瞬間

 北川景子, 様々  コメントは受け付けていません。
8月 152014
 

北川景子さんは美人であるのは周知の通りだろう。先日のブログの一番上の写真は、それを代表する。しかし、二番目の写真まで行ったら、日常生活の中の写真で、確かに美人だが、それほどではないと思うのではないか。普通の人の美人だろう。

最近、宣伝で「化粧なしのセレブの顔で驚く!」などはよく見たので、北川さんだけではないのは確実だ。(ところで、北川さんはブログの戦略でそのような記事を恐れなくても良い状態を作った。素っぴんの顔は、ファンにはよく見たことがあるからだ。)顔が超美人に見えるのは、化粧の施しも、その瞬間の表情も影響を与える。だからこそ、化粧はプロの腕に任せても、モデルの仕事で数百カットを撮って、後で良い物を選ぶ。(去年の『27』の写真集のために、北川さんは当初自分で選ぼうとしたが、結局写真は多すぎてプロに任せたそうだ。)もちろん、これはモデルの顔だけではなく、写真全体のバランスや邪魔者のこともあるが、自分の写真を沢山見たら、同じ傾向も見える。悪い写真もあれば、良い写真もある。だから、タイミングは「ピッタリ」だった写真で、如何に美人であっても、ブスに見えることはあると言えよう。

それは美貌に限るかと言うと、そうではないと思う。天才でも、一瞬だけ見れば、なかなかそう見えない側面を覗いてみることはある。「猿も木から落ちる」ので、数学の天才が算数を間違えることもある。(実は、数学者と話せば、数学の天才には算数ができない人は多いそうだ。)演説は上手な人の一言を聞けば、その一言は普通かつまらない場合もある。

天才はそうであれば、平凡な人はまさにその通りなのではないか。親切で面白い人でも、短い会話で冷たくてつまらなく感じることもある。

だから、他人をすぐに評価するべきではない。特に、すぐに批判するべきではない。その瞬間で良いことをしたら、それほど良いことができるのは疑えない。美人に見えれば、美人に見える場合はあることはもう分かった。面白い会話だったら、面白い会話ができることも疑えない。しかし、いつもそうなるとは思うべきではない。そう思い込んだら、次回はそれほど素晴らしくないとがっかりして、その人を悪く思うこともあるが、根拠はない。自分の思い込みは特に良い場面から発生したので、次回はより普通であるのは当たり前だ。

一方、初対面では印象は良くなくても、それはただ単に運が悪かった場合もある。その会話はそれほど面白くなかったが、普段は面白い人だ。そのコーディネートで美しく見えなかったが、普段は美人である。このようなことに配慮しなければならない。

もちろん、人と接するためには時間も努力も必要だから、初対面で印象が悪かった人とわざわざ親しむように言わない。初印象は良かった人と親しくなろうとした方が合理的だ。ただし、偶然にその悪印象の人とまた接することになったら、今回は良い印象になる可能性を忘れずに接したほうが良いと思う。

人のすべてを、一瞬の一つの側面に基づいて判断しては行けない。

『ジャッジ!』

 北川景子  コメントは受け付けていません。
8月 032014
 

北川景子さんが出演する映画の『ジャッジ! 』をやっと見ることができた。映画館に行く余裕もなかったし、家で見る余裕も長い間得られなかった。

面白かった。ドラマのために審査員の不正な行為を大げさに描かれたが、現実との関係はあると信じられた。コメディーだから、笑えるところは多いことは良い。

北川さんの縁起と言えば、もちろん自然だった。数年前から「演じている」ような印象がなくなったので、本当に上手な女優になっていると思う。(北川さんの縁起の練習の多くは、作品で公開されたので10年前の作品で経験は浅いことは見えた。それはもうなくなった。)そして、北川さんらしい役だった。つまり、美人だったが、典型的な映画美人の性格や振る舞いと大きく異なった。北川さんは、役のために顔が崩れても平気であるようだから、そのような役に起用されることは多いだろう。そして、英語を話す時に上手に話せた。もちろん、台本はあったが、発音は自然だった。アメリカで留学した経験があるので、ちょっと活かせたのではないかと思った。

映画のストーリーでちょっと気になったは外国人の描写だった。つまり、登場する外国人は殆ど馬鹿。一方、登場する日本人も殆ど馬鹿。だから、結局映画の構造を考えれば、外国人を特別視したというわけではない。やはり、別の文化からの人物を作品で描ければ、難しい問題が発生する。

