私の生活、意見、日本語の練習

Archive for the '意見' Category

権力と偏見

Posted by チャート・デイビッド on September 1st, 2008

日本にはまだあまりないかもしれないが、イギリスやアメリカで男性や白人が男女差別や人種差別について文句をいうことが多くなりつつある。その原因は、女性や黒人が悪口することとか、入学の時に女性や黒人には対偶がいいことなどだそうだ。悪口は否まれられないが、女性が「男性はバカだよね」とかいうのは少なくない。対偶は曖昧なのだが、偏見に見えるようだ。
文句を言う資格があるだろう。女性が男性に対する偏見を持つことは多いのは否めないだろうが、本当に問題だろうか。収入を統計したら、女性のほうが低い。そして、権力を持つ職業を見たら、また女性が少ない。代表取締役の内、西洋でも女性は5パーセント程度に過ぎない。政治家でも、女性は二割ほど。要するにイギリスやアメリカで、男性がまだ権力を握る。だから、「もう男性は弾圧されている」という男性は、過言する他ならない。過言より、女性を抑圧しようとする行為だと言えるだろう。
客観的に考えたら、権力のない人には偏見があっても、社会的な問題にならない。以下に軽蔑しても、何もできないからだ。だから、今まで女性と男性がお互いに偏見を持ったのは事実でも、権力は男性のみに持たれたので、男性の偏見だけが社会的な問題になった。だが、社会の構成が変わりつつあるので、権力を持つ女性のかすが増えている。その中、女性の偏見も社会的な問題になりうるので、もう対策を取ったほうがいいのではないだろうかと私が思う。男性を迫ることではないし、男性は社会的に弾圧されていることはないが、近い将来に問題になるかもしれないと言えるだろう。
優先順位を考えたら、男性の偏見のほうがまだ重大なのだけれども、女性の偏見が問題になる前に抑圧したほうがいいと思うので、両方と取り組むべきなのではないか。少なくとも、女性の偏見を黙認すべきではないと思う。男性の偏見と同じように批判したほうがいい。

歴史と責任

Posted by チャート・デイビッド on August 12th, 2008

最近日本とドイツの第二次世界大戦についての反省を検討する本を読んだ。反省する方法は別々だそうだが、責任や謝罪の話が出てきた。だが、読みながらちょっと違和感があった。
戦争中、ドイツをはじめ、日本も残酷な行為を犯したのは否めない。だが、イギリスやアメリカもそうした。空襲もそうだが、イギリスの植民地の歴史を考えたら、アメリカの先住民の歴史を考えたら、長い間残酷な行為が続けてきた。だが、読んだ本は、英語で書かれて、イギリスやアメリカで出版された。だから、日本やドイツの犯罪について考えることに誘って、自分の国を比較的によく考えるように促すと言えるだろう。確かに、ユダヤ人を絶滅しようとしたドイツは、イギリスの植民地の歴史よりひどいが、日本の残酷は、イギリスの歴史にある行為に類似できるので、ちょっと不公平な書き方だと思う。
要するに、他の人の責任について書こうとしたら、自分の責任を先にちゃんと考えたほうがいい。
さらに、この責任自体について疑問を抱える。イギリス人だからといって、過去のイギリス人が犯した行為の責任を持つと言えるだろうか。血液型で責任を配らないので、なぜ国籍によって配るかと思う。その上、国籍ではない。私が日本の国籍をとっても、日本の第二次世界大戦の戦犯の責任よりイギリスの戦犯の責任について問われるだろう。つまり国籍ではなく、血縁だ。だが、血縁には犯罪が流れるとは私が思えない。そういったら、行為の後で生まれた人は、責任を本当に持てるだろう。
過去より、将来を考えたほうがいい。また犯罪を犯さないように気をつけるのは人間の責務だ。簡単に避けられることではないので、歴史から学ぶのは必要だが、自分の国の歴史だけではなく、他の国の歴史からも習えると思う。イギリスならドイツの歴史からとか、日本ならロシアの歴史からとか、アメリカなら日本の歴史からなど。
長い間検討しても、単純すぎる結論がでることは多いと私が思う。日本の歴史は、日本としか関わっていないと思うのは、そういう勘違いだと思う。特別な責任を持つことは、した人とさせた人と許した人に限られたのではないだろうか。それ以外、同国籍でも、関係は責任より学べることだと思う。

