日本日記

2005年4月22日

昨日、日記を書こうとしたが、話題がなかなか見付けられなかった。それに対して、今日話題が自動的に湧いて来た。今日、私は様々な仕事を集まって生活をしている。一つの仕事は、フリーライターということだ。これはメーンの仕事と言えるかもしれない。一番稼ぐ仕事というわけではないが、フリーライターは私のキャリアとして考えている。フリーライターの仕事の中にも様々な種類がある。編集者の役をしたりとか、出版社に課せた本を書いたりなど。確かに、それは楽しい仕事だ。

しかし、フリーライターの醍醐味は、自分で本を想像したり創造したりすることだ。英語での作家は、そういう本をよく自分の子供に例える。どこでも同じなのかもしれない。子供のように、小さくて力はない状態から立派な状況まで育てるのは必要だ。そして、過程の途中で、まるで子供が自立宣言をしたかのように、もともとの計画を変えることになることも多いようだ。親馬鹿のような作家馬鹿もある。作家は自分の作品を編集絶対にできないし、作品が批判されたら、心に傷を受ける場合は少なくないだろう。創るのに苦労が必要なのだが、できあがりを見ると、経験はないと分からないだろう。親も子供について同じことをよく言う。

つまり、私の計画通りの本を何より書きたい。概念があるが、概念は1割を過ぎない。9割は、概念をどう現実にするのかという問題だ。昨日なかなか進めなかった。効力がある方法はないように見えた。それにひきかえ、今日明らかな方法が見付かった。だから、昨日書くことに集中できなかったが、今日書くのを止めたくなかった。確かに、完成までまだ大変時間がかかる。しかし、今楽しくて速く進むと感じている。

この経験は創造する仕事の特徴を象徴しているだろう。概念や創り方が湧いてくる前に想像もできない。だからこそ、「創造」と言われている。もう想像できれば、もう創造は必要ではない。ただ現実することだけだ。創造とは、基礎の概念とも限らず、過程で何回も必要になることだ。だから、新しい計画を創るのは恐い。苦労は別に恐くない。どういう仕事でも、苦労が必要だ。恐いことは、今まで考えられていないことを何回も考えなければならないということだ。

これは、天才の科学者のように新しい世界の説明を発見したりなどを指していない。そういう大きな発見も含まれているが、主に細やかな発見も本人に恐い壁になる。例えば、私の本はTRPGの本だ。(念のため、TRPGについての日記も書いた。分からない方、どうぞ参照してください。)この本で、暴力を使わないで面白くて楽しいゲームを創りたい。でも、そういう方法や創りかたは簡単に発見されることはない。TRPGといえば、暴力を使わないゲームはないと言ってもいいだろう。せめて、人気になったゲームは全て暴力を中心に創られている。だから、新しい作りかたを探している。見付けても、世界に強い影響を与えないのは決まっている。そして、見付けるには天才など必要はない。しかし、見付けられるのも決まっていない。想像力が足りないと、半分しかできないというよりも、始めもできない。だから、恐い。さほど経験や能力があっても、今回できない恐れがある。

尚、普通の失敗の可能性と区別してもらいたい。編集者とか先生などとして働いているときにも、いつも失敗する恐れがある。人間こそ、たまに失敗する。しかし、場合がかなり違う。普通の失敗といえば、どうしたらいいかなんとなく知っているが、いざとなるとできない。創造の失敗の場合は、どうしたらいいか全然分からない。いざとなると見付けるという希望を持って、積極的に暗闇の中で道を探そうとする。道が存在しているかどうかさえ分からない。道を見付けるまで、仕事がなかなか進歩できない。道を見付けないと、諦めるしかたがない。道に乗っても、時々闇に消えて、もう一度探さなければならない。

要するに、本を書いたりとか絵を描いたりなどすると、闇の中で迷う日もある。私にとって、昨日はそういう日だった。が、今日道を見付け、進歩し始めた。だから、昨日日記も書けなかったが、今日、やはり、書いた。

小物

週末に、ゆり子とゆり子の友達のはなさんと一緒に、相原という町に行き、ゆり子たちの母校を訪ねた。相原は、東京都の多摩という地域にある町だ。多摩地方は、東京の一部分であっても、田舎と言われてもよい。岡崎より田舎の雰囲気がある。ゆり子の母校は、東京造形大学という大学だが、ゆり子の友達の展覧会を見に行った。ゆり子たちにとっては10年ぶりだった。だから、何回も「懐かしい〜」と言った。私は生まれた場所に戻ったら、同じように言うだろう。

そして、昨日英語の学生と面談した。学生を集めるのは、ちょっと時間がかかるが、教えることが大好きなので、初めての授業を楽しみにしている。