もう一つのプロジェクトを終了した。明日授業がたくさんあるので、余り書けないと思う。だから、今日かなり進んで良かった。
さて、ちょうど今書きたい話題が現れた。御存じの通り、私はArs MagicaというTRPGを訂正して、管理している。Ars Magicaの舞台は、中世ヨーロッパに似っている世界だ。が、中世ヨーロッパではない。最初に、魔法が本当にあるし、魔法使いの組織も設置されている。そして、妖精、化け物、竜、悪魔、天使なども走り回る。ゲームの舞台として、結構面白いと思うが、現実とかなりずれていることは否めない。要するに、Ars Magicaはフィクションだ。
でも、中世ヨーロッパを描くために、キリスト教の教会もあるし、キリスト教の神さまは強い。なぜなら、本当の中世ヨーロッパで、人は圧倒的にキリスト教だったので、中世の人の宇宙の概念を叙述するためには、必要だと判断したからだ。いわゆるpagan(ペーガン、古典ギリシアの神様など)の神様は、妖精などにした。実は、中世の人が悪魔にしたが、それは物語に面白くない。悪魔は、必ず敵だが、妖精なら、敵になる場合もあるし、味方になる場合もある。曖昧な状態のほうが物語にぴったりだ。
話題がここから挙がる。現在にも、ペーガンという人々もいる。TRPGで遊ぶペーガンはかなり多いが、Ars Magicaに違和感を感じるペーガンもいるようだ。どうしてかというと、Ars Magicaで、キリスト教は正しいほうにあるからだ。現実には、キリスト教は嘘だと思う人だというのは、いうまでもないことだ。
が、違和感の基盤をよく考えたら、フィクションで現実だと思わない状況が描写されているということだ。しかし、フィクションという言葉は、現実ではないことを指している。フィクションの中で、嘘なことがあるはずだ。いや、無ければ、フィクションではない。その上、Ars Magicaには嘘がいっぱい入っている。作り話ばかりだ。中世ヨーロッパは舞台や背景しか提供していない。ちゃんと聞いたら、違和感を抱いている人もそう認める。だから、違和感はどうして?
不思議だと思っても、私もそういうふうに感じたことがある。大事な真実なら、フィクションでも逆らいたくないということだ。例えば、フィクションで、女性は本当に男性ほど才能はないと描写されたら、私には違和感がくる。フィクションなのに、更に本当に可能性は全くないとは言えないのに、違和感は強い。
が、「本当に可能性は全く無いとは言えない」というのは、鍵を握るだろう。疑問は全くないことなら、フィクションで変えても構わないだろう。例えば、フィクションで太陽が地球を回ると書いても、違和感はない。フィクションはフィクションだ。が、フィクションではない可能性がある状況が描かれたら、そして真実ではないと信じたら、違和感がある。それは、どしてだろう。
たぶん、フィクションの中にあることが現実だと信じている人がいるからだろう。私には疑問はなくても、他の人が信じたら、フィクションで見たらちょっと違和感を感じる。疑問が強ければ強い程、違和感も強いかもしれないし、信じている人が多ければ多いほど、違和感が強いかもしれない。本当の論争があったら、敵側の意見がフィクションでも出てくると、戦いたい気持ちになるといえるのではないか。人間の心は、真実とフィクションをよく区別できないかな、頭がいかに区別しても。
だから、フィクションでも、気を付けないといけない。