言語の進化

Posted by チャート・デイビッド on August 4th, 2008

先日の読売新聞のポッドキャストに日本語についての記事があった。世論調査の結果を紹介したが、その結果は「日本語が分からない日本人は多い」と言われた。詳しく様々の表現の意味を聞いたが、正しく答えた人は少なかったようだ。
例えば、「〜に詰まる」という表現の意味は「結論が決まる」ということだそうだが、「挫折になって結論が出ない」と思う人もいたという。確かに私も後者の一人だったし、生徒の一人もそうだった。だが、結果をちゃんと聞いたら、ちょっと疑問が浮上した。
つまり、間違えたのは、7割だったし、正解したのは、15パーセントに止まったと言った。その上、60歳以上の人の間に正解した人は多かったし、十代の人の間に極めて少なかったそうだ。これを聞いたら読売新聞の解釈と同意できなくなった。
言語は、コミュニケーションのための道具にすぎない。(単純に音の美しさを楽しんだら、もう言語としての役割ではない。)ある表現は、人の7割が同じく解釈すれば、その解釈はその表現の意味だ。それは、表現の意味の定義だ。あるとき別な意味を持っていたとしても、変わらない。時間が下ると、言語が進化する。実は、その現実は結果から明らかだ。五十年前に「〜に詰まる」というのは、「結論が出る」という意味を持ったようだが、今は、逆になったようだ。意味が正反対になる例は少なくない。「貴様」は、元々尊敬を表す表現だったが、もう逆だ。
だから、間違えたのは、若者ではなく、高齢者だった。表現の意味が変わったことを気づかなかったようだ。
そういっても、言語の変化が問題にならないというのは過言だ。コミュニケーションが難しくなったら、それは問題だ。異なる意味を持った表現が同じくなったら、それも問題になる場合は少なくないだろう。なぜなら、表現できない概念が生じるからだ。だが、特に年を取ったら、自分が学校で習った言語は永遠に標準だと思い込む傾向はつよいようだ。もう少し考えてほしいと思う。

学校ドラマ

Posted by チャート・デイビッド on July 22nd, 2008

昨日北川景子が出演する月9のドラマ「太陽と海の教室」が始まった。私が見たのはいうまでもないだろう。楽しかったが、その理由は北川さんが登場することだけではない。基本的にこういう学校ドラマが好きだからだ。
なぜなら、人が成長するストーリが好きだし、学校ドラマは主にそういうストーリだからだ。今回、生徒たちはもちろん、北川さんが演じる榎戸先生も成長するようだ。実は、北川さんのブログを読んだら、北川さん自身も成長する可能性は高いので、もう一つな楽しみがある。確かに五年前の初出演の美少女戦士セーラームーンのころと比べたら、演技が著しく上手になった。しかし、だからこそこの番組がオンエアーの間の上達がわかるかどうかは分からない。
やはり、現実の成長はフィクションの成長よりいいと思う。昨日の話の中でフィクションの味が簡単に見えた。もちろんコメディだから非現実的な部分は多いが、基本的にドラマの枠組みの中で人の深刻な問題を解決するのは、現実にはあり得ないが、ドラマが楽しくなるために必要だと言えると思う。つまり、ドラマになるために現実とずれるしかない。だから、楽しいが、現実の方針に影響を直接与えない。人の看板を勝手に壊さないよね。(見なかった人は分からないが、昨日の話の中の出来事だった。)
だが、広い意味で取ったら、成長を引き出すのは大変いいことだと思って、先生の役割だと思う。だからこそ先生として働いている。確かに、英語の家庭教師のような仕事で人の人生を全面的に影響を与えることはない。それは高校などの担任の先生との明らかに違いだ。しかし、英語の限られた分野の中でなるべく上達を支えたいと思う。この狭い分野でも、かなり難しいことだ。なぜなら、人がそれぞれ違うからだ、英語を勉強する目標によって、適切なレッスンの形が異なるし、目標が同じであっても、人によって効く方法が異なると思う。英語のレベルはもちろん、性格にもよる。だから、すぐに「こうしたらいい」とは言えない。話したら、「では、この方法を試してみよう。こういう場合効く可能性は低くない」ぐらい言えるが、いつも生徒の目標や上達を考えて、レッスンの形を調整するひつようがある。
だから、実は生徒の成長を支えているかどうか分からない。上達した生徒は多いので、落ち込まないが、私の影響で上達したかどうかは言い難い。いつも勉強する人の努力や才能は一番だから、先生の役割はそういうやる気を生かすにすぎない。一か二年前に書いたような気がするが、先生は生徒のための存在だと思う。生徒が先生を尊敬しないなら、先生の仕事は難しくなるが、先生が生徒を尊敬しないと、絶対無理だと強調したいのだ。
宿命と言ったらちょっと大げさだが、先生としての責任だ。だから、先生が私が直面する問題より深刻な問題を簡単に相次いで解決するドラマを見るのは、楽しい休憩になる。

