瞬間

北川景子さんは美人であるのは周知の通りだろう。先日のブログの一番上の写真は、それを代表する。しかし、二番目の写真まで行ったら、日常生活の中の写真で、確かに美人だが、それほどではないと思うのではないか。普通の人の美人だろう。

最近、宣伝で「化粧なしのセレブの顔で驚く!」などはよく見たので、北川さんだけではないのは確実だ。(ところで、北川さんはブログの戦略でそのような記事を恐れなくても良い状態を作った。素っぴんの顔は、ファンにはよく見たことがあるからだ。)顔が超美人に見えるのは、化粧の施しも、その瞬間の表情も影響を与える。だからこそ、化粧はプロの腕に任せても、モデルの仕事で数百カットを撮って、後で良い物を選ぶ。(去年の『27』の写真集のために、北川さんは当初自分で選ぼうとしたが、結局写真は多すぎてプロに任せたそうだ。)もちろん、これはモデルの顔だけではなく、写真全体のバランスや邪魔者のこともあるが、自分の写真を沢山見たら、同じ傾向も見える。悪い写真もあれば、良い写真もある。だから、タイミングは「ピッタリ」だった写真で、如何に美人であっても、ブスに見えることはあると言えよう。

それは美貌に限るかと言うと、そうではないと思う。天才でも、一瞬だけ見れば、なかなかそう見えない側面を覗いてみることはある。「猿も木から落ちる」ので、数学の天才が算数を間違えることもある。(実は、数学者と話せば、数学の天才には算数ができない人は多いそうだ。)演説は上手な人の一言を聞けば、その一言は普通かつまらない場合もある。

天才はそうであれば、平凡な人はまさにその通りなのではないか。親切で面白い人でも、短い会話で冷たくてつまらなく感じることもある。

だから、他人をすぐに評価するべきではない。特に、すぐに批判するべきではない。その瞬間で良いことをしたら、それほど良いことができるのは疑えない。美人に見えれば、美人に見える場合はあることはもう分かった。面白い会話だったら、面白い会話ができることも疑えない。しかし、いつもそうなるとは思うべきではない。そう思い込んだら、次回はそれほど素晴らしくないとがっかりして、その人を悪く思うこともあるが、根拠はない。自分の思い込みは特に良い場面から発生したので、次回はより普通であるのは当たり前だ。

一方、初対面では印象は良くなくても、それはただ単に運が悪かった場合もある。その会話はそれほど面白くなかったが、普段は面白い人だ。そのコーディネートで美しく見えなかったが、普段は美人である。このようなことに配慮しなければならない。

もちろん、人と接するためには時間も努力も必要だから、初対面で印象が悪かった人とわざわざ親しむように言わない。初印象は良かった人と親しくなろうとした方が合理的だ。ただし、偶然にその悪印象の人とまた接することになったら、今回は良い印象になる可能性を忘れずに接したほうが良いと思う。

人のすべてを、一瞬の一つの側面に基づいて判断しては行けない。


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