私の生活、意見、日本語の練習

Archive for the '神道' Category

初卯祭

Posted by チャート・デイビッド on March 6th, 2010

今日は白幡さんで今年の初卯祭は執り行われた。ちょっと雨天になってしまったので、ゆり子が家で留守したが、真由喜に「一緒に神社に行く?」と聞いたら、積極的に「はい!」と答えてくれたので、二人でお参りした。神社に着いたら、いつものようにお参りしたが、したら真由喜は「帰ろう!」と言った。やはり普通のパターンの通りにすると思った。まだ面白い神事があると説明したので、真由喜が納得してくれた。
だが、太鼓が鳴り始めると、真由喜が「怖い!怖い!」と言いながら、逃げ出そうとした。抱いて、和んだが、やはり社殿に近づきたくなかったようだった。だから、今年私は神事をちゃんと拝見できなかったが、真由喜と一緒の時間を過ごしたので、良かった。神事の内容は、去年描写したので、今年省く。今日の仕事はちょっと忙しいし。

国際化に向き合う神社神道〜その二

Posted by チャート・デイビッド on March 5th, 2010

では、シンポジウムの続きを書く。
二人目の発題者は、ヒロ大神宮という神社の渡邊宮司だった。この方は、平成11年にアメリカに渡来したが、平成18年にアメリカ合衆国に帰化したそうだから、もう外国人の神主になった。ヒロ大神宮は、実はこじんまりの民社だと渡邊さんが言ったが、ハワイ大島には唯一の神社だから、「大神宮」という呼称があるそうだ。
そして、祭祀を執り行っている。毎月の月次祭は、一日と15日に行うが、一日には40家が参列するそうだし、15日には10家が参るそうだ。一月でご祈祷は20件から30件までだそうだし、お正月の初詣は4000人程度だそうだ。興味深いことに、渡邊宮司によると、参拝者の殆どは高齢者だが、この十年間の人数は変わらないということだ。もちろん、亡くなった人もいたが、定年になって参拝し始めた人もいるそうだ。やはり、暇の問題も関係あるようだ。日本の恒例の祭祀に加えて、アメリカのキリスト教と関わらない祭日にも祭祀を行うそうだ。例えば独立記念日などに祭祀を執り行うと言った。
祭祀以外のイベントもあるそうだ。例えば、毎年いわゆる「ガラージ・セール」を行う。それには、二つの目的があると渡邊宮司が言った。一つは、神社神道と関わりのない地元の人に、神社の境内に入るきっかけを与えることだ。アメリカでは、自分の宗教と異なる宗教の宗教的なイベントに参加しないことは原則だが、ガラージ・セールぐらいなら、誰でも参加しても良いと思われている。神社の存在感を増すはずだ。そして、総代の会議でガラージ・セールのことを論じて、会議に内容を与えて、長くさせて、総代の間の交流を促す目的もあった。ガラージ・セールの写真を見せてもらったので、かなり隆盛なのようだ。
渡邊宮司は、誰の参拝者にも声をかける方針を持つそうだ。地元の人でも、日本人の観光客でも、他の国の観光客でも、声をかけて、質問に応じるそうだ。その目的は、「神社のリピーターを作る」ということだそうだ。それは、ヒロ大神宮だけではなく、他の神社にも参拝したくなるように歓迎する方針なのようだ。それはいい方針だと思う。日本人の観光客の間にも、神主と話したことはない人は少なくないそうだが、帰国して、またお参りするのだろう。
ところで、余談だが、渡邊宮司がアメリカに入国しようとしたときに、入国管理局から質問があった。それは、当時渡邊宮司が奉仕した神社の祭神とヒロ大神宮の祭神は別の神だったから、本当に同じ宗教なのかどうかは疑わしいことだったそうだ。結局、神社神道に詳しいアメリカの弁護士を通して問題を解決できたそうだが、やはり西洋の宗教観念から考えたら、神が異なったら、宗教も異なるのは常識に近い。
ハワイの神社はちゃんと生きているようだ。大変盛んになっていると言えなくても、近い将来に絶滅する恐れもないだろう。だが、日系のアメリカ人の崇敬者は殆どだそうだから、どれほど土着したかはまだ疑問だ。日系の人はまだ三世か四世だから、まだ日本との絆は比較的に強いだろう。それが薄まるとともに、神社の状況はどうなるのかな。未来を待つしかないが、やはり暗い見通しではないのだ。

