2005年4月14日
春といえば、桜。
桜といえば、お花見。
お花見といえば、日曜日にゆり子と一緒に行った。が、それは今年の初めての桜を見る経験というわけではない。なぜなら、私の家からゆり子の家まで歩くと、桜を何本通るからだ。学校の外の桜も、公園に生い茂った桜もある。春休みの最後を楽しんでいた子供が花の下で遊んだりしていたのもよく見えた。すぐに桜の下で学校に戻ったり入学したりする子供。写真を撮ったりしたが、やはり体験のほうがいい。
日曜日に、砧公園という場所に行った。遠いところなのだから、電車で行くことにした。ただ、一番近い駅で乗るなら、2、3回ぐらい乗り換えなければならないし、距離がますます遠くなるので、もう少し遠い駅まで歩いたほうがいいと思った。天気もよかったし、駅までの道は川の隣にいて咲いている桜がいっぱい並ばれていたので散歩も大変楽しかった。ただし、お弁当などは重かった。
それはそれとして、公園に着いた。いうまでもなく、人がたくさんいた。そういっても、上野公園のように有名な場所ではないし、東京の中心から少し離れているので、座り場所は見付けやすかった。咲き誇っている桜の下で食べたり話したりした。手作りのベーコンサンドは本当に美味しかった。花見してから、公園にある世田谷美術館に訪ねた。20世紀の有名な芸術家の物がたくさんあったので、楽しかった。が、花見や桜について書きたいと思う。
桜の特徴は、短い間に美しく咲いて、すぐ散ることである。今年、いつものように、東京で一週間ぐらい咲いた。すぐ失う美しさは特に美しいという考え方は、日本人に限られていない。そういっても、日本人はそれを深く感じているのを否定できない。桜が咲くと、何も感じていない日本人はいないと言ってもよいだろう。それゆえ、あの週末に日本人が桜の下で集まる。平日にできる人は少ないし、桜は週末に一つしか咲かないし、それに東京のような大都市に桜がある公園は限っているので、あの場所に大勢が集まる。ヨーロッパ人として、桜より人混みが目立っている。どんな小さな公園に行っても、宴会を開いている人が見えるし、名所で動けないほど混んでいることが分かる。大人気なアイドルが登場する場所のように見える。
アイドルがいると思っても、間違いはないといえるだろう。日本人にとっては、桜は永遠のアイドルとして扱われている。演出、すなわち花、を見たり、「きれいね」とか「超美しいなぁ」などと言ったり、家族や友達や同僚と一緒に楽しむ日本人。人間のアイドルは、数年間、最長数十年間、人気を買うが、桜は少なくとも平安時代以来人気がある。おまけに、毎年全く同じ演出をする。桜の秘密を発見できたら、世界一のアイドルになれるかもしれない。
無論、単純に花を見るためにお花見に行く日本人は少ない。公園で見回ると、食べたり、飲んだり、話したり、遊んだりしている人が多いが、実際に桜に夢中の人は、赤ちゃんに限っているといえるだろう。外国人はよく「お花見に行っても、日本人は、花を無視して、お酒をたくさん飲んだり、カラオケをうるさくしたりする。」などと言う。確かに、お花見は賑やかな行動だ。今日散っている花びらを見ながら短歌を詠む人は非常に少ない。手で数えられるだろう。しかし、その上「花を無視している」と言うのは早すぎるのではないだろうか。本当に花を無視したら、何日でもよいはずだろう。長い間桜をじっと見るなら、つまらなくなると思わないだろうか。が、咲き誇っている桜に囲まれて、親友と楽しむことは何より楽しいと言えよう。折りに触れて桜に意識して、「美しいなぁ」と言うのは、宴会の流れをうまく進める方法と言われてもよいだろう。桜に関心している日本人は、その時にこそ、楽しい宴会ができる。
これはアイドルの桜の秘密が発見されたかもしれない。人間関係を深くする機会、日常生活から離れる機会、親友や親戚との関係をやり直す機会、そして羽を伸ばす機会を与える桜は、いつまでも人気を持つなのである。桜は、日本人の良く隠された顔を象徴すると言えるだろう。義務を後にし、咲いている顔を愛されている人に見せるが、時間が経ち、嵐が来、その顔を散り失われる。桜と一緒に、桜のように美しい、桜のように儚い面が現れる。