2005年11月10日
今週仕事がほとんどうまくいった。プロジェクトを完成し、今日提出した。だから、ちょっと疲れている。今日生徒さんも二人いらっしゃい、授業を行った。その仕事もうまく行っているようだ。まだ生徒さん募集中だが、希望の6割ぐらいの程度まで至った。ところで、山口さんという生徒さんが通信販売サイトを開いた。Celestaというサイトで、ラリマーという宝石を売っている。ぜひ、見てください。
そう言えば、日本語の難しさをもう一度感じてしまった。なぜなら、「山口さん」と書いたからだ。実は、正しいかどうか分からない。生徒さんとして、私と関係ある人だから、無関係の読者に紹介する時には、「さん」を使わないほうがいいか、私のお客さんだから必ず「さん」を使ったほうがいいか、わからない。これは、言語より文化の問題と言ったらいいと思う。「さん」の使い方に様々なルールがあるが、どちらは優先か、やはり「センス」とか「常識」などによって決めないといけない。いうまでもない、私の日本常識はまだ欠けている。
最近気づいた興味深い現象も同じ原因が、すなわち日本常識が欠けているということ、あるかもしれない。この現象は、私の心理の現象だ。簡単にいうと、日本に来て以来、何でも可能に見える。無論、飛行機無しで飛べるということではない。それは人間常識だ。私の人間常識も欠けているかもしれないが、それほど目立っている欠ではない。例を挙げたらわかりやすくなるかもしれない。
まず、一年以上前、北川景子という女優さんにファンレターを書いた。それは、イギリスで絶対しないことだ。まず、ファンレターを書く人の評判が悪い。日本も同じかもしれないが、そういう常識はなかった。(おまけに、10代の女優さんに。怪しい。絶対怪しい。)そして、イギリスで書いても、返事をもらう1秒も思わない。が、日本でそういう期待はなかったが、ありえないと思わなかった。もちろん、返事は来なかった。(ところで、一年前に書いた日本語を読まないでほしい。私は今ちらっと見たが、恥ずかしい。ファンレターはどういう状態だったかな。申し訳ございません、北川さん。)
そして、イギリスで政治に影響は全然ないような気がした。日本に来たら、動力したら何かできるような気がした。これは、前の例よりバカといってもいい。イギリスの有名人、日本の有名人、あまり変わりはない。が、日本では投票でもできない。政治に影響を与えるなど、論理的にありえないことのではないだろうか。そういっても、その気持ちはまだ心の底に残っている。同じように、日本で本を書くと、有名な作家になるとつい考えてしまう。これは、たぶん英語で本を何冊書いても全然有名にならなかったから、日本ではチャンス!という気持ちだろう。
こういう気持ちは、全部現実と反対だと思う。外国に入ったら、全ての事は難しくなる。可能の分野は、広がるどころか、狭くなる。スーパーで日常用の食べ物を買うことさえ難しくなれば、有名な作家になるはずはないだろう。日常生活がちゃんとできたら、それは充分。実は、「日本で日常生活が問題なくできるよ」とイギリスの友達に言ったら、「素晴らしい!」と答えることは多い。要するに、普通の日本人のようになるのは結構素晴らしい。だから、なぜ目立てるような気がしてしまうか?
常識はないからなのではないだろうか。外国で前世のルールから解放され、新しいルールはまだよくわからない。不可能のことがあるのが分かるが、詳しく何が不可能かわからない。日本なら、国語が辛うじてできれば有名な作家になれるかもしれない。(アメリカでできる。。。という評論家もある。)日本なら、有名人にファンレターを送ったら、返事をもらうかもしれない。何といっても、会社が間違ったら、代表する人はわざわざお詫びしに来る。それは、イギリスなら、ありえないことだ。一つのありえないことがあれば、他もあるのではないか。実は、ある。日本常識が強くなる次第、分かる。分かるまで、希望の通りになる期待があってもいいだろう。
これは、一概に悪いとは言えない。無論、がっかりする確立が高まる。(北川さんからの返事はまだ来てないし、まだ有名な作家ではない。あ〜、もうダメだ。)でも、積極的に頑張れば、ありえないと思うようなことが現実になる可能性もある。私なら、本当に日本の新聞で掲載してもらった。(確かに、新聞社の人の手はよく加えてもらった。)そして、本当に素敵な妻ができ、一緒に素晴らしいマンションに住み、理想的な生活を送っている。(もう少し有名になり、収入をあげてもらってもいいが。)常識はいつも正しいとはいえない。だから、一旦常識を失えば、隠れた可能性を見付けるチャンスになると思う。無論、不可能に残ることもあるが、それはただ人間の人生である。試行錯誤で進んでもよいだろう。
外国に行くのに限られていないと思う。環境を変えたら、決まっている制限を破り素晴らしいことができると思う。新しい趣味を始めたら、よくできる可能性もあるし、先生まで至る可能性が感じられる。別な業界の仕事に転勤したら、どのぐらい出世するか分からない。
が、これは一方的な話だ。長い間一つの分野で労力しないと、素晴らしいことを完成できないと思う。無論、バランスは大事だ。今、変わりの大事さを深く感じているだけだ。日本に来たら、全部が希望の通りなったわけはないが、私の生活が本当に良くなった。まだ日本語のセンスが欠けても、そう思う。