私の生活、意見、日本語の練習

Archive for July, 2008

可愛い写真

Posted by チャート・デイビッド on July 24th, 2008

先週ゆり子の大学時代からの友達が家に来て、真由喜の写真を撮ってくれた。友達は写真家だから、写真はとても綺麗だ。本人のブログで真由喜の写真がアップしたので、ぜひご覧ください。最後の写真は特に感動的だと思う。私には遊ぶ時間はない場合、真由喜がそういう顔で私を見るので、遊んでしまうことは少なくない。
私たちは、将来にもそのえさんに写真を依頼するかなと思う。とてもいい記録になるようだ。

レッスンの多い日

Posted by チャート・デイビッド on July 23rd, 2008

今日にはレッスンは比較的に多いし、渋谷でのレッスンもあるので、暇はあまりない。暇というより、教える仕事以外の仕事をする余裕も殆どない。だから、長いブログを書く暇はないのはいうまでもないだろう。だが、三日間連続ながいブログを書いたので、許してもらうかな。
ところで、真由喜は元気だ。いい子だし、可愛い喋り方もある。いつちゃんとした言葉を出すかな。楽しみ。

学校ドラマ

Posted by チャート・デイビッド on July 22nd, 2008

昨日北川景子が出演する月9のドラマ「太陽と海の教室」が始まった。私が見たのはいうまでもないだろう。楽しかったが、その理由は北川さんが登場することだけではない。基本的にこういう学校ドラマが好きだからだ。
なぜなら、人が成長するストーリが好きだし、学校ドラマは主にそういうストーリだからだ。今回、生徒たちはもちろん、北川さんが演じる榎戸先生も成長するようだ。実は、北川さんのブログを読んだら、北川さん自身も成長する可能性は高いので、もう一つな楽しみがある。確かに五年前の初出演の美少女戦士セーラームーンのころと比べたら、演技が著しく上手になった。しかし、だからこそこの番組がオンエアーの間の上達がわかるかどうかは分からない。
やはり、現実の成長はフィクションの成長よりいいと思う。昨日の話の中でフィクションの味が簡単に見えた。もちろんコメディだから非現実的な部分は多いが、基本的にドラマの枠組みの中で人の深刻な問題を解決するのは、現実にはあり得ないが、ドラマが楽しくなるために必要だと言えると思う。つまり、ドラマになるために現実とずれるしかない。だから、楽しいが、現実の方針に影響を直接与えない。人の看板を勝手に壊さないよね。(見なかった人は分からないが、昨日の話の中の出来事だった。)
だが、広い意味で取ったら、成長を引き出すのは大変いいことだと思って、先生の役割だと思う。だからこそ先生として働いている。確かに、英語の家庭教師のような仕事で人の人生を全面的に影響を与えることはない。それは高校などの担任の先生との明らかに違いだ。しかし、英語の限られた分野の中でなるべく上達を支えたいと思う。この狭い分野でも、かなり難しいことだ。なぜなら、人がそれぞれ違うからだ、英語を勉強する目標によって、適切なレッスンの形が異なるし、目標が同じであっても、人によって効く方法が異なると思う。英語のレベルはもちろん、性格にもよる。だから、すぐに「こうしたらいい」とは言えない。話したら、「では、この方法を試してみよう。こういう場合効く可能性は低くない」ぐらい言えるが、いつも生徒の目標や上達を考えて、レッスンの形を調整するひつようがある。
だから、実は生徒の成長を支えているかどうか分からない。上達した生徒は多いので、落ち込まないが、私の影響で上達したかどうかは言い難い。いつも勉強する人の努力や才能は一番だから、先生の役割はそういうやる気を生かすにすぎない。一か二年前に書いたような気がするが、先生は生徒のための存在だと思う。生徒が先生を尊敬しないなら、先生の仕事は難しくなるが、先生が生徒を尊敬しないと、絶対無理だと強調したいのだ。
宿命と言ったらちょっと大げさだが、先生としての責任だ。だから、先生が私が直面する問題より深刻な問題を簡単に相次いで解決するドラマを見るのは、楽しい休憩になる。

