ドキュメンタリーと流れ

先日、北川景子さんがドキュメンタリー作成についてのブログの投稿をアップした。読むと、本当に不思議な気分だった。なぜなら、強い共感と頷きがあったからだ。というのは、私も今年の6月にドキュメンタリーを作成したが、私の経験も北川さんの経験とそっくりだった。芸能人の仕事は別世界と思ったが、ちょっとそうではないようになったね。芸能人になるつもりはまだないので、ご安心を。

今日取り上げたい点は、下記のことだ。

その時、その瞬間にしか感じられないこと、そこでしか出会うことのできなかった方との出会いに対する感動、
その瞬間にしか出てこない感情、言葉、表情を恥ずかしがらずに、頭で考えずに残すことが大切なのだ

ドキュメンタリーはそうだったが、私の生活でもう一つの同じようなことがある。それは教えることだ。

確かに、「頭で考えずに」教えるのは妙に聞こえるだろうが、重要な意味でその通りだ。「その瞬間にしか出てこない言葉を恥ずかしがらずに」のは重要な点だ。つまり、教えるとき、何の印象を与えるかを考えない。ただ、その瞬間の問題などにどう応えるべきかを感じて、言い出す。だからこそ、深く理解しない科目は教えることはできない。教科書を読みながら教えられない。生徒の問題や質問に応じる。

この教え方は、ついてくる話題がある。

一つは、多人数に教えるのは嫌であること。五人以上がいれば、一人一人に対応するのが難しくなるし、10人になったらもう無理だ。一方的に話すのは、本当の教え方ではないと思う。そうなら、本を読めば良いか、ビデオを見れば良い。このような習い方も重要だと思うが、人を前に立たせる必要はもうないとも思っている。ビデオは愚か、本もなかったヨーロッパの忠誠の名残だ。

もう一つは、レッスンが終わったら「えっ、一体何を言った、私?」のようなこともある。その場で適切に感じたが、後で顧みれば疑うこともある。これは、仕方がないと思う。時間が経って、そして経験が積み重ねる次第、少なくなるので、まだまだ研修中のような気分だから、深く落ち込まない。レッスンに夢中になるのは必須だし、そうすればこのようなことが溢れる場合もある。レッスンを大きく損なわずに避けられない。ただ、新しい生徒の一回目で起きないように祈ってやままない。

そして、最後だ。魅力的な女性に教えるのは難しい。もちろん、楽しいでもある。しかし、相手は美しいなどはよく意識する。自動的だ。それでも、その点に触れてはいけない。妻がいるのは一つの理由だが、未婚の時代でも同じだった。レッスンの流れを保つために、私も生徒も素直に課題の流れに乗って流されなければならない。魅了意識がそれを崩壊させる。生徒は、私のことをそのように考えない場合、いやな思いになって、レッスンを不自然にさせるので、素直に教えられない。生徒も私のことをそう思ったら、さらにレッスンを難しくする。だから難しい。

このように無我夢中で何かをするのは重要だと思うが、初めての経験ですぐにできるはずはない。そして、概念などを事前に考えるべき場合も多い。現場で流れに乗れるために、頭の準備も心の準備も必要だと思う。だから、これからもより良く考えずに教えられるように、レッスン以外の時に頑張る。


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