理矢理犯させられたとも言える。確かに今の法律にこういう言い訳は認められなかったが、法律が間違える場合は多い。黒人を奴隷にするのは、法律の通りだったし、子供を刑死にするのも、法律の強調だった。現在の法律完璧だと信じる証拠はないと言ってもよい。
もう一つの例。夫婦がお互いに愛して、持ちつ持たれつしなら生活を送る。とうとう夫が病気になって、毎日毎日痛みで耐えられない状態に陥る。治療と頑張った上、最後に妻に殺して欲しいと言う。とうとう、妻が果たす。それは、犯罪だ。殺人だ。だが、同感を持つ人は多いだろう。罰より、応援のほうが相応しいだろう。決断が間違ったと言っても、妻は悪徳とは言えない。
犯人の背景を調べたら、問題を見付ける場合は多い。絶対見付けるとは言いたくないが、貧困な家族で虐待された人とか、豊富な家族で法律を無視するように教えた人などが多いようだ。背景を無視して罰を与えるべきなのだろうか。
違う立場から考えよう。罰を与えるのは、わざと人に損害を与えることだ。それは悪いことだ。普段に認められた言い訳は、どうしても人に損害を与えるしかないことだ。例えば、強盗を防ぐために人を殴ったり捕まってもいい。それに引き換え、罰は犯罪がもう終わった時に与えた。如何に罰しても、犯罪を削除できない。仕方がないと言えないだろう。私は、人を苦しめるべきだのを信じない。 だから、罰は将来の犯罪を防ぐための措置だとの理由しか残らない。
ただ、効果は意外に弱いようだ。昔は強盗を犯した人に死刑を与えたが、強盗は今より頻繁に発生したそうだ。一つの理由は、捕まえられると思わない人には、罰の恐れは全くないからだそうだ。捕まえられる確立のほうが、罰の厳しさより影響があるようだ。確かに、罰は犯罪の利益より弱いなら捕まえられても利益を得るので止まない。最近この条件が会社が侵す犯罪に限られているようだが。
もう一つの理由は、罰が気にならない人は多いことだ。イギリスで刑務所に入るのは一つの通過儀礼として思う人がいるようだ。宗教の歴史を見たら、宗教のために死んでもいいと思う殉教者は少なくはない。殉教者の時代に、宗教は犯罪だったので、罰は如何に厳しくても犯罪を侵そうとした人だのは否めない。犯罪者の集団に入った人も法律を無視する。周りの人が軽蔑すれば、法律を軽蔑するのは当り前だと思うようになるだろう。会社の常務がそうなったケースもアメリカで最近相継いで出てきたし、日本の談合問題も同じことなのではないだろうか。そうなら、罰には効果はないようだ。だから、罰より効果がある方法はないだろうか。
犯罪の利益を取るのは基本だろう。談合事件などで、賄賂はもちろん、給料も取ったほうがいいだろう。強盗なら、お金を被害者に返すのは当り前なのではないか。少なくとも「捕まえられたら利益はない」と思わせる必要がある。そして、それに「捕まえられる確立は高い」とも思わせることは必要不可欠。重ねたら、会社の犯罪が珍しくなるだろう。だが、人間には情熱があるので、必ずしも合理的に行為の結果を考えるわけはない。実は必ず死刑を受ける場合でも人が犯罪を侵すケースは少なくない。こういう犯罪をどういう風に防げるだろう。
社会の中で大事な役割を持つのを感じる人は、犯罪をあまり侵さないようだ。そして他の人と同感感じる人も侵さないようだ。でも、罰は、この二つの条件と正反対な見方を表す。「あなたは、社会には何も上げられないので刑務所に入れる」と「あなたの気持ちを考えずに苦しめる」という印象を与えなかろうか。良い方法がまだ詳しく分からないが、罰はよくないことがわかると思う。

チェリーパイのDVD

Posted by チャート・デイビッド on March 21st, 2007

今日北川景子さんが主演するチェリーパイの映画のDVDが届いた。映画をちらと見て、映画館で見た作品と同じのように見えるので、よかった。当り前だろう。さて、映画以外どうだろう。
先ず、チェリーパイのレシピが入っている。映画館で見た時食べたくなったので、レシピを使う可能性はなくはない。うまく出来るかどうかは不安なのだが。
そして、メイキングも記載される。30分程度だろう。北川さんとのインタビューは多いので楽しかった。走るシーンを何回もやり直して疲れてきた北川さんとか、チェリーパイの作り方を真剣に見習う北川さんの姿なども見えるし。インタビューを聞いたら、やはり北川さんと共演したくなったら。なぜなら、共演者について本当に優しく親切に言ったからだ。「素晴らしい方ばかり」とか、「共演者のような俳優になりたい」などのこと。撮影中の時にも、ブログで共演者を丁寧に紹介したので、信じる。確かにDVDのおまけで「共演者は皆バ〜カだった」というセリフはまだ見たことはないが、積極的に詳しく共演者を褒めることは、必ずしもあるとは限らない。
ところで、先日北川さんのブログでの記事で、「人に迷惑をかけないようにする正確を持つ」と書かれた。私もそういう性格があるが、特に二十歳前後強く感じた。実は、ブログを読んだら性格の共通点は意外に多いように感じる。誤解にならないように、異なるところも多いと述べたいのだ。というより、異なるところの方が多い。化粧品や洋服に興味を持つことは一番目立つ例だろう。だが、私は絶対俳優になりたくないので、女優になりたい人の性格が私の性格と全く違うはずだと思った。だから、共通点があったら、びっくりする。こういう人も俳優になるか、と思うぐらい。やはり人の好みを予測するのは本当に難しいことだな。

