私の生活、意見、日本語の練習

Archive for the '神道' Category

神道を知る講座IV〜第7回

Posted by チャート・デイビッド on October 2nd, 2008

昨日は國學院大学での神道講座だった。夏休みが終わって、昨日から再会した。今年度の神道思想のテーマで、今回と次回は垂加神道をテーマとする。垂加(すいか)神道というのは、山崎闇斎という人に発生された神道の宗派である。(なぜか、パソコンで垂加も闇斎も用意に出てこない。ちょっと学問的な言葉だろう。)闇斎は京都で1618年にいうまれ、1682年に死亡した。少年の時代延暦寺や妙心寺で仏教を勉強したが、天才として認められ、30歳に京都に戻って還俗した。あのころから朱子学をよく勉強したそうだが、神道も勉強した。妻は、下鴨神社の社家の娘だったというし、時間が経ったら様々な神道者と接したという。特に伊勢神道も吉田神道の伝授を受けたようだ。それは大変珍しかったと教授が言った。基本的には、一つの流と属したら、他の流に認めてもらえないようだ。実は、伊勢と吉田神道だけではなく、土御門家の阿部神道、賀茂社の神道なども受けたそうだ。才能は必要だが、当時の寺社奉行は闇斎の仲間だったことも無関係ではないだろう。
さて、殆どの神道流を汲んで、儒学も加えて、いわゆる垂加神道を発生した。塾も開いて、闇斎の弟子も多かったし、影響がある役に就いたことは多かったようだから、垂加神道の影響も強かった。講義で一つの例として出雲大社のことを挙げてもらった。闇斎は江戸にいた間に出雲大社から寺社奉行への依頼が来たそうだ。その用件は、遷座だったが、当時の神仏習合の形の神社ではなく、現在にある神道のみの形にしたかったようだ。ただ、それに大変な費用が必要となるので、幕府に依頼するしかなかった。闇斎の考え方で、仏教を神道から払拭すべきだったようだから、この依頼を擁した可能性は高いという。経緯はなんであっても、結果は出雲大社の変貌だった。
もう一つの重大な絆を挙げたい。伊勢神道には神道五部書という重大な教書があったが、中世や戦国の混乱で大事な「倭姫命世紀」という一部がなくなったそうだ。だが、闇斎が上加茂神社で写本を見つけたので、吉田神道だけではなく伊勢神道とのコネができたという。(残った逸文や引用から本物だったことが確認できたというし、今も度会家によって中世に著された本として認められている。)
垂加神道の内容について少しだけ語ってもらったが、呼称が発祥した中心的なところだった。それは、祈祷するときに神様からの加護を貰おうとするが、その条件や本は自分の心の中の正直だということだった。闇斎によると、心も祠だという。要するに、神聖な魂が心に潜むからこそ祈祷したら神様が応じるということだ。正直はなかったら、神聖さが欠けるので、祈祷の応えは期待できないそうだ。つまり儀式だけではなく、日常的な行動などにも重視を置いた。
次回は、もう少し垂加神道の内容が明らかになると思うので、楽しみにする。

