今日国学院大学に行ってきた。今回の講義は「国学から見る神道」だったので、「やはり、本居宣長」と推察した。実は本居宣長より広い範囲を含めた講義だったが、勿論宣長が登場した。講師の教え方は面白かったし、興味深い内容もあった。例えば、仮りに国学がなかったとすれば、国学院大学があるはずはない。ちょっと考えたら、やはりそうだようね。そして、宣長は短歌が下手だと言われた。例も挙げたので、確かに否めない。ちょっと残念だと思うが、万葉集を深く研究する人には必ずしも歌が上手いとは限らない。
主の内容は興味深い。講師によると国学の目標は日本の古典文献をそのまま研究して日本の原点の形を発見するということだそうだ。だから、言語学が大事の地位を占めたと言う。万葉集を読むために古典日本語も万葉仮名も分かるのは必要不可欠だが、三百年前に理解出来る人はいなかったそうだ。だから、その時代から始めた研究が文献の意味に光を差したということだ。
神道といえば、仏教が日本に上陸する前に神社も祭もあったので、国学は仏教が加えられる前の神道の形を研究したという。原点は理想と同じではないが、明治維新の時まで至ったら、国学が神仏分離に咲いたと言える。だから、現代の神道の形に大きく影響を与えたのは、国学だ。国学はないと、まだ神社のなかで仏様が祭られている。そして、神様がまだ仏様の仮面として見なす。それとも、吉田神道のように、仏様を神様の化身として見なす。しかし、数百年前の神道に戻る理由はないので、「本物の神道とは何か」という質問に答えられないだろう。時代の神道とか学派神道とか戦前の国家神道とか現代の神社神道などあるが、本物を選ぶための水準はないかもしれない。換言すれば、全て本物の神道と言えるだろう。現代に相応しくない神道もあるが、神道には変わらずにいつの時代にも応じるという必要はないのではないか。