楽しい家族の一日

Posted by チャート・デイビッド on July 21st, 2008

昨日ゆり子のご両親が訪ねてきた。目標は、真由喜を見ることだったのはいうまでもないだろう。着く前にアメリカの家族とのビデオチャットしたが、チャットが終わる前に着いたので、アメリカの家族と挨拶ができた。やはりビデオチャットはいいね、特に家族が世界中に広がる場合。
さて、ゆり子のご両親が赤飯と豆を持ってきてくれたので、一緒にお昼を食べた。祖父祖母が真由喜と遊ぼうとしたが、真由喜がちょっと人見知りになって、私とゆり子を求めて泣いた。もう少し待つことになった。
昨日は、白幡八幡大神の夏祭りだったので、家族で行くことにした。私が神事の部分を見学するためにちょっと早めに行ったが、ゆり子、真由喜とゆり子のご両親がちょっと後で着いた。また気づいたのは、神事の最後に神職が「白幡八幡の夏祭りが無事に終わりました」と言ったことだ。正式に言うと、祭りは神事だよね。人が集まる部分は、本格的な祭りではないとも言える。確かに現代の言葉遣いでその楽しくて賑わい部分は祭りだが、元のことを考えたら勉強になると思う。少なくとも時代と一緒の変化が浮き彫りになる。
そして、いわゆる禰宜舞が始まった。今回は四回目だったので、もうブログで何回も描写したような気がするが、今回印象になったことを書くと思う。まずは、真由喜は意外にいい子だったことは目立った。泣かずにとは言え、殆ど静かにして舞いを夢中に見てくれた。真由喜が楽しんだと思えるし、周りの人に迷惑にならなかったので、よかった。そして、五番目の舞にはめでたい矢を視聴者に射ることがあるが、また取れなかった。今回近かったが、残念ながら隣の人に取られた。では、次回かな。餅投げも大変楽しかったが、前回より多かったような気がした。真由喜は、餅投げを不思議に見たので、まだちょっと若いようだ。ほかの小さい子供が喜んで取ろうとしたので、二年後真由喜がそうするかもしれない。
ところで、今年も取材された。今年読売新聞からの記者が参加して、周りの人をちょっと取材したが、そういう地元の祭りに行ったら、外国人と出会うのは驚かせるだろう。だから、去年も記録しようとする人に取材されたし、今回も。「外国人としてみたら、どういう感想ですか」と聞かれたら、非常に難しい質問だと思った。結局、「日本独特なことで、不思議で神秘的で面白くて」という曖昧なことになった。急に聞かれたら答えにくい質問だね。
では、祭りが終わったら、一旦家に帰ってから森林公園に行った。夕方の天気はちょうど良かった。気温もちょっと下がったし、いい風もあったので、気持ちは本当によかった。ゆり子のご両親は、まだ森林公園に行ったことはなかったので、紹介したかったが、行く度に「もっとここに来たらいいな」と思う。特に真由喜が歩き始めたらよく行ったほうがいいだろう。走り回らせたりするのは様々な側面からいいと思う。
公園のあとで、ゆり子のご両親がうなぎをおごってくれた。大変美味しかったし、ほかのお客さんには真由喜が「かわいい、かわいい」と言われたので、楽しかった。真由喜はまだ大変いい子したし、祖父祖母に対する抵抗感がなくなったので、交代しながら食べられた。
そういう素朴な一日だったが、本当に楽しかった。