神社有職故実

Posted by チャート・デイビッド on September 29th, 2008

また神社本庁発のISBNもない本を読んだ。この本は、神社にある物についての説明だ。建物ではなく、御簾、狛犬、ご神体、大麻などのことは紹介される。興味深い。
殊に本殿の中にあるご神体の装飾や御座の構えも描写され、説明される。普段は本殿の中の状況が見えないので、分からなかったことが分かってきた。ご神体を包んで、箱に入れるのは普通だそうだが、ご神体は影像である場合、特に彫刻である場合、包めるかどうかは疑問だ。そして、如何に神社本庁から着た人でも、神社の本殿に入る訳はないので、どのぐらい現実に当たっているかも疑問だ。勿論、遷座するときに新しい本殿の内装が分かるが、かなり古い神社もあるし、その神社の固有伝統も保つはずだから、例外も多いかなと私が勝手に思った。描写された形は基準だというのは、疑わないが、隠れたことの現実がいつもちょっと気になるね。だから吉田兼倶が「秘密は敬虔を促すためだ」と言っただろう。
最後に装束の説明があったが、それは装束の本の略式だった。(著者は同じ人だし。)楽器の章も興味深かった。神道の楽器は殆ど中国から伝わったものだそうだし、平安朝の時代から使われたそうだ。だから、明治維新で復古をしたときに、雅楽はなぜ維持されたかはちょっと謎だ。平安時代以前からの習慣を、神仏習合を始め、排斥したが、同じ時代からの伝統を受け取ったことだから、長い伝統からただ好ましいことを選んだのではないかと思わざるを得ない。
この本によると、神社の伝統を継承するのは大事だそうだが、それと言っても詳しく定められたことは多い。そして、このほとんどは明治時代からのことだ。江戸時代に圧倒的な支配力を握った吉田家の伝統は払拭されたことは周知の通りだから、仏教のことを除いても明治維新が神社の伝統を尊敬したとは言い難いのではないか。その上、中央に据えた神社界の伝統は、即ち神宮の式年遷宮は、百二十年以上中絶されたことは認められた事実だ。明治維新は、まだ百五十年前の出来事ではない。だから、明治維新の変更から遡って、その前の神道の形から示唆を承けて、神社毎の伝統を作っても、神道の伝統を継承することなのではないだろうか。

白幡さんの例大祭

Posted by チャート・デイビッド on September 21st, 2008

今日は白幡さんの例大祭だった。真由喜と一緒にお参りしたが、ゆり子には用事があったので、二人でお参りした。真由喜がいないうちにゆり子が様々な用事を済ましたようだから、よかった。
さて、例大祭は二回目だった。引っ越したばかりの2005年には神社を見つける前に終わったし、去年真由喜が生まれたばかりだったので行けなかったので、2006年にお参りしたし、今年もお参りした。例大祭で周りの神社からも神職がくるようだし、雅楽は生演奏だ。さらに奥にある簾を上げるのは例大祭のみような気がする。けいひつも三回するが、けいひつは初卯祭にもあったし、夏祭りにもあるかもしれない。祭り自体を外から見てから、禰宜舞のために拝殿に上がった。真由喜はちょっと眠かったと思うが、新しくて面白い場所にいて、周りをじろじろ見た。確かに白幡さんに数回行ったことがあるが、まだ若いのでちゃんと覚えていないだろう。禰宜舞が始まる前にちょっと泣いたが、泣き止んで楽しんだようだ。特に禰宜舞の舞をじっと見て、宮司が去ったら方向をちょっと見つめた。だが、最後の方の矢と餅投げはちょっと怖かったようだ。他の子供たちが大騒ぎしたし(実は子供に限られなかったが)、真由喜がちょっとびっくりして「これ、何?」と思うような顔した。だが、大変泣かなかったし、機嫌がすぐになおったので、大丈夫だった。
やはり、お参りできてよかった。来年、真由喜がもう少し積極的に参加するのかな。

装束と衣紋

Posted by チャート・デイビッド on September 17th, 2008

これはまたアマゾンで扱われていない神社本庁刊の神職要請関係の本だ。この本は、神職の装束についての本だ。「衣紋」というのは、装束の着せ方ということだそうだ。なんで「紋」の字が出てくるか私には分からないが、きっと語源には理由があるはずだ。
さて、内容は装束の詳しいことだ。普段祭祀で着るのは「狩衣」という装束のようだが、これもかなりややこしいと思う。祭祀はない場合、下着(というより、小袖)と袴を着ていると思うが、袴から神職の階級が分かるのは面白い。下級の神職はよく見る水色(浅黄というが)の袴を履くが、もう少し上なら紫色で、また上で紫で藤の丸の紋がある袴、そして一番上なら白くて藤の丸の紋がある袴だそうだ。一番上の模様を見たことがないような気がするが、その下をみたことがある。
そして、女性の神職の装束だが、「色目適宜」ということもある。(袴は男性と同じだが。)これは事実にどうなるかはちょっと気になる。一番フォーマル正装の場合に許されているし。
衣紋の報でちょっと驚いたのは、装束を着るときにまずは下着の小袖だというのは当たり前だが、次は冠や烏帽子だそうだ。私の常識には、冠るものは最後になることだが、やはり神社で違います。ただ、烏帽子だけではなく、単も袴のまえに着せるようだが、神職が祭祀の準備したら、袴をまず脱いで、そして烏帽子を冠って、単を着て、それからまた袴を履く。。。はずはないよね。本の原則と異なる現実があると私が推測するが、間違えているだろう。
ところで、本の序で「裝束の正しい著方を出來るだけ判りやすく纏めることにした」とかいてあるが、古い仮名遣いもふるい漢字も使われている。「當」と字は、「当」の意味のようだとか。なんて、現代語に訳してほしいなと思うぐらいだった。一方、面白くて新しい漢字と出会ったので、一概に批判できないのだ。

