伊勢神宮

昨日伊勢神宮という本を読み終わった。本の課題を推察できる人は少なくないだろう。実践を中心に内宮と外宮の神事と歴史、神事の意義などを説明する。別宮と摂社も紹介されるが、多いので一ページずつ程度で叙述される。興味深い本だ。神宮の構えをもう少し理解してきたし、年中行事のパターンも分かる。昔のままの謎は多いようだが、もう一度神宮にお参りしたくなった。前回何も分からなかったが、今度見たら奥深い光景になると思う。

強い印象が残ったことは、明治維新で神宮の構成や神事が大きく変わったという消息だ。伝統と言えば、薩摩藩士に定まられた習わしではないだろう。遡って、明治以前の状況に戻るべきだというわけはないが、神事などを改訂しても悪くないだろうと思った。確かに神事の中心部が遥か昔から伝わってきたのでそれを損なうべきではない。20年毎の式年遷宮、心御柱の秘儀、皇室との密接、大御撰を後代に伝えるべきだと思う。しかし、詳細な所は明治維新に定められたので現在に相応しくなければ、改訂しても構わないだろう。

実は、遷宮のホームページを見たら、改訂しているようだ。特に外国人を祭典に参加させてくれたようだ。だから、私の立場から見たら昔の伝統と現代の対応をうまくバランスしているようだ。コンクリートで神宮を建て直すなど、私も避けて欲しい。式年遷宮を保ったほうがいい。

それについて読んだら、神宝を作るための技術の状況は厳しいようだ。基本の問題は、20年に一回というのは、家族を養う程度ではないと思える。技術が遷宮以外需要されていなければ、出来る人が弟子を見付けられなくなるはずだ。別な仕事を兼ねたら、技術を磨けなくなるので神宮に相応しい高級技術になれないだろう。だから、神宮があの技術をお守りや御札の作成に雇ったらいかがだろうと思う。葉っぱの編み方が失いそうになったら、編んだお守りを用意したほうがいいだろう。鍛冶の技術が問題になるなら、破魔矢の作成に導入できないだろうか。そうすると、毎年年中無休需要があるので少なくとも職人一人は生活ができるのではないか。

ただ、国家の支援を求めないほうがいいと思う。なぜなら、民間の大勢からの支援のほうが固定されるからだ。政府が公費を補給すれば、一括失う可能性が高い。一方、国民が百万人予算を補給すれば、一人が飽きても大きな問題にならない。その上、宗教的な活動を構成的にさせないほうがいい。税金から職人や遷宮を支えてもらったら、そういう事実だ。人が寄付したくなければ、神宮の方がもう少し頑張ったほうがいいのではないか。神宮には素晴らしい日本の伝統が保たれているので、保存したい日本人は少なくないだろう。

さて、ちょっと余談だったし、私には何が分かるか言えないので、本のことに戻ろう。かなり詳しかったが、分かり易く説明する。弱点があれば、挿絵の質はちょっと低いということだ。白黒で、細かいところは見にくい。文章といえば、本当にいいと思う。


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