私の生活、意見、日本語の練習

Archive for October, 2008

一人になった

Posted by チャート・デイビッド on October 31st, 2008

ゆり子と真由喜が一昨日ゆり子の実家に遊びに行った。十日間を名古屋で過ごしてから帰るつもりだが、もう寂しくなった。ビデオチャットで真由喜と話したことがあるし、ゆり子とも話したが、やはり本当にいたほうがいい。
一方、真由喜がいなければ、夜にちゃんと眠れる。仕事にも集中できるので、一概に悪いとは言えない。たまにこういうことがあったらいいと思うが、頻繁になったらやはり嫌だね。

看板の効果

Posted by チャート・デイビッド on October 30th, 2008

昨日面白い看板を見つけた。この周辺の畑にあったが、書いてある内容は以下の通りだった。
「ドロボウさんへ 野菜を盗まないでください」
少なくとも二つあったが、こういう看板にはこうかがあるのかなと思わされた。確かに本当の泥棒なら、効果はない。盗まれた人が盗まないでほしいことは、泥棒さえ分かるだろう。だが、道沿いの畑から野菜を取ることを「盗む」と思わない人もいるかもしれない。そういう人は、自分を「泥棒」としても思わないはずだ。だから、看板で、「この野菜を無断に取るのは盗むことだよ。要するに、そうするあなたは泥棒だよ。」ということに覚めたら、止める可能性はなくはないと思う。
要するに、対象は自分を泥棒と思わない人だ。だから「ドロボウさん」だろう。

外見対中身

Posted by チャート・デイビッド on October 29th, 2008

北川景子さんが出演する映画の『ハンサム★スーツ』がもうすぐ公開するが、宣伝は凄い。北川さんのブログで北から南へのキャンペーンのことが書いてあるし、インタビューも携帯にさえ出て来たし、オンラインのやつも多い。映画のテーマは、外見と中身なのだから、インタビューでも北川さんが外見より中身を唱える。映画で、主人公の外見は谷原さん、中身は塚地さんだが、仕事外で北川さんの実の仲間は、塚地さんだから、少なくとも北川さんは正直に言っていると思う。
こういう意見を言う人は多いし、北川さんのように信じる人も少なくないだろうが、私はちょっと違う。中身より外見というほどではないが、こういう風に外見を軽視するのは本当にいいのかなと思う。
インタビューで北川さんが言ったのは、外見はメイクさんなどに磨いてもらうので、本当に自分の魅力点ではないと言った。確かにそうだが、中身は違うだろうか。知的な能力と言えば、先生方によって磨いてもらうし、性格は親を始め、知り合いの皆に刻まれる。だから、中身だからといって完全に本人が作ったとは限らない。そして、外見も中身も、本人には素はないと、できることには厳しい制限がある。外見の場合、これは明らかだろう。如何にメイクをしてもらっても、わたしが谷原さんのようにハンサムになるわけはない。同じように、北川さんのように美しく見えるために、素も工夫も必要だろう。中身の場合も、否む人はいないだろう。頭が悪かったら、如何に勉強しても高級学者になれないはずだ。
それを認めてもらっても、「ただ、外見の素は、本人のお陰ではない。ただ遺伝子などの自然物の影響だ」と言われるだろう。確かにそれはそうだ。しかし、知的な能力も性格も同じだ。知的な能力は、脳の形に拠るし、それは遺伝子や幼い頃の環境によって造られる。性格も、脳のなかの化学物質のバランスによって左右されるそうだ。本人のお陰だと言えたら、外見も本人の創造物だと言える。
そして、外見を軽視、いや、軽蔑したら、外見が良くて頭も性格も悪い人はだめだという意味だろう。人間を否定したくないので、それを言いたくないのだ。外見は唯一の才能であれば、まだ才能を一つ持つと言える。外見を、才能の一つとして認めるべきだと私が思うのである。
といっても、外見が本人に気になる場合は多いだろう。なぜなら、初対面から外見が目立って、人間関係に強い影響を与えるからだ。外見が悪い人がすぐにうんざりになるだろう。一方、北川さんのように外見が優れる人も、いつも外見に惹かれてしまった人に囲まれたらうんざりになるだろう。両方は平等に、外見以外の側面を見てもらわないので、精神的な問題は基本的に同じだろう。(私は体験で分からない。私の外見は平凡的に、強い影響を人間関係に与えないようだからだ。)一面的に見られるのは、人間には嫌だと思う。スポーツ選手でも、スポーツの才能のみを見てもらったら、うんざりになるだろう。作家は或る程度運がいいと思うが、それは作品に自分の多面が入れられるからだ。だから、俳優が様々な役と挑戦して、多面を見せたくなるだろう。
といっても、自分の多面をちゃんと見てくれるのは、身近な人のみだろう。家族、親友など。ファンに全面的に見てもらうのは、無理だろう。北川さんのような人は、外見を軽視せずにファンの傾いた視線を我慢したほうがいいだろう。
なんて、偉そうに。私にはファンがいたらより良く共感できるだろう。

