庶民信仰から見た伊勢の神宮

國學院大學に行ってきた。神道についての講座だった。今回は伊勢の神宮の庶民的な信仰をテーマにしたが、歴史が室町時代まで至ってお伊勢参りやお蔭参りのことをちょっとだけ話せた。それはともかく、内容は興味深い。私は二年以上前に伊勢の神宮にお参りしたことがあるが、今日厳粛に見えるところだ。宇治橋を渡ると神秘的な範囲に入るし、回りに見えることは全て綺麗で上品だ。そして内宮の正殿にあまり近づけない。垣に四枚囲まれた正殿を一番外の垣まで近づけるしかない。

が、数百年前に垣が一つしかなかったようで、一般の人も垣の中に入れたようだ。その頃に宇治橋の下で人が網で投げた小銭を集めたり、五十鈴川の内側にも民家が並んでいたと言う。今の神秘的な雰囲気は大正時代に作られたそうだ。この変更の経緯の説明まで至らなかったが、変更自体は興味深いのではないか。

歴史を大変遡ると今のどこの神棚にも神宮大麻が祭られている状態と極端的に対象して、一般の人が神宮を祭ろうとしたら、厳罰になるそうだ。天皇はしか自由に祭れなかったと言われている。皇太子や皇后にさえ特別許可が必要だったそうだ。そして、平安時代の宮中の人も天照大神が神様か仏様かさえ分からなかったようだ。巡礼の始点は院政時代の熊野への巡礼だったと言った。律令国家が劣りつつある時代に神宮の経済的な基板も劣って、神主が他の支援を求めたと言う。あれは、一般の人の信仰や供え物だったそうだ。御師(おんし)という人が日本全国を歩き回って、神宮の御札を配って初穂量を集める行動を努めた。最初の頃、庶民より武家が対象になったが、どんどん下層の人まで及ぼしたという。

その話しを聞いて、伝統と言うのは何だろうと思わざるを得なかった。今の伊勢の神宮に対する態度は、本当に最近生まれてきた習慣なのようだ。戦前遷宮の費用は全部国家に負担されたし、もう少し遡ると正殿に一般の人が近づけたし、千年ぐらい遡ると一般の人は祭られなかったそうだ。一番伝統的な態度は、伊勢の神宮を無視するということなのではないか。だから、古さだけで習慣を評価するのは危ないと思う。普通の使いかたで「伝統的」と言う表現が「私の子供の頃の通り」という意味を表すといえよう。もう少し遡ると、とんでもない事実が発見される場合は多いようだ。一方伝統を捨てることは悪いと思われる。それも同意する。過去との繋がりを放棄すると根はない状況で世の中に漂ってしまう。だから、伝統に染められた魂を持って時代に応じる伝統の続きを作ることは人間の義務なのではないかと思う。

ところで、今日の教授は外人だ。初めて講義室のなかには外人が二人いたようだった。教授の日本語は上手だことは言うまでもないが、私外人にとって日本人より分かり易かった。日本人の受講者にとって逆だったかもしれないが。そして、聞いたら日本語は私より上手だったが、差はすごく広くはないような気がした。もう少し頑張ったら、私も日本語で大学で教えられるようになるかもしれない。また哲学が教えられるようになったら、嬉しい限りなのだが。


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