政治家と民主主義

Posted by チャート・デイビッド on June 30th, 2008

昨日Foresightという日本のニュース雑誌で日本の国債についての記事を読んだ。日本の国債はひどいことは有名だが、どれほどひどいか分からなかった。GDPの二倍に近づくなんて、あり得ない。ちょっと前の環境問題と同様に、これも政治家が自分の任期に難しい政策を避ける現実の結果だと言える。日本の債務を減らすため、増税プラス年金カットなどが必要となるので、政治家がそうしたら、選挙で敗北してしまうはずだ。
だが、もう少し広く見たら、これは政治家の自己主義に止まらない。民主主義の制度で、政治家の義務は、有権者の希望に応じることにあると言えるだろう。だから、有権者の大半が環境を破壊したかったら、目覚ましい国債を積み重ねたかったら、政治家がそれに従うべきだと言えないのだろうか。民衆の意志を無視する政治家はむしろ悪質な政治家だと言える。
そう言ったら、民主主義の芯にある問題が浮き彫りになる。民衆の大半は、希望の結果をあまり考えないので、民衆の意志に従う行為は、災害をもたらす。
だが、他の選択肢は何だろう。イギリスの第二次世界大戦の時期の首相のチャーチルが言ったと言われた言説は、「民主主義は最悪の政治制度だ、他の全てを除けば。」ということだ。要するに民主主義の問題は深くて深刻なのだが、違う制度を見たら、より深刻な問題がある。政治家が民衆の意志に従えば問題があると言ったが、そうしないと本当に政治家の自己主義に基づいた国家があるので、より大変な問題が発生する。元ソ連やミャンマーを見たら分かるだろう。だから、確かに民主主義には問題があるが、民主主義を排除したら問題が解決しない。
少なくとも、解決方法があったら、純粋の民主主義にはないと言える。政治をより良くするために、民主主義と違う要素を使う必要があると私が思う。一方、民主主義は基礎ではなければ、歴史に見える問題が発生するに違いない。このバランスをどうやって取れるか、私もさっぱり分からないので、民主主義を擁するしかない。だが、理想な政治制度だと言えない。

環境問題が災害になる理由

Posted by チャート・デイビッド on June 25th, 2008

よく考えたら、地球温暖化が災害になると思わざるを得ない。なぜなら、政治家が災害を防ぐとは思えないからだ。それはなんでかというと、政治家には世界に住んでいる人の命はおろか、国民の命は支持率ほど大事なことではないからである。これは、日本の政治家には限らない。イギリスの政治家も、アメリカの政治家も、同じだ。
温暖化を止めないと、災害が起こるのは予想できる。だが、まだ予測に過ぎない。防ぐために、温室効果がすの排出量を大幅に削減する必要がある。そうするために、経済に悪い影響を与えるしかない。もう経済を保ちながら削減する余裕はないからだ。例えば、車を禁じたら、必要な削減に近づけるが、トヨタの営業を初め、経済や生活を悪化することはいうまでもない。
では、仮に勇気がある政治家が必要な対策をとるにしよう。世界中の政治家がそうしないと意味はないので、世界中なことにしよう。あり得ないといえるね。でも、そうしたら、災害がおこらない。そして、国民などは、「あの苦しい政策は不要だった。何も災害はなかった。政治家に騙された。」と言って、選挙で政権を変えるはずだ。2000年問題の前例を見たら、結局対策が効いたので、大きな問題にならなかった。そして、「不要な経費だった」という声は少なくなかった。対策の重さが感じるが、災害が防がれたら、救済の感じは全くない。国民一般だったら、環境災害乎防いだ政治家は選挙で敗北するはずだ。
だから、政治家から見れば、効果がある対策を執行するのは、自分のキャリアを殺すと等しい。世界中の政治家がそういう政策を執行しないと、災害になる。だから、災害になると予測できる。

地球温暖化対策

Posted by チャート・デイビッド on June 19th, 2008

最近また地球温暖化対策について考えてきた。洞爺湖サミットで論議するつもりだし、最近福田首相が日本の目標を発表した。だが、福田首相も、他の世界中の政治家の態度は、無責任だと言わざるを得ない。なぜなら、目標の年度は、いつも数年後のことだ。すなわち、自分の政権が終わってからの目標だ。要するに目標を立てた政治家は、達成しない場合も関係なくなったはずだから、責任を負わなくてもいい状態になる。2050年の目標は、福田首相がもう生きていない時期のことなはずだし、2014年の目標も、政権が終わってからの時点だ。
本当に取り組みたい政治家がいたら、自分の任期の間にくる時点の目標を立てるはずだ。そうではないと、自分が何もできないはずだ。別な政治家が権利を握ったら、前の政治家の目標が無意味になる。そして、よくあることは、今の任期の間にすることは少ない方、将来に本当に頑張る政策を立てることだ。これは、無責任の極まりだ。個人でも、「今ゆっくりするが、締切りが迫ってくると頑張る」という人は少なくないが、無責任な態度だと言えるのではないか。政治家も同じだと述べたいのだ。
温暖化対策の中で、今年やること、そして2050年までに八割削減するための政策の中でどういう役割を担うかという二つの点を発表してほしいのである。今年の分は軽いなら、説明する必要が生じる。こういう発表があったら、もう少し信頼感が湧いてくると思う。虚しい夢だよね。