日本日記

2005年6月9日

彼女のお家に行くと、小学校を2ヶ所を通る。学校が終わる時に行くなら、家に向かっている小学生がたくさん見える。(学校に向かっている時に、私はまだ眠っているが。)イギリスでは、そういうことをあまり見えない。むしろ、親は大きい車で子供を学校に連れて行く。歩いて通う子供は、30年前のことだ。これは珍しいことではない。日本の社会は、イギリスの30年、40年前の社会と似ているところが多い。

例として銀行を挙げよう。日本では、地方の銀行がいっぱいある。イギリスの地方銀行は数十年前に合併し、全国銀行になった。そして、24時間のATMはまだ珍しい。特に、無料な24時間のATM。それは、イギリスの30年前の状態と同じだ。また、カードはあまり使われていない。これも、イギリスの30年前の世界と同じだ。私のイギリスの銀行口座がインターネットで操作できるが、日本ではそういう口座はまだ珍しいようだ。不便だと思う。一方、今新生銀行の口座を持っている。この口座は普通の口座だが、外貨も入れられる。イギリスで、そういう機能がある口座は大変珍しい。

他の例を挙げよう。私の家の隣の商店街では、私立の店が多い。チェーン店はあまりないようだ。30年前にイギリスもそうだったが、最近どこに行っても同じチェーン店ばかりが見える。イギリスでは家族に営まれた店の消去を後悔する人は多い。この問題は、まだ日本に来ていないらしい。

こういう例は数えられないほど多い。電車は結構きれいで時間割通り走っているし、落書きはあまりないし、知らない人との交際はまだかなり丁寧だし。一方、女性はまだ男性と同じように出世できないし、政府は環境にあまり気にしないようだし。よく言われていることは、集団と違う人はうまくいけないということだ。

私の立場から見れば、外国人にの態度もイギリスの昔のようだ。日本でまだ「わぁ〜、外国人だ。本物かな。すごい。英語を使おう!えっ?日本語ができる?信じられない!素晴らしい!」という反応が残っている。それがゆえ、イギリスで人種差別と言われている行為も多い。外国人だから、日本語が分からないという推定とか、お寿司が食べられないという推定など。が、日本で人種差別だとは言えないだろう。なぜなら、違う顔を見せる日本人は本当に少ないからだ。イギリス人は、白人、黒人、インド人、中国人でもいる。白人ではないからといって、イギリス人ではないというわけはない。確かに、日本にも白人の日本人がいるが、非常に少ない。そして、日本語ができる外国人はまだ珍しいのではないか。要するに、日本人の態度は、人種差別というより、現実に応じている態度と言ってもよいだろう。昔のイギリスと同じだと思う。

客観的に見れば、これは当り前かもしれない。イギリスは、250年前に産業革命を発祥した。日本は、わずか150年前に産業革命に乗った。ある立場から、明治維新以来イギリスの倍に進歩したと言えるだろう。そして、良いか悪いか、本当に決め憎い。女性の状態は悪いと認めたいが、子供の通学や商店街の店の状況などいいと言いたい。これから、イギリスの間違いを避け、進歩できるといいなと思ってたまらない。

しかし、この考え方は簡単過ぎると言わないとならない。日本は、50年前のイギリスと似ている点があっても、基本的には違う。例えば、日本で携帯電話は非常に普及したのは明らかになった。そして、高齢社会問題は、昔のイギリスには全然なかった。イギリスでも、少子化は最近の社会問題なのだ。一方で、温泉旅行は、イギリスの文化と全く違うことだ。茶の湯も、漫画も、着物も。日本を、昔のイギリスと同じにしたら、困ることが多いはずだ。つまり、違う国は違うのを否定できない。

だから、その印象には深い意味ではないと言えるか。それも、過言だと思う。比喩みたいな考え方と呼ばれても良いが、社会学では、比喩的な考え方はまだ必要なのようだ。似ている点があれば、昔のイギリスの過程を調べれば、日本の将来がちょっと分かるし、いい政策を立てられるかもしれない。イギリスでは、男女差別の問題は大部分解かれたようだから、方法が見付けられるはずだ。一方で、イギリスの鉄道や工場は大変な状態に陥ったので、原因を調べると、同じ運命を避けられるだろう。イギリスは、日本から学べることもあるはずだ。特に、産業を保つ方法はイギリスで失われたようだ。

が、国はそれぞれだから、そういうことを学ぶのは簡単ではない。無論、表面しか見えない私のような者は、素晴らしい計画を挙げられるはずはない。ともかく、日本の文化を見て楽しんだらいいだろう。