諸祭式要綱 続編

Posted by チャート・デイビッド on March 3rd, 2010

この本も、神社本庁が選定した神職向けの本だ。中に載っているのは、臨時祭式の次第だ。稲作関係の祭りは多く描写されるし、人生の節目の祭りも、工事関係の祭りも載っている。
いつものように、興味深い点がある。先ず、初版は昭和45年だったので、工事の祭式は、経済の成長期に相応しい祭式が多い。工場や機械の稼働に当たる祭式も、新しい道路の開通の祭式、水道などもある。火入祭で、電気の竃の次第や祭神も書いてあるが、原子力発電所に相応しい神様も定められた。(八意思兼神だそうだ。)近現代以降の祭式も入っているので、神道の変貌もこの本で見えるが、稲作の祭式も載っているので、不変なところも見える。
そして、祝詞の例文が沢山書いてあるが、天皇や皇室に触れる例は極めて少ない。二つぐらいなのような気がする。成人式の祝詞には、「皇御国」の繁栄を祈るが、その程度だ。これは、研究すべきところだと思うようになったが、ちょっとデリケートなことだと言われるので、この点から自分の研究を始めたくないのだ。将来の課題に貯めておく。
この要綱を読んだら、参列した祭式が分かるようになった。そして、本で読んだ祭式も、この本から取った次第か、独自の次第か、それも分かってきた。やはり神道を知るために、重要な情報だ。

国際化に向き合う神社神道〜その一

Posted by チャート・デイビッド on February 24th, 2010

日曜日に國學院大學で開催されたシンポジウムに参加させていただいた。課題は、国際化と神社神道だった。発題者は、ハワイに鎮座する神社の宮司(二人)、アメリカ本土に鎮座する神社へ調査してきた学者、南米のパラグアイでの神社建立と関わる神職、そして神社本庁の広報部国際交流課に勤める方だった。シンポジウムが結局5時間になったので、粗筋にしてもすぐに伝えられないが、大まかに言えば、神社神道には国際化と取り組む方針はないと言えるようだ。個人的に取り組む神職もいるが、神社界の全体から見れば、何もないようだ。
最初の発題者の二人は、ハワイに鎮座する神社の宮司だった。先ず、ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮の瀧澤宮司だった。名古屋市生まれで、ハワイに宮司として渡ったのは、平成6年だったそうだ。瀧澤宮司によると、当時に神社には三世の日系人は少なかったし、年中行事は三つしかなかったそうだ。お正月と二回の例大祭に限られたそうだ。だから、瀧澤宮司が最初に勤めたのは、神社の存在感を増すことだったそうだ。神社の界隈は治安悪い地域だったそうだから、神社の代表者としてボランティア活動に参加して、神社があることに周りの人を目覚ませたそうだ。
そして、神社のイベントを増加した。日本の文化を紹介するイベントを想像して、実現したという。例えば、お正月の参拝でお雑煮を捧げることもあるし、11月には七五三の参拝を承るそうだが、貸出着物は無料だそうだ。着物を着ている可愛いハワイからの子供達の写真も見せた。そして、アメリカの学年の始まりに合わせて、8月に学業成就の祈祷を行うそうだ。
6月に夏越しの大祓をするが、茅の輪もある。(写真を見たら、現地の植物を使うように見えたが、形は日本でよく見る茅の輪と全く同じだった。)だが、同時にペット祓いも行う。ペットを祓ってもらうために来る人は多いそうだ。結局、イベントは毎月に一回ぐらいの頻度になったし、お正月の参拝客の人数が1994年の1000人程度から、一万人まで増えたそうだ。
やはり、一人ずつの発表になりそうだ。後日の記事で続ける。お楽しみに〜

池尻稲荷神社

Posted by チャート・デイビッド on February 18th, 2010

大山街道の次の神社は、池尻稲荷神社だった。かなり広い境内を持つ神社で、看板によると旧池尻村の産土神だそうだ。
明暦年間(1655〜1658)に鎮座されたそうだから、江戸の早期からあった神社だ。お稲荷様というのは、言うまでもない稲の神様だが、商売繁栄の神様にもなって、江戸で大人気だったそうだ。だが、現在の状況にはちょっと珍しい側面もある。社殿の写真に伊勢の神宮の式年遷宮の幟が見えるが、それは神社本庁が所属神社に頒布するものだと思う。それに加えて、社頭に置いてあったチラシのなかに、伏見稲荷大社が刊行した情報誌もあった。
それはなぜ珍しいかというと、伏見稲荷大社は神社本庁に属していない神社で、普段は伏見稲荷大社に属する神社は神社本庁に属しないと思ったからだ。それはまだ普通だと言えるかもしれないが、少なくとも池尻稲荷神社は例外だ。
ご存知の通り、明治時代に所謂社格制度があった。一番上は伊勢の神宮だったが、特別で社格はなかった。社格の一番高いのは、官幣大社だった。下の方に「村社」という社格があった。池尻稲荷神社が村社になったようだが、入り口にある石碑にそれを刻んだ。だが、戦後その社格制度は廃止され、神社が独立して宗教法人になった。写真から見えるように、石碑に刻まれた社格は、後で削られ隠そうとされた。こういう風に神社の名前を表す石碑は多いが、これで初めてわざわざ社格を消去された石碑を見た。なぜそうされたか分からないが、神社神道の歴史の一部が見える石碑だ。
神社の歴史には、大山街道の辺りにあったことは重要だったようだ。境内にある看板によると、旅人が参拝したので、神社の特に盛んになったそうだ。それにちなんで、旧大山街道に面する入り口で、旅人の銅像がある。なぜ子供の銅像になったか分からないが、この稲荷神社は「子育て稲荷」としても崇敬されたそうだから、それと関係があったのだろう。ちなみに、「火伏稲荷」とも言われたそうだが、火事は大変恐ろしい存在だった江戸で、火伏の神徳がある神社は少なくない。
境内には井戸があるそうだし、その井戸は霊水だと言われる。だが、帰ってから案内板を写真で読んだ時に分かったことだから、現場で井戸を見なかった。その霊水の資格は、伏見稲荷の託宣によるものだそうだが、詳しいことは分からない。やはり、どこの神社でも、このようにちょっと明らかではない歴史などがあるはずだ。私も、旅人だったので、表面しか見えなかった。

