招待状の続き

昨日招待状の準備したが、必要な物はまだ無かったので今日また同じことした。切手を買って、封筒に貼った。こじんまりな結婚式なのに、結構時間がかかった。

イギリス人として、結婚用の切手は面白い。イギリスにはそういう物はないので、初めて見た時にはびっくりした。やはり、日本人は儀式好きだなと思った。勿論、特別の切手を買ったが、海外の友達が気づくかどうか分からない。気付かない可能性はかなり高いだろう。

ちなみに、昨日も言ったが、追加情報の文章を書くことが必要になったので、ゆり子が書いたが、後で私にチェックして貰いたいと言った。どうやって私が日本語をチェックするのだろう。見たら、ただ「正しいんじゃない」と思ってしまう。でも、一緒に招待状を作るのはいいので、文章にも協力したほうがいいのではないか。効果はないと思うが。

招待状と浴衣

間もなく結婚式への招待状を送らなければならないので、今日準備した。八芳園からもらったものにちょっと説明書を加えたほうがいいから、英語の文章も日本語の文章も書いて、プリントした。五時間ぐらいがかかったのだ。びっくりした。明日切手を買うつもりで、明後日出す予定だから、準備が進んでいるような気がする。

そして、高級の紙を買うために溝ノ口に行ってきた。ついでに、丸井によって、私の浴衣を買った。今着ている。初めて自分の和服を持っている経験だが、楽だ。ゆり子も気に入ったようだから、嬉しい。これから、本当の着る機会を探すしかない。

著作権、その二

昨日著作権を侵さないほうがいい理由について書いた。今日、作者の側から考えていきたいと思う。

著作権が如何に法律に支えられても、国民が賛成しない場合、意味はないと言わざるを得ない。「皆がそうする」という言い訳がよくあるが、現実なら警察や裁判所は何もできない。なぜなら、次の訳だ。先ず、皆がするとしたら、警察官もしているので、逮捕するわけはない。逮捕したとしたら、裁判所は扱えない。それは、裁判官も犯人だし(皆がするからだ)一億人の犯人を物理的に扱えないからだ。人口の半分まで至ったら、現実的に実行できないといってもいい。六千万人も無理だからだ。最近、著作権を無視しても構わないと思う人の数が急増したようだから、著作権が意味を一切に失う恐れがあると言ってもよいだろう。

いうまでもないが、著作権の意味が失えば、作者の報酬も消えるので、小説などの姿も消える。時間が経ったら、昔のように金持や金持に養われた人が本を出すことになるが、無意識そういう状態に陥るのはよくないと思う。

さて、作者として現代の傾向に対して、どういう対策がいいだろう。

先ず、著作権を侵す人の大部分が、被害者はいないと思うからこそ犯罪を犯すようだ。そして、会社を被害者として考えにくいようだ。だから、人間関係が薄ければ、頻繁に犯すと推測できる。だから、作者がファンとの人間関係を立てたほうがいいと思う。現代のインターネット時代に、それは前よりほど遠く簡単になった。メールリストとか掲示板などを作ったら、ファンとの会話ができる。ブログも同じ効果がある場合もあるが、ある程度対話になることは大事だと思う。ファンの発表に何も応じないなら、ただの宣伝のように見えてしまうからだ。それを引き換え、質問に答えたり意見を聞いたりしたら、ファン達が作者の希望の通りする場合もある。特に作者には損害は無いようにする場合は多いと思う。

これは、ただ架空な話ではない。私が管理するArs MagicaというTRPGには、深刻な違反コピー問題はないようだ。なぜなら、ファンが集まるところで人が「無料なコピーをどこで手に入れられるか」と尋ねたら、関係者ではなく、一般のファンが「そうすると作者の損害になるので、するな。」と言う。作者を友人として考えなくても、人間として考えて支える。経済的な損害だけではなく、名誉に損害を与える行為にも反対してくれる。

ファンのコミュニティのなかでコピー交換が軽蔑されていたら、コピーをウェブで貼ることで名誉を目指す人は少なくなる。様々のファンのコミュニティで、著作権を侵せれば侵すほど、名誉を受けるので、この方法は必要不可欠だと思う。ファンとの会話で「私の作品をコピーしないで下さい」といわないといかないということは、いうまでもないかもしれない。