改訂・神道教化概説

Posted by チャート・デイビッド on September 12th, 2008

この本は、アマゾンで扱われていない。ISBNもない。なぜなら、神職養成講座の教科書だからだ。一般の人が買うのは稀だろう。タイトルから分かる通り、教化についての本だが、教化の内容より教化の方法を論じる。神道の立場から考えたら、やはり教化は簡単な問題ではあるまい。
神道には教説はないとよく言われているし、説教の習慣もあまりないと言ってもいいだろう。だから、社頭で五分の解説などは、本の説教の勧めになるようだ。カルチャーセンターのような形で神道を始め、日本拠点文学や伝統文化について演説することも勧められているが、それは説教と多少異なると思う。
面白くて考えさせることは、境内の掃除も教化に含むことだ。殆どの掲げられた手段の目標は、周りの社会で神社の存在感を高まることなのようだ。要するに、神道は儀式の宗教だから、神社の存在を認識して、祭りに参列する人が多ければ多いほどいいと言えよう。別に帰依することはないだろう。広告のやり方とか、マスコミの扱い方などは存在感を高まる方法なのは否定できないだろう。だが、祭りを復活することも、新しい祭りを発祥することも、同じことを目指す。
新しい祭りの話は特に興味深かった。例として、神前結婚や試験合格祈願のことは挙げられたが、それは社会の変更に応じて発明された祭りだと言える。しかし、本がいう通り、ある日試験戦争が終わるはずだから、いつも社会のニーズに応えるように頑張るしかない。特に高齢化社会で、年上の人向けの人生節目祭りが必要になるだろう。子供と言えば、初宮参り、七五三、成人式があるが、厄除も女性の場合40歳になる前に終わる。だから、還暦の祭りなどを始めたらどうかとの提案がある。そして、古希などの注目された年齢のための特別な祭りをしたらどうかとの提案も。私は、賛成だ。農耕に努める日本人はもう少ないので、耕作と関わる祭りはもう身近ではなくなってきた。古から伝わってきた祭りを辞めるわけにはいかないが、現代の生活に関わる祭りも発想したほうがいいのではないか。

諏訪大社の御柱と年中行事

Posted by チャート・デイビッド on July 26th, 2008

六月に諏訪大社にお参りした時にこの本を受けた。(授与所で受けたので、正式に「買った」とは言えないだろう。)本のタイトルは、内容を正しく伝えるが、御柱(おんばしら)のことを聞いたことがない人もいると思う。「神道」という言葉さえ分からない人がいるそうだから、より学問的な「御柱」を知らない人は多いだろう。
御柱というのは、七年目ごとに行われる諏訪大社の最大の祭だ。中核は、16本の大きな木を伐採して、山から諏訪大社の四つのお宮まで曳行して、建てることだ。その柱の直径は、1メートルほどだし、長さは16メートル程度だから、かなり大きなイベントになる。観光客が集まるようだから、聞いたことがある人はいなくはないと思う。それ以外、本が年中行事を説明して、歴史も現状も紹介する。
作家は、諏訪出身で諏訪大社のことを20年間研究された方だそうだが、本の章はもともと新聞などに連載したという。だから、同じ内容を繰り返すところはあるが、一方一章一章読んでも分かりやすい。御柱の盛大さはもちろん、他の年中行事も興味深かった。例えば、上社でお正月に蛙狩りの神事があるようだ。これはちょっと不思議で、どういう起源があっただろうと思わせる。そして、諏訪湖の結氷の亀裂から翌年の気候などを占う行事も興味深い。
気になった点は、国家や皇室と関わる行事は殆どないという事実だ。作家もそういうことを指摘する。諏訪大社は、古事記で登場するが、天孫降臨の先駆者に負けて、諏訪に逃げ去る神様だから、この信仰が大和朝廷との薄い関係を持っていたのは明らかだ。神道の入門などは、皇室を真ん中に据える傾向は強いが、そうではない神社も多いのではないかと私が思ってきた。確かに入門で全国の100万神社を一つ一つ紹介するわけにはいかないので、入門を書く人を批判するつもりはない。しかし、神道の一面に過ぎないと言えるのではないだろうか。だから、この本を読んで、本当に勉強になった。
そして、祭りを焦点にする本だから、神道の実践が浮き彫りになる。それも、重大な側面だと思う。
要するに、興味深くて勉強になった本だ。

