推理小説

今、北川景子さんが主演する『探偵の探偵』という番組を見ている。面白いが、やはり真由喜に見させない。子供向けではないのだ。

厳密に言えば、推理小説ではないと思う。アクションをより重視しているので、北川さんの新鮮な側面が見える。今回演じる紗崎玲奈は、乱暴な人間で、やはり過去の悲劇(妹の殺人)から大きな被害を受けた。これからの成長や回復を期待している。

それでも、推理小説の要素がある。玲奈について行けるかどうか、そして玲奈より問題が見通せるかどうかは、楽しみの一つである。

しかし、問題がある。まず、嘘をつく登場人物は多い。玲奈を騙そうとする人間ばかりだ。そのため、ドラマの中で言われたことは信頼できない。(実は、妹の桜良は本当に死んでいるかどうかは疑わしい。2話までにもう「その判断を疑う理由はある」と示唆されている。しかし、その示唆の大半は、嘘をつく人から出たので、信憑性は低い。)

嘘と本当を区別するために、常識と論理を活用することも可能だ。「これはあり得ないので、嘘だ」と思えたら、ある程度炙り出せる。

しかし、だ。また問題が発生する。それは、このドラマはフィクションです、という問題だ。作家や脚本家によって作成された。作者が誤って何かを話しに入れ込んだら、それは実際に無理であるとしても、話の中では事実だ。作者の知識度を見通すのは難しいし、自分の知識と作者の知識が異なる場合、だれは正しいかは、私で判断すればもちろん「私だ」と思うが、それは間違いである可能性もある。

ドラマを見る楽しみの一部は展開を推測することだが、何を証拠として捉えるべきかは、難しい。もちろん、簡単なこともある。もう数回、「これは罠だよ。玲奈ちゃん、アホか?」と思う場合があったが、私は見通せる理由は、私はドラマを見ていることが分かるからだ。ドラマだから、そのような展開になるのは普通であることで、他の証拠と合わせたら、ほぼ確実に予測できる。ただし、巧みな作者は、そのような考え方も分かるので、時々その予想を裏切る。それも、視聴者として楽しい。主人公を殺す場合もある。(今回は、そうではない。原作の小説はもう4巻になっているので、分かる。)ドラマの中の登場人物は、普段は自分はドラマに出ていることは分からない。(例外もある。)

今まで見たところで、玲奈はアホではないが、一つのことにとりつかれ、問題や状態をちゃんと考えることはできない。だから危ないことによく合う。ちょっと目覚めてほしい。

北川景子さんのLINE

今日のブログの投稿はファンの内容だから、興味を持たない方は多いだろう。しかし、私のブログだから、自由に使わせていただく。

最近、北川景子さんが公式LINEを始めた。(LINEで公式アカウントで検索すれば、すぐに見つかると思う。)私はもちろん読んでいる。

北川さんのブログを読めば、ちょっと文学的な構造で、書き言葉は多いことはよく知っていると思う。随筆ができたのはびっくりするほどではない。もちろん、ファンからの依頼があったので、自分の作った食べ物も紹介するし、宝塚劇場についての内容もあるが、ちゃんと整っている文章は多い。

そして、フェイスブックでのコメントは、主にファンのコメントへの返事になるので、丁寧に答えることは多い。ブログと違う。

今回始まったLINEはまた違う。北川さんによると、前から友達とLINEでやりとりしたが、ファンと同じようなリアルタイムのようなメッセージができたらいいと思ったそうだ。もちろん、公式アカウントだから、会話にはならない。ただ北川さんとスタッフさんからの発信と自動返信だが、またまた違う。まず、自動返信には、宝塚の台詞は多いそうだ。(私は、自動返信について実験を行う余裕はないので、やっていない。)さすが宝塚ファンだね。そして、北川さんが直接に発信する内容は、

「わいぃぃいい!どら焼き!おいしそう!」

のような内容は多い。まるで友達との会話のような発信だ。その上、ほぼ毎日発信して、一気に10個以上のメッセージやスタンプを発信する。実は、「発信しすぎかな」との心配も出てくるが、「それでも、やめられない!」というメッセージが続く。実は、先日通知の消し方もLINEで教えてくれた。自分の発信を無視できるような設定を教えるのはちょっと異例だろうと思うが、やはりやり過ぎが気になっているようだ。