宮益坂の御嶽神社

Posted by チャート・デイビッド on February 13th, 2010

大山街道をちょっと遡って、渋谷の宮益坂に鎮座する御嶽神社(みたけじんじゃ)を紹介したいと思う。この神社には、三つの興味深い点があるが、社務所の定休日だったし、あまり問い合わせする余裕はなかったので、本当の経緯が分からない。
御嶽神社は、高層ビルの隙間に入っているのはいうまでもないだろう。宮益坂郵便局の隣に鎮座して、風景の写真から分かるように閉塞感がある空間だ。道から階段を登って、神社に至る。だが、境内を見たら、ビルの上にあるように見える。つまり、屋上の神社に見える。しかし、國學院で聞いた神社本庁の原則は、神社は「土の上、空の下」という状況だ。だから、本当に屋上だったら、神社本庁に認めてもらわないはずだ。だから、神社本庁に属していないか、それとも見た目と違って、実は廻りに掘り削られた丘の上に鎮座するだろう。
そして、境内には不動尊が堂々と祀られる。ご存知の通り、神仏分離令で仏教の色があるものを神社の境内から出す義務が課された。そうなら、なぜここにあるのか。案内板によると、延宝9年(1681)からあった不動尊だそうだから、戦後に鎮座されたわけはないだろう。80年間別なところで保存され、渋谷の開発の内にここに遷座された可能性もあるだろうが、もう一つの可能性を見つけた。
神社での案内板によると、明治天皇が御嶽神社で休憩したことがあるそうだ。これは、明治3年、つまり1870だった。神仏分離はまだ完全に遂行されていなかっただろう。そして、明治天皇が不動尊に参拝したら、取り除くことが難しくなるだろう。だから、境内の外に移したら、神社に近くても問題にならなかったかもしれない。
理由はなんと言っても、また神仏習合の名残がある神社だ。
最後に、狛犬のことだ。写真で明らかだが、狛犬は本当に犬、または狼、に見える。これは珍しい。神社に参拝したことがあったら、狛犬は架空な動物で、ライオンに似ているのは普通だ。稲荷社では狐がその役割を担うし、日枝神社で猿が狛犬の役割に就くこともあるが、犬や狼は別だ。御嶽神社は普通岐阜県の御岳山系の神様だが、祭神についての案内板はなかったようだったので、この神社の場合がどうなるか分からない。だから、祭神の使いは狼だという可能性があるだろう。
この御嶽神社は有名な神社ではないと思うので、神社には強い個性があることをまた実感した。実は、大山街道沿いの神社に参拝しながら、個性的な神社ばかりだったような気がした。どこの神社でも同じだろう。神社神道は均一された宗教ではないことは明らかだ。

一度参拝したい日本の神社55

Posted by チャート・デイビッド on February 11th, 2010

この本の中で55の神社は紹介される。タイトルから分かる内容は多いよね。作者の青柳和枝さんは、20年間日本の神社の参拝を続けてきたそうだし、体験の味がある紹介は多いので、信じやすい。北海道の北海道神宮から沖縄の波上宮まで全国に点在する神社を覆うので、面白い。神社についての内容は、独特な偏向はないようだから、信頼感もある。私が他の本や個人な経験で学んだ場合、ほぼ妥当だから、相違がある場合、私が間違えた可能性を無視できない。
ちょっと不思議なことに、神社の場所は、市まで書いてあるが、交通案内は全くない。だが、現代のインターネット時代に、本に乗っている有数な神社であれば、ネット上で交通案内が見つけられるはずだ。検索するための情報は充分だから、大きな問題だとは言えない。
選択された神社の間に、欠かせない神社も含まれているので、或る程度予想の通りだった。伊勢の神宮の内宮と外宮は勿論、鹿島神宮、出雲大社、厳島神社なども載っている。だが、定番ではない神社も入っている。例えば、東京の井草八幡宮や箱根の九頭龍神社も載っている。そして、一の宮ではない神社の載っているし、前に読んだ100選の本に載っていなかった神社も載っている。だから、これからの参拝計画に役に立つ。
ところで、神社界隈のコラムは多いが、作者は蕎麦好きだと推測で着る。なぜなら、美味しいと評判する蕎麦屋さんが沢山紹介されるからだ。
これは文庫本で、初心者向けな内容だから、気軽に日本の神社に巡拝したかったら、いい案内になると思う。