3000語

3000語を書いた。これは、私の厳密プロジェクトのための言葉だから、これ以上何も言わない。ただ、毎日3000語が書ければもうすぐ秘密ではなくなる。披露したいのだが、発表する前に発表の内容を定めないといかない。

そして、3時間の授業もあった。生徒さんが三人いたが、連続授業だったのでちょっと疲れてきた。Ars Magicaの仕事をちょっとだけできたが、今緊急なことはあまりないので、大丈夫だ。

これからブログを書いたり本を読んだりするつもりだ。

熱心

ゆり子によると、私が熱心だそうだ。なんでも、熱心。その発言を発されたのは、北川景子さんのDear Friendsの映画を見に行ったことだった。DVDや本も買ったし、その上ファンレターも送った。だから、「どうしてそんなに熱心なの?」と聞かれた。正直に、分からない。確かにファンにならない理由はない。綺麗で演技が上手だから女優の条件を満たすからだ。だが、他のそういう女優も沢山いる。だから、どうして私が北川さんのファンになったのだろう。

考えたら、日本に初めて来たときにテレビで北川さんが出演する美少女戦士セーラームーンが放送された。子供向けの番組として、理解できたのでほぼ毎週見た。新しい環境に入った時、周りのことから印象を受けやすくなるだろうが、印象深かった。特に脚本と北川さん。そして初めてファンレターを書いたりして、ついファンになってしまった。

今は本気にファンだし、素晴らしい女優になりつつあると正直に思うが、最初の時に冷静に日本の女優、否、世界の女優を皆考えて、ファンになるべき北川さんを選んだわけはない。そして、今他の女優に気持ちを転じるのは考えもしない。それはファンの本格と言えるが、合理的だとは言えない。それは、冷静に考えたら同じ結論になるとしても事実だ。それは合理的にすれば、冷静に考えるが、私は冷静に考えていないからだ。

神道も似ている場面がある。氏神様にお参りする頻度は、少なくとも週に一回ぐらいで、ほぼ毎日神棚の前でお参りする。それは日本の基準で計ったら超熱心者なのうようだ。その上今まで読んだ神道の本が十数冊に積み重なった。普通の日本人より詳しいのはいうまでもないが、普通の日本人は神社とお寺を区別することはできないので、それは素晴らしいことだとは言えない。

だが、神様が文字どおり存在することが信じられない。(何かが存在する可能性を否めないが、このことが哲学的で複雑になるので、別な記事で説明させて頂きます。哲学的な日本語を学んだら書けるかもしれない。)それに引き換え、祭とかお参りなどは参加者にいいと思わざるを得ない。その上、倫理的には抵抗感はない。仏教もキリスト教もちがうが、賛成できない神職の発言があると認めともそれは神道そのものではないとも言える。神道の基本、いわゆる敬神崇祖生活や正直清浄生活、と同意できる。その上、本居宣長の神の意義に従ったら、存在も否めない。敬虔に感じさせる場所などは確かにある。(どうやって存在を否む神様を敬えるかとういうと、それも別な記事にさせていただきます。)

つまり神道に対する態度がこんなに複雑なのに、なぜ熱心なのかとは聞かれても不思議ではない。合理的に考えたら神道ではなく、無宗教の哲学のほうが相応しいのではないだろうか。そう考えられても、まだこういう心で続く。

ヤマサの時も同じく皆勤賞をもらうほど熱心だったし、仕事にたいするも同じ態度だ。やはり性格だ。どういう性格かというと、何かをやろうとしたら、起源がいかに些細なことでも、全力を尽くしてやるという性格だ。

これはいいか悪いか分からない。罪ではないと信じるが、もう少し緩やかなな性格で人生と取り組んだら私も周りの人ももっと楽で幸せにならないかと思う。そして熱心で大袈裟のできごとをする、それほど許す理由はないのに。それは熱心そのものだろう。忠実とも呼べるかもしれない。これをやることにしたからこそ、全力でやり遂げるという気持ちだ。だから、最初の時に気を付けないと悪い結果に巻き込まれる恐れはなくはない。

幸い今日挙げた例にはその恐れはないと思う。北川さんの映画を見たり本を買ったりしても、家計を崩すわけはないし、ストーカーなどになるわけもない。一方、神職になっても(そういう可能性は極めて低いと思うが、仮りにそう思ったら)悪いとは言えない。神職は軽蔑すべき存在ではないからだ。

実は、合理的に考えても一概に悪いと言えない。いつも一番いい方法を探して方向を変えたら、何もできないはずだ。価値がある結果を設けるのに時間も努力も必要だから、先ず悪くない目標を選んで、猪のように真直追い込んだほうがいい場合も多い。確かに女優のファンの生活とは関係ないかもしれないが、ブログも熱心だし、ブログを毎日更新すれば結局面白い作品になる可能性はなくはない。

しかし、目標が無理になったら、必要な行為が邪悪になったら、周りの人に損害を与えるようになったら、止めたほうがいい。私のような性格を持ったら、止めないことは多いだろう。だからいいか悪いか判断するのは難しい。性格はどちらのほうでも、危うい傾向がある。私なら、続くべくもない場合にも頑固で続く危険がある。

これは、オタクの品質だと言えるだろう。自分の趣味に夢中になり、最後まで追い込む魂はオタクに宿ると思われる。

即ち、私がオタクと呼ばれたら、認めるしかない。

英語のブログ

英語のブログを開いた。英語の日記を書くのは、ちょっと時間や努力がかかったので書かないときがちょっと多くなった。だから、簡単にブログのソフトで書くようになった。毎日書くのは、この日本語のブログなのだが、英語のブログも少なくとも毎週更新するつもりだ。できるかどうか分からないが、してみよう。