ブログのバーションアップ

只今ブログのソフトをバーションアップした。ブログを見たら、あまり変わらないような気がするが、裏の管理措置が変わった。だから、問題を見付けたら、お知らせお願いします。

特にブログを書くところが変化した。ちょっと妙な感じだ。この九ヶ月に前の外見になれてきたので、急に変身した画面を不思議に感じる。では、これからもブログをよろしくお願いします

北川景子写真集 Dear Friends

昨日届いてきた本は北川景子写真集 Dear Friendsだ。タイトルから分かるはずだが、北川景子さんの写真集で、Dear Friendsという映画と関連する。昨日読んだというより見た。写真集で、文字は少ないので一時間以内読めた。漫画より速い。北川さんとのインタビューも載っているので、日本語の練習に少しなった。

評価を言う方法はなんだろう。美しい女性の写真は沢山載っているのは言うまでもないし、映画の設定からの写真も多いのも当り前だ。ビキニなどの写真はないが映画のキャラがセクシーな服装を着るのでああいう写真がある。さて、先ず映画と関連する写真の部分がある。帽子の代わりに携帯をかぶった北川さんの写真は面白い。そしてインタビューと「日常の景子」の写真の部分がある。デニムとセーター姿の北川さんだが、ブログなどによるとそれは毎日の姿だそうだ。インタビューによると、大学での同級生の男性が北川さんを異性として考えないそうだ。信じ難いと思うけれども。恋愛にならない理由は、むしろ北川さんのような美しくて有名な女優さんに対するナンパする勇気はないからだと推測する。男子大学生は、臆病だからね。私がよく覚える。

そしてまた写真が載って、最後に「private」という部分がある。そこで北川さんの部屋にある気に入るものの紹介とか質問の答えとか友達からのメッセージなどが載っている。ちょっと矛盾を抱えたところがあるが、インタビューで「目で演じられる俳優を尊敬する」と言ったが、質問で「男性の目を見る。目はうそをつけないから。」と言った。うそをつける俳優の目を憧れるのに。

私は写真集には詳しくないので、写真集として評判できないと思う。だが、私が楽しんで見た。満足だ。ファンの人達も満足に成るはずだと思う。写真集を見ると、女性のファンにアピールするつもりなのではないかと思う。セクシーな写真は少ない方だし、リアルな話を入れたからだ。友達同士のような雰囲気を作り出したといえるかな。男性を拒むわけはないが、女性は的かなと。

ところで、ブログへのリンクを作るためにまた北川さんのブログのフロントページを見た。土曜日に渋谷で舞台挨拶するようだが、私が買った前売券は舞台挨拶の映画館のためだ。朝の上映だから、実は行くのはむりではない。ただ、早く着くために早起きはちょっと辛い。行くかな。それとも家で寝坊するかな。ゆり子と一緒に行くのはも定められたので、行かないほうが確立が高いね。

用事がいっぱい一日

今日は月曜日で休みの日だから用事をした。休みとはいえるだろう。

先ず、イギリスの大使館に行った。外国で結婚したら、英国のいわゆるGeneral Records Officeで証明書を預けてもらえる。そうすると、英語の翻訳が簡単に手に入れられるし、イギリスの政府のほうに結婚のことは登録される。入籍したときに必要な資料をもらったが、まだ大使館にいっていなかった。だが、ゆり子が妊娠して、やはり預けてもらったほうがいいなと思ったので今日やっと行った。

そして、湯島天神にお参りした。去年のお札を納めて、今年のお札を受けるのは基本だったが、うそも受けた。うそというのは、天神様での神事なのようだ。正式にうそ替えと呼ばれたが、私にはうそはなかったので受けたのみ。うそは木材で作られた鳥のことなので、神棚に載せたら可愛い。境内に入ったら、「わぁ、梅がもう咲いている」と思った。やはり今年は温かいね。神社の梅祭が十日後始まるが、やはり初期に行ったほうがいい、梅が見たければ。できれば行きたいが、時間があるかどうかのは問題だ。

湯島天神で宝物殿にも入った。今梅祭のために特別な梅の日本画を展示することだから、入ると「梅!」という印象だ。やはり綺麗だったが、また基本の宝物を見るために行くと思う。日本画を見たら、癒す感じがあったので、家の飾りとしていいかなと思った。勿論買えるわけはないけれども。