しかし、これだけは充分ではない。ファンの大半が著作権違反を憎んでも、一人だけコピーしてウェブに貼ったら、もう取り戻せない。これは、もう防げないことだ。大手会社の防ぐための行為が著作権の評価を下げていると思われる。特にアメリカの映画会社や音楽会社が普通の人を弾圧しようとするように見えるので、犯人が犯人より被害者のように見えてしまう。だから、防げないという事実を受け止めて、そういう世界での道を選んだほうがいいと言えよう。一つの道がもう描かれた。ファンの大半が著作権違反を憎んだら、コピーが簡単に手に入れられてもわざわざ本物を買うはずだ。

それ以外の方針も必要だということが否定できない。

一つは、出版する前に支払って貰う方法だ。出版してから作品がコピーされても、損害は少ない。実は、そうするなら、自由に伝播するための許可を与えたらいいだろう。無料な作品を見る上ファンになる人が将来の報酬を補助するかもしれないからだ。

もう一つは、本物の作品にコピーできない本質を加えることだ。バンドなら、演奏はそういうことだ。本の作者なら、もう少し難しい問題だが、本を書く人には優れている想像力があるはずだから、解決できないわけはないだろう、私自身が言っても。

そして、ファンのクラブも作られる。会員に特別なコピーできない物を与えたら、入会する人が欠けないだろう。モデルや俳優なら、本人と会う機会とかサイングッズなどがいいだろう。本の作者なら、将来の本のキャラクターやシーンを促す権利が与えられるだろう。

様々な方法を集めて、世界の変化した状況に合わせて作品から報酬がもらえると思う。が、ただ依然のように続けば、大変な問題に陥ると思える。理想的な世界で、著作権違反する人はいないが、現実が理想と違って、作者がちゃんと製作を考えるべき。

著作権、その一

今週、北川景子のファンサイトを除いて見た。いわゆるパイレット作品は、特に写真は、圧倒的に多かった。パイレット作品というのは、著作権違反のものだ。例えば、雑誌のページをスキャンして、自分のホームページにアップすること。それは、犯罪だし、すべきは無い行為だと思う。しかし、そう言っても、その犯罪を犯す人も多いようだし、別に良心が痛まないようだ。なんでだろう。

先ず、物を盗むことと違う感じだろう。コピーしても、コピーされた物はまだあるので、相手がなにも失われたような気がする人は多いだろう。勿論、それは間違いだ。買うよりコピーしたら、相手の給与が減る。私は、作家としても、編集者としても、売れる分数と給与の関係が密接だということがヨク分かるので、コピーしたら、被害者がいると信じてほしい。

よく聞いた言い訳は、「買うつもりは無かったので、何も損害はないだろう。」ということだ。私にとって、信じ難い。なぜなら、その物が欲しいのは明らかだから、無料でコピーできなければ、買う可能性は低くはないだろう。そして、本当に買うつもりはなかったら、欲しくないはずだから、なんでわざわざコピーしたのだろう。「貧乏だから、買えない」との言い訳も流行する。が、お金が足りないだからといって、店からなんでも持ち帰ってもいいわけはないだろう。著作権も同じだ。お金が足りなかったら、残念ながら獲得できない。値段が高すぎたら、著作権を持っている人に損害になるので、利益を得るために値段を下げる可能性もあるので、ちょっと待ったほうがいい。如何に値段が下がっても買えない場合、単純に獲得できないことに慣れていったほうがいい。

もう一つの良く聞くセリフがある。それは、「作家(モデル、歌手、俳優)を応援しているよ。何が悪いか?」というふうにアピールすることだ。気持ちはありがたいのだが、表現し方は辛くて受け入れない。応援と言えるかもしれないが、支えるとは言えない。支えるより、侵すと言ったほうがいい。前に書いた通り、作者が報酬を貰わないので、傷を受けるはずだ。

だから、著作権を侵さないで下さい。

しかしながら、作者の側からも考え直したほうがいいと思う。それは、明日説明する。