日本日記

2005年10月19日

先週日本語の日記を書かなかった。申し訳ございません。最近仕事は忙しくなり、結婚などの手続きも続き、暇が少なくなってきた。仕事といえば、うまく行っているからこそ忙しくなった。英語を勉強している人の数も増えているし、編集の原稿もたくさん提出してもらっているし、まだ本を書いている。幸い、先週本が一冊出来上がったが、もう次のの本のことに巻き込まれている。今週、今まだ一言も書いていない。ずっと編集か授業かだったからだ。この日記を書いてから、ちょっとでも書きたいと思う。

結婚の手続きといえば、月曜日に入国管理局に行き、ビザの申請方法について尋ねた。いうまでもないが、書類がたくさん必要だ。パスポートをはじめ、在職証明書、納税証明書なども必要だそうだ。そして、ゆり子との関係や経緯について様々な質問に答えられなければならないそうだ。いつ、どこで始めて出会ったかとか、何語で日常会話をしているかとか、家族は結婚について知っているかなど。スナップ写真2枚も持っていかないといけない。めんどくさいが、難しくはない。一番難しいことは、いわゆる「理由書」だと思う。これは、「婚姻に至った経緯を詳しく記入して下さい」と書いてある。つまり、日本語のエッセーになってしまう。「私のウェブ日記を読んで下さい」と書いたら通じないと思うが。そう言っても、最初からの経緯はここに書いていないので、やはり専用エッセーを書かないといけないのである。せめて、試験ではないので、ゆり子と一緒に書いてもいい。

国際結婚など、ややこしいな。

では、昨日Guardianというイギリスの新聞のホームページでOona Kingという元イギリスの国会議員が書いた記事を読んだ。その記事は、人種差別についての記事だ。(もちろん、英語で書かれてある記事だ。)主に二つの言いたいことがあったと思う。一つは、アメリカでの人種差別はまだひどいと述べっている。それは確かに正しく見える。もう一つは、白人は人種の重さが分からないと述べっている。例として挙げられた経験は、Kingの中学生の時の話だった。一年生として入学した時に、クラスのなかに一人の黒人の男性しかいなかったと書かれている。Kingは、「その瞬間に、始めてキスする男はその男になるはずだと分かった。だれも何もいわなかったし、白人の女性は気づきもしなかったが、他の男をキスするわけにはいかなかった。予想の通りになった。」と述べっている。

それを読み、ちょっと疑問が湧いてきた。だれがそういう決めたかという疑問だ。白人は気づかなかったら、白人の男性とキスしてもかまわないだろう。黒人だけそういう考え方を持っていたら、白人はどうしたらいいか。

でも、そう簡単に解けないと思う。数十年前なら、Kingの考え方は確かだった。人種が異なる人とつき合ったら、大変なことになるようだ。殺人事件まで至るケースもあった。(実は、イギリスで数ヵ月前そういうケースがあった。が、今珍しくて社会の態度を映っていないできごとだ。)黒人は、危険さを避けるため、ぜったい白人とつき合わないように気を付けたようだ。が、そうしないと、社会の態度が変わっても、分からないはずだ。唯一の分かる方法は、白人とつき合うことだからだ。が、そういう大変な問題を避ける計画は悪いとは言えない。だから、白人も黒人も人種差別をしたくなくても、歴史の跡のせいで問題がまだ生き延びる。

そして、日本に来て以来、もう少し理解が身につけた。いうまでもないが、日本で私は外国人で、移住者で、普通の人と違う人種の人だ。それに、日本人からの人種差別経験があった。それは、日本に来る前のことなのだが、日本人の元彼女には「日本人じゃない人と絶対結婚できない。」という理由で振られた。だから、日本の日常生活で白い目で見られたら、「それは人種のためかな」という考えがつい湧いてくる。実は、日本にいるうちに、明らかな人種差別の経験はない。というより、人種差別のように見える経験もない。が、問題の存在が知っているし、前に経験があったので、そういう考えを禁じ得ない。

一方で、イギリスにいたときに、そう言う考えは全くなかった。怪しく見られたら、その人の生活とか、最近の経験など原因として考えた。人種差別は、私と関係ないことだと思った。が、イギリスに住んでいる黒人は、私の日本の状況のような状況に住んでいる。人種差別に襲われた経験がある黒人は少なくないし、偏見を持っている白人まだいるので、むかつくな人と遭ったら、人種差別かなとつい思うのは当然なのではないだろうか。だから、人種問題は、黒人にいつも身近な問題で、白人はほとんど考えていない。

でも、私のような経験には危ない道がある。日本でも、残念ながら、みんながみんな明るくて親切な人とは言えない。そして、悲しいことに圧迫された人なども相手には丁寧に応じないこともある。これは、人種差別ではない。私は日本人であっても、こういう人は失礼にするはずだ。が、人種差別の感覚が敏感になったら、人種差別として見える恐れがあると思う。そういう傾向と挑戦しないと、ないところに人種差別を見るようになってしまう。何といっても、失礼な人に「どうして失礼ですか?私は日本人じゃないからですか?それとも、性格がわるいからですか?」のような質問を聞けないのではないだろうか。聞いても、正直に答えてもらうはずはない。だから、本当の原因が分からない。

日本語が(イギリスの場合、英語が)分からないなら、もっとひどくなると思う。連絡は難しいせいで、様々な人間関係問題と遭うはずだし、そして回りの人の話しは自分についてかどうか疑うときも多いと思う。そうであったら、人種差別かなと思う場合は増えないわけはない。(さらに、言語実力に基づいた差別は人種差別ではない。私は日本語があまりできないため、朝日新聞の記者として採用されていない場合、外国人だからといっても、人種差別とは言えないのを否定できない。が、言語ができない場合、そういう原因で差別される場合があると思う。)

こういう原因が不明という問題のせいで、人種差別をいつも疑えば、よく”見付ける"と思う。人種とは関係なくても、人種差別だったと思い、本当に違う原因だったとの証拠も見付けられない。そうなら、「白人(それとも、日本人)は、「人種に対しての偏見を持っていない」と言っても、本当に深い偏見を持っている。」と考えるようになってしまう。そうなら、差別していると言われている人は何もできない。異人種の人とつき合っても、それも人種差別の証拠として受け止める人もいる。ただ「人種はなんであっても、構いません。」と言うのは、全く有効的ではない。だから、人種の間の摩擦が不要に続いてしまう。

要するに、差別された方にも気を付けるべきこともある。それは、自分の恐怖のせいで、気のせいで、どこにも人種差別を見付けないようにということである。私のように、日本で明らかな人種差別に襲われていない場合、比較的に簡単だと思う。アメリカの黒人の場合なら、非常に難しいと判断する。イギリスの黒人は真ん中ぐらいかもしれない。一番は、差別する人が止むこと。でも、差別された人が幻の差別を見ないように気を付けることも大事だと思う。

では、もう仕事の本を書く時間がなくなった。ここで終わったほうがいい。