未来の神社神道論

最近読んだ本は未来の神社神道論という本だ。本の作者、勝田勇氏は東京の真ん中に鎮座された芝大神宮の宮司で、この十数年神社神道の将来を考える委員会に努めたそうだ。本が提言と所感を集める。本の構成を考えたら、この方法には弱点がある。それは、同じ議論や意見が何回も繰り返されたことだ。それは仕方がないと思うが、確かに十二回目同じことを読んだら、「もう分かってるって」という感じだった。

さて、内容はどうだろう。私にとって本当に興味深い。大都会に鎮座する神社は氏子が減少しつつあるし、農業との関係が希薄なるので、参加者の数も減るそうだ。確かにこれは予想外ではない。今日直面して取り組むべき問題も具体的に叙述する。現代の若い日本人が神道に対する関心を持たないとか例大祭が衰えるとか祭には神様の味が薄くなったなど。実はイギリスのキリスト教の国家教会の愚痴に似ている。

そう考えたら、提案される解決方法に同意できない。それは公的教育制度にまた宗教教育を導入することだ。イギリスで国家教会もあるし、それに宗教教育は義務だ、公立学校にせよ、私立学校にせよ。しかし、教会に行く人は日本の神社に行く人より少ない。日本のお正月のように人口の七割以上が集まる行事はないのである。宗教教育は義務だからといって、必ずしも宗教にたいする関心が深まるとは限らない。確かに、ほとんどのイギリス人はキリスト教とイスラム教が区別できるので、知識は日本人より高いといえるが、関心は日本人より薄いだろう。

もう一つの推挙は情報機関を使うべきということだ。これには賛成できる。現代人がインターネット上に情報を集めるので、神社にはホームページはなければ、存在感が薄くなってしまう。

ただ、読んだらちょっと矛盾を抱えると思うようになった。なぜなら、よく「現代に応じて変わらないといけない」と書いてあるが、「昔のまま保たないといけない」とも書いてある。昔のままにすれば変更できないのはいうまでもないだろう。確かに全てを変更したら神道ではなくなる。しかし衰えたら変更が必要だと思わざるを得ない。ときどき「社会が変わるべき」という印象を受けた。そう考えたら仕方がないが、神道界には社会を変更する力はないだろう。変更できるのは、神道界だけなのではないか。つまり神社神道の形を変えないと神道が消えてしまうかもしれない。

歴史的に見れば、これは大変なことではない。千年前に神仏集合が導入されたし、150年前に削除された。仏を神社に入れるほどな変更は必要だとは言えないと思う。そして、世襲の神社から公務員形から世襲の神社に戻ったことも明治維新以来の歴史だ。吉田神道統一の絶滅、伊勢の神宮の参拝禁止の解除、御師制度の禁止などの変更もあった。神道の伝統は長いが、ちょうど今の形の神道の歴史はわずか60年間だろう。だからまた時代に応じて変更したら悪くはないと言いたいのだ。

例を挙げたら、農耕と関わった祭祀を大都会で衰えさせたらどうだろう。もう周りの人の生活と無関係だから、心を込めて参加するわけはないと思う。その代わりに都会の生活と関係ある祭を導入したらいいのではないだろうか。例えば春に桜が咲くし、学校の新年も始まるので開始の祭が人の心に応じると考えられないだろうか。そして、お正月はもう身近な行事だから、祭を強調づればどうだろう。

私は全然神職ではないので、分からないところは多いはずだし、生きている歴史がる祭を止めるのは大変もったいないと思う。ただ、神道界に危機感が感じられたら、周りの社会の批判で解決できないと思われる。現代社会にもよい点があるので、祭などでその点を奨励したら社会の変更を誘えると私が言いたい。神様の顕現を待たないほうがいい。