2005年2月5日
先週、授業で「真面目」という言葉について勉強した。授業の主な目標は読解練習だったと思うが、日本語の言葉の裏にある意味について考えさせるためにも作った。やはり、英国英語と同じ、「あの人は真面目だね」と言ったら、一概に褒めるとは言えない。「ちょっとつまらない人だ」と言う意味も含めているそうだ。そう知っていたのに、「これを読みながら、デイビッドのイメージが浮かんできた」と言ってくれたクラスメートがいた。
確かに、イギリスでも、日本でも、よくそういうふうに言われたことがある。でも、長い間受け入れられなかった。つまらない人だと言ってもいいかもしれないが、「真面目」の本来の意味はふさわしくないと思っていた。どうしてかというと、勉強などの代わりにたわいない事で毎日何時間もなくしたからだ。本当に真面目な人は、一分たりとも無駄しないと思った。なお、遊びだからといって、無駄した時間と言えるわけではなかった。遊びや休みの重要さは、幼いころからよくわかった。だが、やりたい遊びができないように下らない事をするなんて、無駄よりなにもないと思った。当り前なのだろう。
最近、すなわちこの6ヶ月ぐらいに、生まれて初めて時間をほとんど無駄にしていないように気がした。生まれて初めて、真面目だと言われても良いだろう。しかし、ひどいことが明らかになってしまった。やりたいことには、一生でも足りないのである。去年以前、無駄になった時間を見、真面目になるとやりたいことが全部できると思った。今は、日常効率を少し高めることができるかもしれないでも、やりたいことのために一日に少なくとも30時間が必要なのように見える。または、私には4時間の睡眠だけで満足になれたらできる可能性もある。が、現実を見、やりたいことの中からやることを選ばざるを得ない。
例えば、来週税金の用紙も、ビザの申請の用紙も備えなければいけない。それは大変時間がかかるはずなのである。でも、仕事もある。今本の部分を書いて途中で、締め切りが迫っている。その上、読書も重大な行動だ。今毎日1時間ぐらい日本語の本を読んでいる。内容も興味深いし、日本語にいい勉強になっている。この日記も書かないと、大勢の人ががっかりするはずだ。(「大勢」というのは、過言だろう。)無論、毎日学校に通わないといけない。このことをすると、時間もなくなる。が、良く見ると、「宿題」ということは、どこにも組み込まれない。宿題もやりたいのだが、(宿題をしないと、正直に「真面目だ」とは言えないだろう)宿題よりやりたいことすると、もはや宿題するための余裕はない。
(先生もこの日記を読むと思う。先生、申し訳ございません。)
これは唯一の問題であったら、問題と言っても良い。しかし、もう一つの問題を今週悟った。
本当に疲れてきた。更に、羽を伸ばす余地はないように感じている。
それは普通の社会人の状態だと言いたい人は少なくないかもしれない。確かに、そういううふうに文句を言う人に毎日出会える。しかし、まず、普通だからこそ、変えられた方がいい。それに、私の作家の仕事は、ちょっと違うことなのである。疲れてくると、できなくなる。普通の仕事も、寝りそうな状態でできないが、本を書くために、すっきりして覚めた体調が必要である。それに、頭を休めないと、アイディアが湧いてこなくなる。英語で、「Writer's Block」という作家病だ。作家にとって、まるで野球先週が両腕をなくしたかのような問題である。この問題を防ぐ対策を作るのは、私作家にとって、何よりも大事だと言えるだろう。
真面目になっても、バランスが悪いのように見ている。病気になる恐れがあるわけではないが、本がよく書けるほど高い状態を守るのは難しい。本を除いても、楽しんで日々を送れたほうがいいのではないだろうか。
小物
構成の悪さに対して対策として、この「小物」という章を作ると思う。ここに、本文に合わないことが入れられる。
先週「3C」や「3K」というものが授業に出てきた。私は、ちょっと今の日本について考えさせた。今の欲しいことは、「3安」といえるだろう。すなわち、安心、安定、安価。不況の中での意欲は、そのぐらいかなと思う。
ところで、先週の日記を中根先生にチェックしてもらった。赤インクはほとんどなかった。先生は青いペンを使ったからだったが。では、頑張り続けよう。