入国管理局〜三回目

入国管理局に行ってきた。ビザの更新はパスポートに貼ってあるので、安心する。そして、3年間の更新だから、安定した状態になった。更新すれば、3年間になるのは普通だそうだが、例外もあるので3年間を貰って嬉しい。まだ残っている用事は区役所に行って、外国人登録証明書を改正してもらうことだ。今日するつもりだったが、天気が悪くなったので、後でする。二週間以内したらいいから、大急ぎではない。が、忘れれば大変なことになるので、早ければ早いほどいい。天気を見る。

現代社会と神道

今日國學院大學の神道講座の最終回に行ってきた。最終回で、一番面白くて興味深い講座だったと言えるだろう。少なくとも、私には大変良かった。課題は「現代社会と神道」だったが、私が一番興味を持っている側面は、神道の現状だから、私の好みにぴったりだったといえよう。確かに、歴史好きだから歴史の中の神道にも興味を持っているが、基本は現状。

先ず、教授が様々な統計を紹介した。戦後以来、宗教を持つという日本人が六割から三割まで減少してきたようだ。そして、「神道や仏教を宗教として考えないだろう」と思ったら、また世論調査を行ったそうだ。その調査で、具体的に行動について聞いたと言った。例えば、神社で正式参拝をしたことがあるかなどの質問だった。7項の質問があったが、8の「何もしたことはない」と言う答えは、四分の三を占めたそうだ。日本人は本当に無宗教なのようだ。

日本で神棚を持っている人が4割ぐらいだそうだが、神棚にお参りする人は1割しかないそうだ。(確か。でも、全体的の25パーセントだった可能性もある。)そして、自分の氏神様はどこか知っている人は、三分の二だそうだ。逆にいえば、氏神様を知らない人は三分の一を占めるということだ。確かに、ゆり子が自分の氏神様を知っている理由は、私が教えたことだ。東京で知らない人が半分を上回る可能性もあるのではないかと思う。神棚を持つ割合は、東京にわずか四分の一だどうだから、氏神様を知っている割合も日本平均より低くても驚くべくもない。そして、氏神様を知っているが、いつもお参りしない人は15%ぐらいだそうだ。要するに、氏神様にお参りしない日本人は、大半だ。

ちなみに、この調査の結果のなかで月に4、5回以上お参りする人を「熱心」と呼ばれているようだ。そうなら、私は熱心の神道者になる。それはちょっと不思議なのだが。熱心の人は、5%に至るそうだ。

これを聞いたら、神道についての本の中で「我々日本人」とは言わないほうがいいと思うようになった。「我々日本人のわずか1割以下」という表現のほうが相当だが、ちょっと醜い表現で使わないほうがいいだろう。神社とお寺の区別が付かない日本人さえいる、いや、普通の状況になったようだが、神道が日本人の血と一緒に流れてきた存在として話さないほうがいいと思わざるを得ない。日本で伝わってきたが、今の日本人の大半には継承されていないし、外国人の熱心者に継承されているので、血縁はそんなに大事ではないのではないだろうか。

さて、授業の後半に企業と神社の関係について話してもらった。銀座で37社あるそうで、大部分が戦後に建立されたそうだ。日本の大手会社の大半が守護神をもって、(か、逆に言ったほうが尊敬を表すかもしれない)工場か店に神社を設立するそうだ。デパートの屋上によく神社があるそうだし、確かに私は二子玉川の高島屋の屋上で神社を見たことがある。教授によると、ヨーロッパで同じくキリスト教の教会を設けるのはありえないと言われたが、私はあり得ると思うが、確かに大変珍しい。

銀座の神社の逸話も面白かった。一つは、神殿は屋上にあるが、拝殿は一階にあるので、拝殿から屋上まで音を伝えるパイプがあるそうだ。だから、拝殿の前で二拍手をしたら、神殿で聞こえるそうだ。そして、八官神社というところは、高僧ビルに囲まれて、とうとう境内を含めて高僧ビルを建てさせた。拝殿は一階で、神殿は屋上に。が、この神社は、もともと神社本庁所属だったが、信者本庁の基準は、神社の下に土、上に空ということで、認めてもらいなさそうだった。だから、神職が大きいパイプを土から、クラブやバーを通って、屋上の神殿まで設け、パイプの中に土を入れたそうだ。残念ながら、神社本庁に認めてもらわなかったようだ。そんなに努力したのに。

この内実を見ると、やはり神社神道は死にそうとはいえない。初詣も見たら、大勢の人が集まるので、衰退していないと思う。これは神道の危機と呼べるのだろう。私は分からないが、少なくとも「日本人」という存在と「神道」という存在の間の関係は、思われているより薄いと言えるだろう。

ところで、今日入国管理局から葉書が届いた。ビザは大丈夫なようだから、また横浜に行って貰うしかない。良かった。一安心できる。完全に安心になるのは、ビザがパスポートの中に貼られているときだ。

三千五百語

今日休まずに仕事と続けた。目標は、また六千語を書いてプロジェクトを完成することだったが、やはりできなかった。驚く程はない。一日に六千語を書いたら、当然に疲れてくるし、ただ二日間に完全に治るわけはいので、正直にいうなら、予想よりうまく行った。明日の授業は、夜だけだから、授業の前に完成できると思う。少なくとも、そういう的を目指す。

私は、疲れると不機嫌になる。人の話を聞いたら、これは普通なのようだ。だから、プロジェクトに満足しないし、悩み事が大きく見えるし、解決する方法が見えなくなるし、それに人と接するのは難しくなる。日本語を書くのもいつもより難しくなる。よく眠ったら、世界がまたよくなるはずだ。そして、明日プロジェクトが完成になったら、それも気分をよくする。人間の気持ちは、本当に些細なこと影響を受けると思う。そして、気分が決断に影響を与える。疲れた政治家は危ないのではないかと思うが、周りの人にちょっとしたいいことをしたら、意外に大きい結果がある可能性もあると言えるだろう。

では、ブログで愚痴しないほうがいい。本を読む。そうすると、身近のことをちょっと忘れて、気分がよくなる。