2005年5月9日
日本語を活かすために、毎日1時間日本語の本を読もうとしている。(余談だが、毎日日本語の会話をしたり、毎週日記を書いたりもしている。)今読んでいる本は、俵万智という作家の『言葉の虫めがね』という本だ。外国人の私にとって、興味深い本だ。なぜなら、日本語の使いかたや今昨の変更についての本だからである。始めたばかりなのだが、もう「超かわいい」とか「とか弁」などについて読んだ。実は、学校でこの本から引いたエッセイを読んだこともある。本の内容は役に立つと思うが、ちょっと矛盾を抱えるのではないかと私は思う。
この本の立場から見れば、正しい日本語そのものはないようだ。平板化の発音で言った「かなり」は、「ちょっと」という意味を表現してもよいと言われている。そして、「爆安」という言葉を作っても日本語と言えるようだ。私もそう思う。言語はいつも変更している。その上、フランス語の純粋さを守る委員会のような組織は日本には存在していないと思う。(イギリスも同じだが。)つまり、日本語は使われた言葉や文法以上なにもない。
しかし、そういう考えは正しければ、いったい何を私は学んでいるだろう。私の作った日本語は他の人の作った日本語と深い違いがあるだろうか。つまり、私の日本語は完璧である。確かに、新しくてまだ普及していない言葉、表現、文法がいっぱいあるが、そういう点を「間違い」と言えない。だろう。
無論、私もその意見に賛成できない。私の日本語はまだまだ下手だから、間違いはまだある。間違いだらけと言っても、過言ではないだろう。でも、どうして間違いと言えるか。私は日本人ではないからだと思う人は少なくないかもしれない。でも、その答えは単純過ぎるというのを否定できない。まず、日本人も日本語を間違えることができる。実は、言い憎いが、日本語の先生さえ間違えたことがあるようだ。日本人は、どういうふうに間違えられるかというのは、話題になる。
その上、変わった日本語を間違いとは言えない。方言を考えよう。「わからへん」というのは、間違いではないと思われていないのか。大阪弁は、間違いではなく、違う言い方である。英語をみると、同じようなこともある。米語と英語が違うし、インドで使われている英語は程遠く違う。が、間違いとは言えない。今日、英語の教えかたを研究している人によると、日本人の英語も正式に間違いだらけとはいえないそうだ。イギリスの使いかたを基準として挙げるのは、帝国主義的な行為だと言われている。
私は、この意見に賛成できない。どしてかというと、日本人の英語は完璧なら、私の日本語は確かに正しいが、私の日本語は正しくないからだ。インド人の英語は、正しい英語の種類として認めるが、日本で学んだ英語をもちろん、オランダで学んだ英語さえ間違いがある。
しかし、基準はいったい何だろう。ネイティブスピーカーの使いかたではなくて、何だろう。この問題は簡単ではないが、解決方法があると思う。言語の機能は、コミュニケーションのではないだろうか。簡単な解決として、コミュニケーションができないと、間違えると言えよう。これは明らかに簡単すぎる。例えば、中国人は、いかに正しい中国語を使っても、私とコミュニケーションができない。なぜなら、私は中国語は全然できないからだ。だから、「同じ言語ができる人とコミュニケーションができないと、間違える。」とはどうだろう。利点がある。中国人の問題だけではなく、インド人の英語の問題も解説する文章だ。インド人の英語は、イギリスの英語とちょっと違う言語だという場合、インド人は間違えなく時々イギリス人とコミュニケーションできない。
が、まだまだだ。先生である読者は分かると思うが、時々言葉がいかにただしくても、母国語同士の人とコミュニケーションできない場合は少なくない。特に、難しいことを説明しようとするときに、こういう経験がある。でも、話題のせいでコミュニケーションが難しくなっても、言語の間違いに至らないと思われていないか。
それに引き換え、言語には間違いがいっぱいあっても、コミュニケーションができる場合も多い。この日記も例として挙げよう。日本に来て以来、そういう経験がたくさんある。そう言っても、私の日本語にはまだ間違いがあると言いたい。それは確かだ。
では、これにしようか。「言葉のせいで、同じ言語ができる人とのコミュニケーションが難しくなると、間違える。」一方で、話題のせいでコミュニケーションが難しくなっても無関係だから、前者の例に応じる。そして、結局コミュニケーションができても、難しくなった場合、間違いがあるといってもよい。
そういうと、間違いの程度もある。文章の意味が伝えたい意味と全く違う場合、大きなミスと言える。例えば、現在刑の代わりに過去刑を使う場合。文章の意味と伝えたい意味は同じだが、分かり憎い場合、小さなミスと言える。この基準を使うと、新しい言葉を間違いと言われる場合は少なくなる。特に、「激安」のように分かりやすい造語は、間違いとは言えないだろう。でも、これはネイティブスピーカーと限らず、だれでも同じ基準で測ったほうがいいのではないだろうか。
つまり、私も日本語の造語を作ってもいい。分かりやすい場合、全然間違いではない。深安心だよね。