公平

Posted by チャート・デイビッド on October 28th, 2008

私がよく考えるトピックの一つは、公平だ。自分の生き方を考えたら重大な点だし、政治を考えても重大だ。(勿論、唯一の重要点ではない。正直、慈悲、愛情、清明なども無視できないことだが、同時に全てを考えようとしたら、混乱に陥るしかない。)だが、公平は何だかという質問は、意外に答えにくい。
例えば、ある職業に申請した二人がいるとしよう。一人は、家柄はいいし、累代の祖先が同じ仕事をしたので、この仕事に就くのは人生の目標だ。だが、別に実力はない。一方、もう一人は、家柄は貧弱で些細な犯罪を犯した祖先も多いし、家族とこの業界の間に縁はない。だが、才能を持っている。では、誰を雇ったらいいだろう。
現代の答えは、後者だ。近世の答えは、前者だろう。今の主張は、近世の方法は不公平だという批判は当たり前だろう。だが、それはなぜか?才能も、家柄も、利益になることだから、それにいい仕事を加えたら、合計でよりいいことになる。公平というのは、家柄も才能もない人を雇うことではないか。それを馬鹿な考え方にしても、才能を家柄重視する理由はなんだろう。確かに、家柄を重視したら才能のある貧困から出自した人が出世できないが、才能を重視したら立派な家の伝統を担わないと行けない才能はない人が出世できない。客観的に見たら、それは同じだろう。
私の気持ちは、現代の意見に傾く。私は現代人だし、家柄は特別ではないし、才能は、まぁ、ともかく。だが、家柄はないから、現代の視点が私の利益になる。だから、昂揚するのは、不公平ではないか。
確かに現代の考え方は全く不合理だとは言えないだろう。才能がある人が役割を努めたら、結果がより良くなるはずだ。その利益は、本人に限らずに周りの人にも及ぶのは普段だと言える。少なくとも、同じ会社で働く人にも利益になるはずなのではないか。だから、広く見たら才能の人を雇った方がいいと言える。
だが、その利益は、家柄のいい人に及ばない可能性は高いので、こういうやり方は、他の人のために或る人に不利益を与えることだ。それは、不公平の典型的な出来事だと言える。他の人の利益のために、なぜこの家柄のいい人が苦しむべきのかとも伺えるだろう。苦しませることは避けられない場合は少なくないが、公平である限り許される。しかし、公平の定義を問ったら、公平だから苦しませてもいいとは言えない。その答え方は、答えを前提にしてしまう。
勿論、家柄の例に限られていない。努力したら報われるべきだと言われているが、このブログを書くことに私が努力したが、報いはあまりない。(練習で日本語が上達したと信じるが、それも思い込みだろう。)それは不公平だと言えるか?私には、報われる権利が持たれるか?そうではないなら、仕事で努力したからと言って、収入を貰うべきだとは限らないだろう。
公平を契約に絞っても、いい結果にならないと思う。契約には悪質な条件が入ったら、契約の通りしても不公平の場合は少なくないからだ。だが、公平のことがもう分からない限り、「悪質な条件」が特定できない。
だから、考えれば考えるほど、解決が見えなくなる。公平を放棄して、慈悲などに倫理を基づいたほうがいいかなと思うほどだ。

