2005年10月6日
今週仕事をした。つまり、普通の一週間だった。マンションの家具が増えてきた。ソファー、寝室の照明、台所のキャビネットも届いた。生活が段々楽になっている。日曜日に久しぶりにArs Magicaを遊びに行った。楽しかったが、私の日本語はまだまだだという感じが強くなった。やはり、二人の会話なら一応分かるが、4、5人がいれば、分からない部分が急増する。「部屋の真ん中に象がある。」といわれ、「えっ」と思い、数秒後で、「あっ、像がある。なるほど。」に気づいた。TRPGなら、象がいる可能性もあるから。とにかく、勉強になった。
白幡八幡大社の本殿
月曜日も私の週末の一日だ。(土曜日に教えてもらいたい生徒もいるので、土曜日に仕事をしなければならない。)月曜日に湯島天満宮に御参りした。なぜなら、今はちょうど来年の結婚式の季節であの時の雰囲気が分かるからだ。そして、同じ日に私達の氏神神社に御参りした。あの神社は、白幡八幡大社という神社である。かなり立派な神社で、境内も静かで緑がいっぱいある。看板によると、いろいろな祭祀が行われているそうだ。見に行きたいと思う。
実は、最近神道が気に入った。本を数冊読んだり(例えば、わが家の宗教 神道、神道いろはなど)、神社に行ったり、考えたりした。魅力的なところが多いと思うが、一つの大きな支障がある。何だというか、神様が本当に存在しているのを信じていないということだ。大変大きな支障と言っても過言ではない。
確かに、天神といえば、1000年前に菅原道真という人物が生きていたのは信じているし、東照宮といえば徳川家康が本当に生きていた疑う余裕もない。しかし、この人でも、今も神様としてこの世界を見下ろし、人間の祈祷に応じ叶えるという存在があるとは信じられない。なぜなら、全く証拠はないからである。祈祷をしても、明らかにした返事が来ないし、神様の託宣にも新しい情報はないので、人がそう言ったからこそ信じるわけはない。人の宣言だけで信じるなら、神道だけではなく、キリスト教、イスラム教、仏教なども信じるべきだ。が、キリスト教もイスラム教も両方正しい可能性もない。キリスト教によると、神様には息子がいるそうだが、イスラム教によると神様には子供は全然いないそうだからだ。それに、神道によるとイザナミの命が日本列島を生んだそうだが、検査によると火山などで積み重ねられた列島だそうだ。
そういう事実なら、どうして神道が気に入ったのかな。確かに、立派な神社もあるし、祝詞も敬虔な気持ちを引き出すので、なんとなく特別ないい気持ちを感じられる。しかし、お寺も、教会も、同じように気持ちが作れるが、仏教やキリスト教は気に入らなかった。神道には特徴があると思う。
その特徴は、神様が存在しなくても、神道の式には意味が残るということだ。こういうふうに述べたら、変に見えるかもしれない。神様はいなかったら、祈祷は時間の無駄になるのではないだろうか。確かに、東京大学に入るためにただ湯島天神に行き毎日お祓いをもらったら効果はあまりないと思う。が、よく勉強しているとともに神社に行けば、御参りには意味があると行ってもよいだろう。わざわざ神社に御参りしたら、「この目的は大事な目的だ」という宣言になれないだろうか。入学試験の直前に御参りすれば、心を静め、頑張れるような気持ちが湧いてくるかもしれない。結婚式も同じようなことだ。結婚式は、誓いを主張するための出来事と言ってもよい。式より、お互いの気持ちが大事なのだが、式を執り行うなら、想い出になり、本当に新生活が始まったように感じるようになる。そして、親戚や友人には同感を表す機会になる。参列した人の前に「これから真剣に二人の生活を送る」といえる。
確かに、式は基礎ではない。入学試験の場合、基礎は勉強であるし、結婚の場合、基礎は愛である。基礎はなければ、式には意味は全くないと思う。しかし、基礎があれば、式には基礎の上の意味があると思う。公的に予定を発表すれば、自分にも、回りの人にももっと重要なことにならないだろうか。
さて、式の重要さを認めても、どうして神道は特別だか。キリスト教の式も信じなくても執り行えるだろう。それは確かだが、キリスト教の基礎は神様への態度だ。神様を信じ、救済を待っているという態度は必要だ。神道といえば、違うように見える。神道の神様は人生の中心ではない。人に対しての態度も基礎だし、神様に対しての態度と同じだ。神様も人間も正直に、尊敬を持ち、心の純粋さを保ち、扱うべきだと言われている。神様が存在しなくても、式を使い人間にこういう態度が表せると思う。要するに、神様を信じないくせにキリスト教の式を執り行うなら、宗教の心を軽く扱い、キリスト教の人に失礼と言える。神道のなら、神様を信じなくても、式の重大さを感じれば、神道の主な点を守っていると思う。
意見をはっきり伝えないような気がしている。日本語の表現力はまだこういうことに足りないと思う。もう少し実力を待つ時にまたこういう話題に戻るかもしれない。今、本当に中途半端なのだが、これより上手に表現できない。