昨日北川景子さんが自分のイメージと本質についてのブログを書いたが、最近私も「本物」という概念について考えていたので、今日この話題についてちょっと書きたいと思う。
北川さんのブログで、自分の女優としてのイメージと自分が感じている本当の自分の間のギャップについて書いてある。周りの人が本当の自分を知らないと感じるのは珍しくないと思うので、芸能人として有名になった人には益々強くなるのではないかと思う。それは、イメージを立てる人の大半が演じる姿しか見なかったからだ。ああいう姿から、どうやって「本当の人」が分かるだろうか。
そして、日本に興味を持っている外国人と話したら、良く聞こえる表現は「本当の日本」だ。英語で「The Real Japan」。普通に「東京は本当の日本ではない」とか「高僧ビルは本当の日本ではない」とか「東北の山奥の神社は本当の日本なのである」などの発言だ。これは、東京を見たら、本当の日本が分からないという意味だから、人間が感じることと近いのではないか。
もう一つの例を挙げる。「本当の愛を見付けるのは大変難しい。」偽物の愛は一般的だという感じで言われた表現だ。
さて、本物というのは、何だろう。先ず、評論を表す言葉だと思う。「本当の愛」は、いい愛を指すのではないか。ただ「真実」だけではないのは明らかだ。東京は日本にあるのは、誰も否定できないのに、「本当の日本ではない」という人は多い。日本、いや、東京に住んでいる人も含まれているので間違っている筈はない。そして、東京は日本の全国ではないという意味でもない。これは明らかだから、いうまでもないことだ。だから、評判を表す表現だと思う。
そう言ったら、どういう評価を表すのだろうか。この質問は簡単ではない。「本当の愛」は、褒め言葉だ。そして、「東京は本当の日本ではない」は、東京を批判する方法だと思う。この例だけ見たら、本当は褒め言葉と思い込むだろう。ただ、「本当の私を知らない」という使い方は、自分に対する批判だ。見せる姿は本当の姿より素晴らしいという意味を抱えている。そして、「本当の日本を見たかったら、歌舞伎町に行きなさい」と言われたら、日本を批判するつもりだと思えないだろうか。評判が入っているが、評判は「本当」にあるではなく、「本当」と繋がっている言葉や概念にあると思う。文章に出ない場合も多いだろう。「東京は本当の日本ではない」の中で「東京が嫌いだが、日本が好きだ」という意見がはっきり言っていないが、ああいう意味を取らないと文章も分からない。
ちょっと見直そう。「本当」は、評判を伝えるときによく使われると言えるが、「本当」自体が評判を表さない。では、どういう役割を担っているだろう。
存在している物は複雑だ。何者でも、複雑だ。日本といえば、禅のお寺もあるし、パチンコもあるし、無人島もあるし、渋谷もある。この複雑な存在を評判するのは、無理と言っても過言ではないだろう。だから、「本当」という言葉の役割は、複雑な存在を単純にするなのではないだろうか。東京は本当の日本ではなないと、日本の評判とは関係はないので、「日本は大自然と共存する国だ」と言えるようになる。東京は本当の日本なら、「日本は寝ずに働いたり遊んだりする国だ」と言えるだろう。
要するに、「本当」という言葉と使ったら、「私にとって大事な様相はこれだ」という意味を持っていると思う。東京は本当の日本ではないと言われたら、話し手にとっては東京に集まった日本の習慣、商売、日本人などは大事ではない。無視できたら、無視したいということだ。「本当の愛」と言ったら、「一般的に愛と言われた感情を無視したい。益々素敵な感情を「愛」で指したい。」ということだ。自分のことについて使ったら、自分にとって何が大事かと表す。「仕事で見える人は本当の私ではない」という人は、仕事をちょっと軽視するか抵抗するか。「記念日を忘れるのは、本当の私ではない」と言ったら、お詫びと言えないが、少なくとも「行為を認めたくない」という。
でも、この考え方はちょっと危ないと思う。物も状況も人間も複雑だから、様相を切り捨てて評判するのは、正しい評判に当たらない。東京は本当の日本の一部分だし、かなり大きい部分でもある。仕事する自分も、自分の一部分だ。簡単な評判を出せなくなるが、それもいいと思う。この世の中に簡単に評価できるものや人はないと判断するからだ。憧れる人の中の弱点も認めたほうがいいし、憎む人の中の美徳も認めるべきだと思う。日本を考えたら、東京も東北も、禅のお寺もパチンコも、墨絵も漫画も、できるだけ全面的に考えたほうがいい。自分のことなら、自分がすることを自分の功績として受け取ったほうがいい。そうして自慢できる人もいるし、謙虚する人もいる。
確かにそうするのは難しいし、完全に出来る人はいないかもしれないが、「本当の」という表現を使うと、ほとんど「そうするように頑張らない」という気持ちを表す。無意識に人などの大事な様相を怠る場合は多いので、わざと怠るべきではない。どんな様相でも平等に重んじたほうがいいわけはないが、無視できる様相は非常に少ないと思う。
だから、「本当の私」とか「本当の日本」などの言い方を避けたほうがいいと思う。世界を正しく見るために。