日本日記

2005年1月20日

今日書きたい事がいっぱいあると思うが、書くための時間があるかどうかちょっと分からない。だから、書いてみる。

まず、今学期の選択科目は大変楽しそうだ。会話授業でもっと自然の話し方を学ぶそうだ。いつか電話で日本人だと思われたらいいなと思うのだが、遠い将来のことに違いない。そして、書道の授業で絶対読めないほどきれいな平仮名の書き方を勉強するつもりだ。今日の歌の授業で平井堅の瞳をとじてという歌を聞いて歌った。毎週2曲が紹介されるということだ。

でも、私にとって、一番楽しそうな選択科目はドラマという選択である。その授業で一緒にドラマを創って、公演することになった。今週、ドラマのシナリオを広く描いたから、来週詳しくシーンの順番を決めて、セリフを書く。それから、5週間は練習になる。特に、発音やイントネーションを上手くしてもらうと言われた。最後の2回に、演出する。1回目、ビデオで撮影されて、2回目先生方などの前で本場の演出をするということである。楽しみにしている。確かに、演技は別に上手ではないが、大変楽しそうのではないだろうか。

ちなみに、先学期の事の果だが、クラスメートの投稿は中日新聞に載せられるそうである。先学期原先生の授業に皆投稿を買いて、先生に手を加えてもらって、中日新聞に出した。私の投稿は選ばれなかったが、先生の話をちゃんと分かったら、記者はいい投稿と思ったが、政治家についてちょっと皮肉っぽいと評判して、載せるのを断った。たぶん政治家は怒る恐れがあるかもしれない。すなわち、私は検閲されてしまった。人権問題だ。(笑)でも、クラスメート3人の投稿は現れるし、私はもう出版してもらうことになれているので、いいと思う。

ところで、話題が変わるが、昨日税務署に行った。(余談だが、刑務所と税務署の音が似ているのは、本当に偶然だろうか。)確かにまだ税金を支払えないが、用紙を取って、手続きの説明をしてもらった。複雑ではないみたい。ビザの変更を申請する前に、税金を支払わなければならないそうだ。だから、なるべく早く支払いたいと思う。そして、様々な証拠を集めて、名古屋の入館に行って申請する。ビザをもらうように祈ってやまない。

ヤマサのデクランさんによると、所得税金より、年金のことは高いそうだ。だから、私の日本の年金基金にお金をあげなければならないかもしれない。最近クラスで高齢化問題について勉強しているので、年金の事はちょっと気になった。日本にずっと住んでも、年金を本当にもらうのだろうか。だから、ちょっと高齢化社会問題について考えてみる。

高齢化問題は複雑なので、ちょっと基本的に考えたほうがいいと思う。基本的に、税金や年金と関係ない問題だと言えよう。問題は、社会の労働者は、何人の労働していない人を養えるのかということである。例えば、仮りに一人の労働者は一人が養える場合、人口の半分が働いたら、大丈夫だ。だから、50年前のことを考えてみる。高齢者は少なかったと言われている。でも、子供が多かった。それに、女性はほとんど働いていなかったと思う。つまり、人口の働いている割合は4割に過ぎなかったのではないだろうか。

今日、確かに高齢者の割合が急増した。しかし、子供の数が非常に減少した。それ自体は問題だと言われている。が、高齢者の数と子供の数を足したら、合計が変わらない限り、基本的に問題はない。実は、私が読む限りに、合計は50年前の子供の数に足りない。それに、今働いている女性が多い。50年前のことを考えれば、子供と高齢者だけではなくて、女性も加えなければならない。確かに、昔の女性は家事をするために苦労をしたが、今苦労しないで済めるのではだろうか。家事に使っていた動力は、今他の事を創るために使える。つまり、女性が働いても、家の中で必要なことはまだされている。たぶん女性は両方をしているかもしれないが、それは別な問題、男女関係の問題、である。

それに、出生率を増やせば、大きい問題を創造する。言うまでもなく、世界の人口を増やしてはいけない。今でも、人間の人口が多過ぎるという専門家が多い。人口を減らすため、出生率を減少したほうがいい。別の方法もあるが、その方法は戦争、飢饉、病で人間を何百万人殺すことである。その道を歩みたくない。だから、低い出生率を受け取らなければならないと言える。

つまり、基本的に問題はないと思う。でも、そういっても、問題があるのを否定できない。どうして問題があるのだろうか。昔の状態をもう一度考えて見よう。不労働者は、すなわち働いていなくて養われている人は、ほとんど子供だった。子供は、自分の両親に養われている。例外もあるのだが、通常にそうである。一方、今の状態を見ると、不労働者の半分ぐらい高齢者だ。高齢者は、自分の子供に養われていない。また、例外があるし、この場面に例外が多いかもしえないが、一人の労働者四人の高齢者を養えないと思う。人口の減少傾向を続けたければ、その事実を直面しなければならないのである。

それに、人権問題も存在している。子供を生むと、責任をとる。だから、自分の子供を育たなければならない。が、生まれたからといって、責任を受けるわけが無い。両親が勝手生まれたので、子供には義務はない。確かに、両親を愛すれば、養うのは当然だが、両親を愛するとは限らない。さらに、上述通り、事実でしようとできない状況が少なくない。これは問題の根本なのではないだろうか。昔の制度は、子供の育ちにふさわしかったが、高齢者の支援にはふさわしくない。要するに、問題は制度の形だといえよう。

どういうふうに直せるのだろうか。上述通り、出生率を上げるのはダメである。これは難しい。社会の形を変えようとすると、人に批判して、抗議を直面して仕方がないのである。なぜなら、前の社会の結果は、権利として考えられているからである。だから、停年退職してから楽な日々を送るのは権利ではないと言わなければならないと思う。自分の準備が足りる場合、楽に生活できる。準備が足りないと、政府の責任は人生を保つことしかない。つまり、年金は自己責任にしよう。

これは、今の若者に促せばいいが、もう60代になった人に言っても、効果は無い。もう遅いのである。あの人のせいだとは言えない。社会の変化を予想できる人は、お金の問題がないに違いない。無理矢理辛い状態に追われた人を助けるのは、政府の責任である。すなわち、税金で足りる年金をあげるべきである。そうしても、今の若者に、すなわち私の世代に、楽な年金を約束しないほうがいい。税金を支払うのに年金をもらわないなど不平と思う人が少なくないはずなのだが、現世は不平のである。私の世代は今の老人のように戦争を生き延びないで済むことができた。それも不平と言われてもいいのだが、しかたがない。若者は数年の間に犠牲し、社会制度を変えることができるかもしれない。

前に述べた事をまとめると、社会が変わると誰かに損害をかけられる。今若者の税金を上げるのは、高齢者の年金を取り消すのより軽い。でも、問題を続けないために、これから贅沢な生活のための年金を自己責任にしたほうがいい。私たちの世代にちょっと辛い話なのだが、生き延びるはずなのである。

できたが、思った通り遅くなってしまった。だから、今日宿題の代わりに、この日記。