近所の愛用の寿司屋で昼ごはんを食べてから皮膚科に行ってきた。足はもう大丈夫のようだが、お医者さんがちょっと驚いたようだ。最初の症状はひどかったので、こんなに速く直ると思わなかったようだ。だから、薬を減らして進んだら、症状が悪くならない限りまた行く必要はないと言ってくれた。

だから、「休み」と言えなくても、必要なことが沢山できたのでちょっと安心になった。明日から仕事を頑張る。

未来の神社神道論

最近読んだ本は未来の神社神道論という本だ。本の作者、勝田勇氏は東京の真ん中に鎮座された芝大神宮の宮司で、この十数年神社神道の将来を考える委員会に努めたそうだ。本が提言と所感を集める。本の構成を考えたら、この方法には弱点がある。それは、同じ議論や意見が何回も繰り返されたことだ。それは仕方がないと思うが、確かに十二回目同じことを読んだら、「もう分かってるって」という感じだった。

さて、内容はどうだろう。私にとって本当に興味深い。大都会に鎮座する神社は氏子が減少しつつあるし、農業との関係が希薄なるので、参加者の数も減るそうだ。確かにこれは予想外ではない。今日直面して取り組むべき問題も具体的に叙述する。現代の若い日本人が神道に対する関心を持たないとか例大祭が衰えるとか祭には神様の味が薄くなったなど。実はイギリスのキリスト教の国家教会の愚痴に似ている。

そう考えたら、提案される解決方法に同意できない。それは公的教育制度にまた宗教教育を導入することだ。イギリスで国家教会もあるし、それに宗教教育は義務だ、公立学校にせよ、私立学校にせよ。しかし、教会に行く人は日本の神社に行く人より少ない。日本のお正月のように人口の七割以上が集まる行事はないのである。宗教教育は義務だからといって、必ずしも宗教にたいする関心が深まるとは限らない。確かに、ほとんどのイギリス人はキリスト教とイスラム教が区別できるので、知識は日本人より高いといえるが、関心は日本人より薄いだろう。

もう一つの推挙は情報機関を使うべきということだ。これには賛成できる。現代人がインターネット上に情報を集めるので、神社にはホームページはなければ、存在感が薄くなってしまう。

ただ、読んだらちょっと矛盾を抱えると思うようになった。なぜなら、よく「現代に応じて変わらないといけない」と書いてあるが、「昔のまま保たないといけない」とも書いてある。昔のままにすれば変更できないのはいうまでもないだろう。確かに全てを変更したら神道ではなくなる。しかし衰えたら変更が必要だと思わざるを得ない。ときどき「社会が変わるべき」という印象を受けた。そう考えたら仕方がないが、神道界には社会を変更する力はないだろう。変更できるのは、神道界だけなのではないか。つまり神社神道の形を変えないと神道が消えてしまうかもしれない。

歴史的に見れば、これは大変なことではない。千年前に神仏集合が導入されたし、150年前に削除された。仏を神社に入れるほどな変更は必要だとは言えないと思う。そして、世襲の神社から公務員形から世襲の神社に戻ったことも明治維新以来の歴史だ。吉田神道統一の絶滅、伊勢の神宮の参拝禁止の解除、御師制度の禁止などの変更もあった。神道の伝統は長いが、ちょうど今の形の神道の歴史はわずか60年間だろう。だからまた時代に応じて変更したら悪くはないと言いたいのだ。

例を挙げたら、農耕と関わった祭祀を大都会で衰えさせたらどうだろう。もう周りの人の生活と無関係だから、心を込めて参加するわけはないと思う。その代わりに都会の生活と関係ある祭を導入したらいいのではないだろうか。例えば春に桜が咲くし、学校の新年も始まるので開始の祭が人の心に応じると考えられないだろうか。そして、お正月はもう身近な行事だから、祭を強調づればどうだろう。

私は全然神職ではないので、分からないところは多いはずだし、生きている歴史がる祭を止めるのは大変もったいないと思う。ただ、神道界に危機感が感じられたら、周りの社会の批判で解決できないと思われる。現代社会にもよい点があるので、祭などでその点を奨励したら社会の変更を誘えると私が言いたい。神様の顕現を待たないほうがいい。