北川さんのLINEを読めば、二つ思ったことがあった。

一つは、「食べ物に、特に甘いものにうるさいね。やはり日本人だな」ということだった。食事を紹介することは多いが、お菓子を紹介するメッセージはほぼ毎日現れる。ファンからのどら焼きのプレゼントが増えてしまうのではないかと思う。(そして、北川さんは食べてしまうのではないかとも思わざるを得ない。)

もう一つは、やはり人には複数の側面があるなと実感した。環境が変わると、自分を表現する形も変わる。俳優は特に別な人を表現することは多いので、自分を表現することは少ないだろう。

それでも、北川さんの公式LINEはとても可愛い。ファンではないとつまらない限りであると思うが、ファンなら、北川さんが楽しく元気いっぱいで働いている姿が見えるような気がする。そして、短いので、読む余裕もある。ちょっと毎日の楽しいひと時になっている。

芸能制作の監督管理

先日、北川景子さんがDIARYを更新して、仕事柄について語ってくれた。昨日掲載した短歌もこの内容に応えるように作歌したが、今回もう少し具体的に反応を述懐したいと思う。

この記事の中で、「親の死に目に会えなくても、仕事に穴をあけないと誓いなさい」との最初の事務所の社長の発言を紹介する。つまり、役者やモデルの人生にはどこまでの危機があっても、仕事を優先するべきだ、と。東日本大震災の当日に撮影があったそうだし、揺れが収まったら、撮影を再開したという。

業界の構造として、私は許せない。

確かに、役者の代わりに演じられる人はいない。本人ではないと、その人の出番の撮影はできない。しかし、制作を管理する人の役割の一つは、そのような危機が発生してもプロジェクト全体が危機に陥らないように工夫することだ。主演を担う役者の場合、撮影の途中のいつでも、役者が「何かがある。休む」と言ったら、24時間の時間を与えられないと、無責任で、実力も疑わなければならない。同じように、深夜の3時まで撮影が続くことは、北川さんのフェイスブックでのコメントの中でよく出てくる。たまにあるのは仕方がないだろうが、一つのプロジェクトで4回以上発生したら、制作側の実力が欠ける証拠であると思わざるを得ない。つまり、撮影の実際にかかる時間がわからないからそのようなことが発生する。もしかして、全てが上手くいくことを前提としてスケジュールを決めるのではないか。しかし、全てが上手くいくのは、10回に1回程度だろう。5回に1回程度と辛うじて言えるかも。その事実に覚悟して、スケジュールを立てなければならない。

もちろん、例外がある。例えば、あるロケで撮影するが、出来る時間帯は非常に限られている。日が出てから、人が出る前にとか。その場合、時間は決まっているので、別な工夫をする。撮影の順番で、後半の撮影の予定が実現されなくてもなんとか出来る計画は必要だ。

これは、ただの傍からの嘴を出すことではない。Ars Magicaを監督した10数年間、このような工夫を実現するために努力した。原稿が提出されても、問題が発掘されたら修正しなければならない。その修正には、時間がかかる。出版する予定日の前に余裕はなかったら、修正はできない。最初の本は、その余裕はまだなかったが、読んだら分かる。問題が出版まで残っていた。そして、作者にはプライベートの問題があったら、対応できるような工夫も必要だった。それを組み立てるのは、簡単ではないが、監督する人の仕事の一部であると私は信念する。

ただし、芸能界にそのような現実的な構造を導入するために、全体的に改善しねばならないだろう。テレビ会社の計画も変えてもらわないと無理だろう。例えば、原則として連続ドラマの第1話が放送されるまで、最終回の台本を書き終えるのは妥当である。できれば、第1回の撮影が始まる前にそうするべきだ。そうすれば、最終回の展開を最初から示唆したりすることはできるし、主題曲が全体に相応しくなることはできる。しかし、台本は原作に基づかない場合、そのようなことはないそうだ。撮影も、数週間先まで進まないとまずいが、かなり迫っていることもあるようだ。

必要であるのは、芸術作品を作るための環境だが、収益ばかりを見たら、それはできないだろう。業界の全体的な目的を把握しながら計画してほしいのである。