七夕

今日は、家の購入1周年記念日だ。一年前、お金を沢山渡して、マンションの持ち主になった。そして、夜の、ゆり子と一緒に祝った。ただ、長い祝いができなかった。なぜなら、当時にマンションには家具など全く無かったし、当時の家に帰るために時間が必要だったし、バスも電車も必要だったので、バスが終る前に家を出発しないといけなかった。

だから、今日もう少しゆっくりと祝えるといいと思う。ここはいい所だし、二人暮らしの生活も楽しいし、祝うことがいっぱいある。これから何回も祝いを繰り返すように祈る。

学問の神さま

最近、「学問の神さま」という本を読んだ。言うまでもないだろうが、天神様、すなわち菅原道真の信仰についての本だ。挿絵が沢山あるが、質は高くはないので、高級本とは呼べないだろう。それでも、内容は興味深かった。道真の生涯の粗筋もあるし、信仰の発展の経過も叙述する。やはり、学問、詩などの神さま、私の好みにぴったりなのではないか。そして、本の後半は、全国の主の天神神社の紹介だ。北野天満宮をもう知ったし、太宰府天満宮湯島天満宮に行ったこともあるが、それ以外の神社の紹介は面白かった。山口県の防府天満宮が大きくて面白くて見えて、ちょっと御参りして見たくなった。

神道という宗教は、全然一体的ではないので、いちいち信仰を見ないと、分からないはずだ。うちの氏神様は八幡さまだから、ちょっと八幡さまの信仰が分かるようになるし、天神様も惹くので、とちあえずあの二柱を勉強したらいいと思う。

言葉の中の神道

今日国学院大学の神道講座があった。すぐに夏休みになるので、夏休みの前の最後の講座だった。テーマは、「日本語と神道」だった。日常の日本語の語源に遡ったら、神道の概念を見付けるということだった。

例えば、年(とし)の言語は何だろう。教授によると、元々稲の実りという意味だったそうだ。だから、一年に一回稲の実りが取れるため、としが時間を指すことになった。そして、数え年も同じ原書から発生したそうだ。皆が同じ時にお米をもらったので、皆同じ時にもう一つのとしをとった。

そして、息子と娘のムスは、自然にできていることをさすという。だから、ムスヒは生日という意味で、太陽から自然に発生した力を指した。

興味深い所は多かった。例えば、神様を指す「みこと」という言葉は、もともと「御言」という意味だったと言われている。だから、日本の概念にも、神様は言葉だということになる。(キリスト教にも、キリストを「御言葉」と呼ばれている。)

でも、ちょっと疑問が湧いてきた。教授によると、五世紀に日本列島に住んでいた人達が日本語を話したなら、その千年前にも日本語を話したと推測できると言われた。が、ヨーロッパなら、そう簡単に推測できない。昔の言葉と現代の言葉の間には関係があるのは確かなのだが、変化があることも否めない。そして、記述する前の文明の形は本当に分かり難い。誰かが「この伝達が昔々から正しく受け継がれた」と言っても、記述がなかったら信頼できるかどうかは不明だ。多分、あの人の祖父の子供のころから同じく続いたかもしれないが、その前に遡れない。どうやってこういうことが分かるというと、記録があったら、口伝と記述を比べることができて、口伝が昔の形から離れていくということが明らかになる。要するに、古墳時代まで遡れるかもしれないが、その以前にいくのは、考古学しかない。考古学でイデオロギーを理解するのは、極めて難しい。

だから、言葉ができた時の宗教観と現代や歴代の神道の考え方がどういうふうに違うかは分からないと思う。確かに、昔の宗教の面影が残っているはずなのだが、どういう点がその面影か発見できないといってもいいだろう。

コメント

今月一日から北川景子さんのブログでコメントが休止された。確かに、ブログのコメントを巡る問題がたくさんある。まず、いわゆるコメントスパムがある。私のブログでも、スパムは多い。今まで、150件ぐらいあるが、本当のコメントがわずか13件に至る。幸い、自動的にスパムを防ぐソフトを使っているので、特に迷惑にならない。

そして、迷惑のコメントの問題もある。それは、スパムではないが、迷惑になるコメントの問題だ。例えば、不適切なコメントとか、コメントで喧嘩する人とか、脅かすコメントなどの問題。私には、そういう問題は全くないので、まだ心配ではない。そして、コメントが書き込めるようになるために、最初のコメントが私に認められたことが必要だ。だから、最初のコメントをいいコメントに限られる。その上、後で問題になったら、コメントを消して、あの人のコメントを検査必要となることができる。人が悪いコメントしか書き込まないなら、禁止できる。それは、迷惑になるが、コメントの利点のほうが強いと思う。

コメントがあれば、人がブログを読んでいることが分かる。思うより大事なことだ。私は、日本語の練習のためにも書いているが、誰も読んでいなかったら、ちょっとやる気を失う恐れがある。コメントがあったら、内容は深くなくても、ちょっと励ましてもらう。勿論、毎日もらわんくても問題はない。時々コメントを見たら、充分だ。

北川さんのブログがコメント機能を休止して以来、ブログがアップされていない。関係はない可能性もあるが、反応が弾みになるので、書きたくなくなるかもしれない。

私のブログで、コメントを書き込んでもいいということだ。(ところで、さいえさん、コメントを書き込んでくれてありがとう。)迷惑もないし、失礼でもない。勿論、コメントしなくてもいいから、ブログをこれからもよろしくお願いします。

ちなみに、記事のページをもう少し日本語に翻訳した。時間があったら、段々翻訳するつもりだ。そして、トラックバックのURLも貼っている。