真由喜のモデルデビュー

Posted by チャート・デイビッド on October 27th, 2008

真由喜がモデルデビューした。ゆり子の大学からの友達のその江さんが写真を撮ってくれたので、その江さんのブログでアップされた写真がみえる。モデルにした商品は、PentaxからのK−mというカメラだ。写真はまだホームページにアップされていないが、その江さんによると近い将来にアップする予定だそうだ。
カメラの宣伝として、大型の電気屋さんに置くためのアルバムを作った。このカメラの対象は、お母さん達だから、赤ちゃんの写真が欲しかったそうだ。そして、Pentaxの人がその江さんのブログを読んで、一歳の記念写真の真由喜を見て、真由喜をモデルにしたくなったそうだ。その江さんを通して、私たちに聞いたが、ちょっと考えてからOKにした。カメラマンはゆり子の友達だし、使う会社も評判はいいので、心配する必要はないなと思ったからだ。
写真を撮るのに努力する必要があった。一週間ぐらい亘ってほぼ毎日その江さんがこの周辺に来て、あちこちで真由喜を撮った。近所の公園とか、カフェなどで様々な雰囲気の写真を撮ったが、途中で発熱があった。前に書いて「初病院」のことは、このことだった。
だが、出来上がったアルバムを見たら、本当に素敵だと思う。真由喜の可愛い写真は沢山掲載されているし、プレゼンテーションもいい。このカメラで、真由喜の可愛さがよく伝えられたと思う。ぜひ、機会があれば、電気屋さんに行って本物を見てください。(実は、私たちもまだお店で見たことはない。大きなお店に置くと思うので、新宿のヨドバシカメラのようなところなら確率は高いだろう。どのぐらい置くかも分からないので、お早めにどうぞ。)

合同誕生日パーティ

Posted by チャート・デイビッド on October 26th, 2008

合同誕生日パーティから帰ったばかりだ。両親学級で出会ったお母さん達が連絡を続いて、数回集まったが、今日私も参加した。前回参加したのは、四月のお花見だったかもしれないので、半年ぶりに一歳になった子と会った。(両親学級は、生む月によって別れるので、一ヶ月以内生まれた子供達だし、両親学級は経験はない両親を対象にするので、皆は一番上の子だ。)
やはり成長した。参加できたのは、真由喜以外四人の男の子だったが、真由喜を含めて三人が上手に歩いたし、皆が大きくなって来た。実は、真由喜は年上の子(トシ上というのは変なのだが)だし、他の子供と比べたら大きく見える。それはびっくりした。なぜなら、普段は小さく見えるからだ。真由喜は小さい方だが、他の子供達もそうだということだった。
真由喜が出発直後まで昼寝したので(はい、直後まで。抱っこ紐に入れたときに寝たままだった)、向こうで元気いっぱいで機嫌よくてずっと遊んでくれた。寝てしまった子もいたし、ぐずる子もいたが、今日真由喜が笑顔でしてくれた。やはり、まだ人見知りではないね。確かに最初の方に私とゆり子の間に歩いたり遊んだりしたが、後半になると他の子供は勿論、他の大人にも接することになった。一人っ子だから、こういう機会を作るのは重要だと思うし、ゆり子も同じような環境で頑張っているお母さん達と相談できるので、いい。
ただ、他の旦那さんがいたのに、夫同士の交流はあまりなかった。ゆり子が気づいた、不思議に思ったそうだ。だが、お母さん達がよくメールのやり取りするし、少なくとも二ヶ月に一回集まるので、もう馴染みになった。お父さん達は、そうではない。だから、私は当たり前だと思う。交流ができたらいいと言えるだろうが、年に二回の集まりはそれに足りないだろう。
といっても、結局楽しかった。また機会があれば参加したいと思う。

短くしてしまう

Posted by チャート・デイビッド on October 25th, 2008

今日が遅くなったし、読書は未だできていないので、ブログを短くするしかないと思う。だが、更新しないわけにはいかないので、ちょっとだけ書く。
今日の達成を計ったら、以下の通りになる。
授業:4時間、大丈夫。
編集/管理:必要な分ができた。
執筆:完全な挫折。
読書:未だだ。
因に、新しいソフトを買った。それは、本などを書くためのソフトだが、試し版を数週間使って、やはり執筆にはいいと判断した。だが、良くても今日の挫折を解消できなかった。明日から週末だから、ちょっと休んでまた頑張ろう。