要するに、この映画は面白くて楽しいので、一度見たらいかがでしょうか。

『悪夢ちゃん The 夢ovie』

 北川景子  コメントは受け付けていません。
6月 132014
 

一昨日、ドイツから来た友達と一緒に北川景子さんが主演する『悪夢ちゃん The 夢ovie』を見に行ってきた。公開からもう一ヶ月以上が経ったので、まだ上映中の映画館を見つけるのは簡単ではなかった。結局、お台場の映画館で午前10:55からの上映があったことが分かったので、あそこで見た。

入っていたのは、私と友達だけだった。二人のための上映だった。まるで昔々北川さんの『チェリーパイ』という映画を映画館で見に行ったときかのようだった。もちろん、状況がかなり違うけれども。

結論から言うと、映画は良かった。この投稿でちょっとネタバレになるので、まだ見たい人は、これ以下読まない方が良いだろう。
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宝塚と異性愛標準主義

 北川景子  コメントは受け付けていません。
4月 222014
 

異性愛標準主義とは、私が作った日本語だ。欧米で使われている「heteronormativity」の和訳として使うつもりだ。異性愛標準主義というのは、異性愛を標準として、自然として考える態度や社会的な姿勢を表す。異性愛標準主義の具体例は、独身な女性と話せば、「彼氏がほしいでしょう」と言ったり、家族を想像すればお父さん、お母さん、そして子供たちを想像したり、恋愛映画で異性愛のカップルを描写したりの行為。これは当然であると思うかもしれないが、その反応こそは異性愛標準主義だ。

欧米の一部で、異性愛標準主義を拒否する動きが現れた。同性愛や典型的な男女カップルと違う他の生き方を変なこととして考えずに、ただ単に異なる普通の選択肢として考えようとする方針だ。そして、異性愛標準主義に反する文化や芸術を評価する。

その一例として、宝塚を掲げることもある。(歌舞伎も重要な例だが、ここで宝塚について論じたいのだ。)宝塚で恋愛物語を演じるが、男性は女性の男役によって演じられるのは周知の通りだ。つまり、恋愛の演技は女性同士であるので、異性愛標準主義を支えない。ただし、最近の研究で異論が浮上したようだ。

宝塚でも、演じられる物語は異性愛の恋愛物語である。それに男役が積極的な役割を担って、女性を演じる女性は消極的で可愛い姿勢を見せると言う。つまり、典型的な男女の役割分担を擁護すると主張する。これは認めざるを得ない。私が知っている限り、演じられる物語はその通りだ。

それでも、役者は皆女性であることで、単純に異性愛標準主義を支えるとは言えないだろう。

個人的に、異性愛標準主義が弱まると良いと思う。なぜならば、そうなったら同性愛者がより気楽に自分の好みを追えるようになるからだ。実質的な自由を増すために役立つことだ。同性愛を合法にするなどの具体的な政策は必要だが、芸術などでの同性愛の描写も重要であると言われる。

だから、宝塚でもう少し直接に異性愛標準主義を攻撃する公演は良いのではないかと思ってきた。一つの可能性は女性同士の恋愛だが、それは直接で、ちょっと宝塚のイメージとあわないだろう。(宝塚に詳しくないので、毎年そのような演目があるかも。)しかし、男性同士の恋愛は別だ。

まずは、日本の歴史には男色という習慣があって、江戸時代の物語でネタは見つかるはずだ。そして、男性同士の恋愛相手は、二人とも女性によって演じられれば、異性愛標準主義を攻撃するが、間接的だ。役者は演技をしている。男性の同性愛者ではないのは明らかだ。それでも、同性同士なので、異性愛標準主義からはっきり逸脱する。その上、宝塚ファンにも魅力的なのではないかと思う。主なスターは男役だからだ。

実は、この記事のきっかけは、先日北川景子さんが公開した投稿だ。素敵なCMの写真や感動的なセーラームーンの同窓会の話の下では、宝塚の話がある。(ところで、セーラームーンの同窓会は感動的である理由は、先ず10年が経っても皆が集まることだし、そして北川さんの「東映の名に恥じぬよう精進しよう」という宣言である。さぁ、軌道に戻ろう。)その話で、宝塚のスターの壮さんから愛の言葉は聞きたいと北川さんが述べたが、前の投稿で男役と挑戦してみたいとも述べた。だから、特別に北川さんを組み入れて公開したらどうかと思った。北川さんには同時二つの願望が叶うし。宝塚で難しければ、最近宝塚から引退した方と共演しても良いだろう。

それはともかく、と書いたら、この投稿を全体的にともかく。提案まで至らないので、ただの遊びにとどまる。

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