私の着替えにはあまり時間がかからなかった。洋服だったので、もう慣れているからだろう。一方、ゆり子は、髪型もちょっと直してもらったり、着物から別にシンプルではないウェディングドレスに着替えたりしたので、数十分がかかったようだった。会場で食べたりビデオコメントをしたりしたようだが、メッセージをまだ見ていない。DVDを楽しみにしている。
再入場の時、音楽は妹のシルバーが作ってくれた音楽だった。本当に素敵な曲だったが、扉からテーブルまで歩くには長すぎた。だから、ほとんどの人が最後まで聞こえなかったので、残念だった。
後半は洋風にした。だから、ファーストダンスをした。これは、特にアメリカで大人気な習慣で、皆様の前で新郎と新婦が踊るということだ。この曲もシルバーにつくってもらった。私が二人で二分ぐらい踊ったら、両親を誘って一緒に踊った。私がゆり子の御両親を誘って、ゆり子が私の両親を。その前ゆり子の御両親、特にゆり子のお父さんはちょっと緊張したようだが、結局成功だった。「素敵」や「可愛い」とよく言ってもらった。
それから、食べる機会があった。人が沢山写真を撮るために来たが、合間を縫ってちょっと食べられた。さすが八芳園、食事は大変美味しかった。もう少し楽しめなかったのは、残念だ。写真を撮られてから、テーブル回りの場だった。
テーブルを六つしかなかったのに、一つひとつには時間はなかった。挨拶して、集合写真を撮ってもらって、次のテーブルへ移るという感じだった。少なくとも、皆様と挨拶できたので、それはよかった。(この時のBGMも、シルバーが作ってくれた音楽だった。本当に感謝を上げている。)
そして、スピーチの時になった。スピーチ無しの披露宴はあり得ないが、ちょっと洋風にした。
まず、けいこさんという友達からのビデオレターが上映された。けいこさんは、(名前の漢字がわからないが)イギリスで出逢った方だ。私は、英語日本語交換をするための相手として出逢ったが、ゆり子にとっては英語学校の同級生だった。だから、ある日私たちを紹介してくれた。レターによると、あの時にもけいこさんがゆり子に「デイビッドにはゆり子のことが気に入ったのではないか」と言ったが、ゆり子が「そんなことはないでしょう」と答えたそうだ。けいこさんが当たったけれども。日本語で発表してから、同じ内容を英語で発表してくれたので、皆様は分かったはずだ。けいこさんは今上海にいるので、最後に中国風の花火で祝ってくれた。ありがとう、けいこさん。
そして、両親のスピーチだった。イギリスなら、新婦のお父さんのスピーチは必要不可欠だが、日本にはああいう習慣はないようだ。それをよそに、私たちの披露宴の洋風の所に入れた。結局、とてもいいスピーチだった。ゆり子のお父さんらしい。それから、私の母のスピーチだった。これは、実はイギリスの習慣ではないが、バランスのために入れた。また、とてもいいスピーチだった。内容を紹介することは恥ずかしいので、何も言わない。
新婦から両親への手紙は、日本の習慣だそうだから、それもした。ゆり子が感動的な手紙を読んでから、一緒に両親の所まで歩いて、手紙と詩(私が両親のために詩を詠んだから)を渡した。
最後に、私のスピーチだった。悪くなかったと言ってもらったので、済めたようだ。
退場してから、挨拶するために並んだ。小さいありがとうお菓子を配ったが、面白いことに外国人が直接箱から取ろうとした。日本人がゆり子の手から貰うことを待った。やはり、新しい習慣と遭ったら、どうすればいいかと分からないね。
皆様と一言するつもりだったが、ゆり子とゆり子の従兄がIKEAという家具の店の話しを始めた。私が「あっ,IKEAの話しになった。まもなくチャングムの話しになってしまうはずだ。」早速、従兄が「あれ、チャングムが好きですか?私たちも大好きです。」と言った。しまったな。
それから、着替えて、清算して、ゆり子の御両親とちょっとお茶などをのんでから、タクシーで帰った。長い一日になったが、大変楽しかった。ゆり子も、「もう一度やりたいな、デイビッドと」と言った。私にも、そういう気持ちがある。残念ながら、無理だよね。結婚式は、一回しかできないことだよね。