大祓 知恵のことば

今日執筆に集中して六千語弱を書いた。やったという気持ちだ。契約の条件の上、まだ内容について書くわけには行かないので最近読んだ本を今日の話題とする。

その本は、大祓 知恵のことばという本だ。この本は、春日大社の宮司の葉室頼昭氏に書かれた大祓詞についての本だが、言葉自体について何も書かれていないといってもいいだろう。それより、作者の現代日本の評価がメーンになると言える。作者の勧めは、毎日分からずに大祓詞を唱えることだ。そうすれば肌で神さまの知恵を接触するという。何回も「理屈」が批判される。理屈は日本の問題の原因のようで、理屈より知恵が必要だそうだ。

理屈と知恵が対立されるので、私が理解できない。なぜなら、知恵の中に理屈が含まれるし理屈の中に知恵が含まれるからである。理屈無しに状況が分析できないので相応しい行動さえ選べないので知恵が無駄になる。一方、知恵無しにどうやって現実を理屈に扱える形に整理すればいいかと分からないので理屈が無駄になる。確かに何回も逢ったことがある状況ならまるで自然に分析されるかのように感じるが、分析はまだ必要だし、新しい状況に入ると昔のまま分析したら失敗を積み重ねる恐れがある。一方、理屈の使いかたが明らかの状況もあるが、ちょっと複雑になったら何が大事、何が些少か分かるために知恵が必要なのではないだろうか。

だから、私が考える上、理屈と知恵は同じ能力の様相を指す言葉と言わないわけにはいかない。作者がそう思わないのは言うまでもない。が、どういう意味で「理屈」と「知恵」を考えるか分からない。特に私の立場から見れば理屈はいいことだから、少なくとも理屈の理解が大分違うはずだ。

要するに私が私がこの本で読み取った意味と賛成できないが、作者が伝えたかった意味が違うのではないかと思わざるを得ない。この作者の「理屈」と「知恵」は、一体なんだろう。


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