神道の知識

Posted by チャート・デイビッド on July 20th, 2008

私は英語での神道についてのメールリストに登録している。神道が全く分からない人から神職までのメンバーがあるので、メールの内容は場合によって大きく異なる。何もない時期も多いし、ちょっと馬鹿な話の場合もある。だが、この数日間、興味深い話題が多くなってきた。それをちょっとピックアップして書きたいと思う。
主に日本では、神道はどれほど知られているのかという問題が挙げられている。ある人が次のようなエピソードを紹介した。
その人が本屋さんに行って、神道についての本を依頼した。十代の女の子の店員に言葉が分からなかったという。行った人は外国人だから、発音が悪かったと思って、辞書の中で言葉を見せたそうだ。見せても、言葉自体は初耳だったようだが、「神社にお参りしますか」と聞いたら、「はい」と答えてもらって、持ったお守りを見せてもらったと言った。お守りを持っても、「神道」という言葉さえ分からないのは、びっくりした。その人の結論は、「十代の人は馬鹿だ」ということだったが、知っている若者もいると思う。
といっても、仏教と神道を区別できない日本人が多いのはよく言われる。二百年を遡れば、許しやすい問題だが、明治維新の神仏分離以来、区別しやすくなったので、基礎知識さえあればほとんどできると思う。(例外の鳥居があるお寺もあると聞いたし、鳥居のない神社もあるので、難しい場合はまだあるが、極めて少数だと思う。)
原因は分かりやすいと思う。一つは、公立学校で宗教の教育は全くないことだ。教えてもらわないと、特徴がいかに目立っても特徴の意味が分かる人はないし、特徴に気づく人も少ないだろう。少なくとも、教育はなかったら、特徴は特徴だということは分からない。要するに、鳥居に気づかない日本人は少ないと言いたいのだが、鳥居は神社の標だということに気づくために、努力は必要だから、それが分からない日本人がいるだろう。
もう一つは、日本人は「無宗教」な民族だというイメージだ。これは現実にあっているかどうかは微妙だと思うが(後述する)、そう思う日本人は多い。自分は無宗教な人だと思うなら、宗教の知識を無意識で避ける傾向は強い。自分の自分についてのイメージを損なうと判断する行為を避けるのは人間の心理なのではないか。無宗教な人は、宗教には詳しくないと思う人は多いし、常識に近い判断だから、宗教の知識をちょっと避ける日本人は多いのだろう。「神道」という言葉を知っても、明治神宮には明治天皇が鎮座されるということが分からないし、知ろうとしない人は多いだろう。
だが、日本人は本当に無宗教なのだろうか。初詣をしない人は少ないし、しない人の大半は、キリスト教などの宗教の信者だと言われる。日本人の常識では、無宗教な人も初詣したり、お守りを持ったりするので、そうしてもイメージとの矛盾を感じないのではないだろうか。実践から見れば、「無宗教」は過言なのではないか。「宗教」の定義によるが、お守りを持つ人には宗教色があると言えないだろうか。
神道を考えたら、知識は必要はないと言えるだろう。実践したら、神道と接することはできるからだ。祭神が分からなくてもお参りしてもいいのではないかと私が思う。神様の存在さえ信じなくても、お参りしてもいいと言いたいのだ。
ただ、「神道」の言葉を聞いたことがあったほうがいいだろう。

食べる時間

Posted by チャート・デイビッド on July 19th, 2008

真由喜が一歳に近づくと離乳食を進めるのは大事だね。だから、毎日食べさせるが、真由喜は別に積極的ではない。消極的な日もあるし、積極的に拒否する場合も少なくない。そして、食べてくれても少量を食べる場合は多い。ガンガン食べる赤ちゃんもいるようだが、真由喜はそういう赤ちゃんではない。
習慣をつけるために、私たちが食べるとき真由喜も座らせて、食べさせることにした。ある程度効果があるようだ。つまり、ほぼ毎回少なくとも一口食べてもらう。たくさん食べる場合もある。だが、食べたけなくなると、真由喜が積極的に拒否して、手でスプーンをどかす。無理に食べさせたくないので、止めるしかない。ミルクと母乳をまだよく飲むので、栄養の側面から心配する必要はないし、成長するしだい食べるようになるはずだから、安心できるが、やはりちゃんと食べてもらえたら嬉しい。

今日こそ

Posted by チャート・デイビッド on July 18th, 2008

一昨日パソコンのせいでちょっと遅く寝たので、昨日眠かった。だから、仕事がうまく進まなかった。最低限が出来たと言えるが、満足ではないし、今日頑張らないといけないと思う。だから、短いブログにする。最近あまりブログを書く余裕はないね。真由喜もいるし、仕事もしなければならないし。ブログを読んでいる人も少ないし。だが、家族が読んでいるのを知っているので、止まない。
よし、仕事。