同一

倫理学や意見分を読んだら、同一の話題がよく出てくる。(誤解されないように、英語の読物だから、日本語の用語をよく知らないし、日本での意見もよく知らない。)そういう論文で、私立学校が不公平な制度としてよく批判される。筋道は、次のようだ。

私立学校でもらえる教育は、公立学校でもらえる教育よりいい。いい教育を受けたら、将来に高級仕事に採用される可能性が高くなる。いうまでもない、高級職業の給料も高いので、私立学校に通っていた人が平均より豊富になる傾向が強い。しかし、私立学校に通うかどうかは、本人の能力と関係はない。むしろ、親の経済能力によって決められたことだ。貧乏な親に子供を私立学校へ送ることはできないんで、お金持ちの人の子供も、お金持ちになることになって、それは不公平だと言われている。

勿論、成績が本人の能力と全く関係はないとは言いたくない。天才なら、親が貧乏でも、子供が出世できる場合も多いし、一方、子供には頭がすごく悪かったら、私立学校に通っても別に出世できないはずだ。が、主張したいことは、貧乏な家族の子供と豊富な家族の子供が同じな才能を持ったら、お金持ちの子供がより出世することだ。仮りに能力を均一とすれば、豊富の子供がよりいいキャリアを得るという問題だ。

実は、例外があると思う。私立だからといって、必ずしも学校がいいとは限らない。そして、学歴と給料の関係は密接ではない。高校を卒業しなかった金持の人もいるし、世界一の金持の人が大学を卒業していないのに対して、私のように一流大学の博士でも給料は比較的に低い人もいる。人生の選択とも深い関係がある。しかし、例外が証拠になれない。例外は例外だ。不公平があるのは否めたくない。

論文の結論として、私立学校を禁止したほうがいいということがよく見られる。更に、禁じないと、悪人だという意見も出る。これまで、私は賛成できない。

どうして私立学校だけ批判されているか。教育を考えたら、他の同じように不公平な状況は沢山ある。例えば、親が毎晩子供と一緒に本を読んだら、子供の読解力が高めるという証拠があるらしい。が、親が本を読むかどうかは、子供の能力と関係はない。親の好みによってのことだから、これも私立学校のように不公平なのではないか。そして、仮りに親が科学を深く理解するとすれば、子供に説明ができるので、子供の科学進行が早くなるはずだ。これも、不公平と呼べないだろうか。親には特別な才能が無くても、子供の勉強をちゃんと支えたら、子供がよりいい成績を取ることを推測できるのではないだろうか。

他の似ている状況がいっぱいあることはいうまでもないだろう。私立学校より効果がある状況も含まれていると思う。例えば、親には先生の才能があったら、高級私立学校より進行させるかもしれない。だから、私立学校を禁止すべきなら、こういう支援も禁止すべきだ。とはいえ、同一について書く人は、一切こういうことを言わない。親をそういうふうに禁止しようとしたら、厳しく批判されるはずだ。その上、あの批判には、私も賛成だ。

これについて考えよう。私立学校が禁止されたら、先生才能はないがお金がある親に子供の教育が支えられなくなる。一方、お金は無いが先生才能がある親に子供の教育がまだ支えられる。この状況、不公平ではなくて何だろう。区別する正義な基本はないと思う。金持に対する怨みだけだろう。

そして、生まれながらに才能を持っている人が高い身分になったら、どうして公平だろう。人の才能は、本人の責任にできないだろう。親が王様だったように、幸運だけなのではないか。才能によって出世を決めたら、それも不公平と言えるだろう。が、私立学校も親の支援も禁止したら、本人の才能によって出世するはずだ。不公平の代わりに別な不公平を置き換えるしかないのではないか。一方、才能によって出世を決めたら公平なら、親の経済力によって決めても公平なのではないか。

多分、そういう意見を出す人には、金持の親はないが、才能があると思い込むだろう。だから、公平な世界で自分がよりいい出世したはずなのに、金持の子供が不公平的に先立ったと思う人がいるだろう。一方、貧乏な人と豊富な人と間の明らかで目立つ対照を見たら、高い人を低くすることは、低い人を上げることより簡単だと判断して、そういう政策を勧めるだろう。

が、お金があればこそ幸せになるわけはない。そして、人生の良さを考えたら、お金より幸せのほうが大事なのではないか。だから、幸せな人と不幸な人の間の対照を見るべきだろう。が、幸せさが早く判明できないので、あの対照が目立たない。実は、金持の平均幸せが貧乏な平均幸せより高いことさえ明確ではない。

同一が悪いとは簡単に言いたくないが、どういう同一が大事かとか、どういう不公平の原因を禁止すべきかなどの問題は、思われるより複雑で難しいと思う。


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コメント

“同一” への1件のコメント

  1. […] だから、一割に教育を与えることは決まっている。質問は、どの一割に与えたらいいかということだ。豊富な家族の子供に与えないほうがいいと思う。両親が豊富だからといって、第三者が子供に利益を与えるべきとはいえない。一方、両親が自分の子供に利益を与えたら、悪くはないだろう。(ちょっと前に同一という記事でその課題と取り組んだ。)だから、教育を売れても、罪はないと思う。ただ、今別な立場から考えている。具体的に、私は他の人の子供に教育を与えようとしたら、どうやって対象の子供を選んだらいいということだ。 […]