あらゆる仕事

Posted by チャート・デイビッド on March 20th, 2007

今日仕事は様々だった。起きたら、メールを見て、朝ごはんを用意した。ゆり子を見送ってからシャワーを浴びたりして、仕事を始めた。
先ず、編集した。Ars Magicaの本で、もう一冊が出来上がったのでよかった。今年出版するつもりなので、できてよかった。これから、印刷しか残っていないので私の責任が終わった。そして、翻訳した。これにも編集の色は濃いが、翻訳の彩色も強い。それから、メールのやりとり、仕事の管理をした。その後、昼ごはんを食べながらNatureという科学論文雑誌を読んだ。
食べた後で、秘密なプロジェクトと取り組んだ。これは、執筆することだが、まだ詳しく言わない。今日の分ができたら、読書に転じた。今日の読書は、日本語で古事記、英語でConan the BarbarianとArs MagicaのHouses of Hermes: Mystery Cultsという本だった。Ars Magicaの本をもう一度読むことにした。しないと、細かい内容を忘れる恐れがあるからだ。Conanは、ファンタジーと関わる仕事をする私にとって仕事の本だ。哲学の本は休みと言えるが。7時半に生徒さんが来たので、英語を教えた。今ブログを書いている。仕事かどうかは、微妙だ。日本語を磨くことは仕事と密接だが、これ自体は仕事かどうかははっきり言えない。
要するに普通の一日だった。私の場合、仕事と趣味の間の一画ははっきりしていないので、毎日9時まで働くとも言えるし、いつも仕事しないとも言える。悪いことではないが、生活を説明しにくくする現実だ。
因みに今日筋肉痛はない。運動が効いたかな。

「大冒険」と言われたが

Posted by チャート・デイビッド on March 19th, 2007

今日渋谷に歩いて行った。四時間ぐらいかかった。およそ20キロなのではないかと思う。川崎市宮前区から発って、川崎市高津区を経由して、多摩川を渡ったら東京都に入る。あそこまで一時間半がかかったが、ちょっと寄り道した。そして、駒沢通りを歩いて、東京都世田谷区、東京都目黒区、そしていよいよ東京都渋谷区に到着する。渋谷駅に近付いた時にお腹が大変減ったので天丼を食べた。
渋谷でスターバックスで飲んだり、本屋に寄ったりしてから、電車に乗って帰った。往復歩いていくのは、ちょっと辛いと思う。今足はちょっと痛いが、ちょっとだけだ。明日筋肉痛が襲ってくるかな。
楽しかった。二回コンビニに寄って、カゴメの野菜ジュースを買った。紫ジュースは美味しいが、新しい黄ジュースも美味しい。普通に見えない東京の風景を見たので、勉強になった。そして、溝ノ口までわずか30分しかかからなかったので、天気がよければあそこまで歩くことにするかもしれない。バスに乗っても25分がかかるから、あまり変わらない。また渋谷まで歩くつもりはないけれども。楽しかったからまたそういう散歩したいと思うが、別な行先を選ぶ。

買い物に行っちゃった

Posted by チャート・デイビッド on March 18th, 2007

ゆり子と一緒に一日を過ごした。朝にアメリカの父とジョイとビデオチャットしてから、ちょっとお出かけした。ゆり子のちょっと前の同僚(後輩)が妊娠して、退職して、溝ノ口に引っ越してきたので、お家に誘ってくれた。前は後輩だったが、妊娠はもう七ヶ月だから、先輩になりそうだ。だから、家の話しとか、つわりの話しとか、産婦人科の話しなどが盛り上がった。溝ノ口に近く住んでいるが、ゆり子は結構元気だったので、溝ノ口まで歩いた。引っ越してから初めてだと思う。一番最初の時、駅から家まで歩いたが、それ以来いつもバスで行った。確かにちょっと遠いが、無理ではない。休みの日に天気がよければ、また歩くかなと思う。体にいいし。
喋ってから、ちょっと二子玉川に寄った。イギリスの母の日は今日だから、カードを買いたかったが、やはりまだ早い。今年二枚を買うのを忘れないように。そして、ゆり子と一緒に子供用グッズを見に行った。玩具とか洋服などを見たり、話したりした。結構面白い玩具があるようだから、もう少し後で買おうと思う。洋服なら、やはり興奮が湧いてこない。そのことはほとんどゆり子と任せてしまう。そして、韓国料理屋にいって、ビビンバを食べた。美味しかった。子供が生まれる前に二人で沢山やった方が良いと言われるね。
ところで、今日から私鉄や地下鉄やバスでもSuicaが使えるようになった。今日二子玉川まで使った。それは便利になると思う。ただ、バスカードにはおとくが付いているので使い続くと思う。家族が訪ねてくるときSuicaを用意すると思う。
では、これからイギリスの母とレーとのビデオチャットをする。インターネットはすごいね。