楽しい家族の一日

Posted by チャート・デイビッド on July 21st, 2008

昨日ゆり子のご両親が訪ねてきた。目標は、真由喜を見ることだったのはいうまでもないだろう。着く前にアメリカの家族とのビデオチャットしたが、チャットが終わる前に着いたので、アメリカの家族と挨拶ができた。やはりビデオチャットはいいね、特に家族が世界中に広がる場合。
さて、ゆり子のご両親が赤飯と豆を持ってきてくれたので、一緒にお昼を食べた。祖父祖母が真由喜と遊ぼうとしたが、真由喜がちょっと人見知りになって、私とゆり子を求めて泣いた。もう少し待つことになった。
昨日は、白幡八幡大神の夏祭りだったので、家族で行くことにした。私が神事の部分を見学するためにちょっと早めに行ったが、ゆり子、真由喜とゆり子のご両親がちょっと後で着いた。また気づいたのは、神事の最後に神職が「白幡八幡の夏祭りが無事に終わりました」と言ったことだ。正式に言うと、祭りは神事だよね。人が集まる部分は、本格的な祭りではないとも言える。確かに現代の言葉遣いでその楽しくて賑わい部分は祭りだが、元のことを考えたら勉強になると思う。少なくとも時代と一緒の変化が浮き彫りになる。
そして、いわゆる禰宜舞が始まった。今回は四回目だったので、もうブログで何回も描写したような気がするが、今回印象になったことを書くと思う。まずは、真由喜は意外にいい子だったことは目立った。泣かずにとは言え、殆ど静かにして舞いを夢中に見てくれた。真由喜が楽しんだと思えるし、周りの人に迷惑にならなかったので、よかった。そして、五番目の舞にはめでたい矢を視聴者に射ることがあるが、また取れなかった。今回近かったが、残念ながら隣の人に取られた。では、次回かな。餅投げも大変楽しかったが、前回より多かったような気がした。真由喜は、餅投げを不思議に見たので、まだちょっと若いようだ。ほかの小さい子供が喜んで取ろうとしたので、二年後真由喜がそうするかもしれない。
ところで、今年も取材された。今年読売新聞からの記者が参加して、周りの人をちょっと取材したが、そういう地元の祭りに行ったら、外国人と出会うのは驚かせるだろう。だから、去年も記録しようとする人に取材されたし、今回も。「外国人としてみたら、どういう感想ですか」と聞かれたら、非常に難しい質問だと思った。結局、「日本独特なことで、不思議で神秘的で面白くて」という曖昧なことになった。急に聞かれたら答えにくい質問だね。
では、祭りが終わったら、一旦家に帰ってから森林公園に行った。夕方の天気はちょうど良かった。気温もちょっと下がったし、いい風もあったので、気持ちは本当によかった。ゆり子のご両親は、まだ森林公園に行ったことはなかったので、紹介したかったが、行く度に「もっとここに来たらいいな」と思う。特に真由喜が歩き始めたらよく行ったほうがいいだろう。走り回らせたりするのは様々な側面からいいと思う。
公園のあとで、ゆり子のご両親がうなぎをおごってくれた。大変美味しかったし、ほかのお客さんには真由喜が「かわいい、かわいい」と言われたので、楽しかった。真由喜はまだ大変いい子したし、祖父祖母に対する抵抗感がなくなったので、交代しながら食べられた。
そういう素朴な一日だったが、本当に楽しかった。