今日また國學院大学に行って来た。講座がゴールデンウィークのため一週間延長されて、今日第二回が行われた。今回律令国家の神道制度についての講義だった。殆ど皇室と関係ある祭儀についてだったが、全体的な神道の歴史の立場から見たら、かなり大事な一面なのである。
中央の祭祀でも、天皇が関わらない祭祀は多かったようだ。一年中19回祭祀が行われたが、いわゆる天皇視祭は三つしかなかったという。それは、月次祭と新嘗祭だそうだ。月次祭なら、六月と十二月年に二回執り行われたが、天皇が11日の夜にいわゆる神今食(じんこんじき)を行ってから、16〜17日に伊勢神宮で行われたそうだ。そして、304座の神様のところにも幣帛を奉ったという。11日から16日までの五日間の原因は、京都から伊勢まで行くのに五日間がかかったことだと言った。
月次祭の大事な部分が一日から行われたいわゆる御体後卜だった。これは、九日まで神職が占をして、全国の神様が今天皇を祟っているかどうかを調べる儀式だったそうだ。何故天皇がそんなに祟られがちだったか、不明だが、大事に思われたようだ。
また興味深い講義だったが、祈年祭を除いて、この祭りが当時の全国の神社の十分の一と関連した。残りの九割の神道は、どういう形だっただろうかと思わざるを得ない。勿論、記録が残らない場合も多いはずだし、三千余神社があったようなので、一時間半の講義ですべて紹介できるわけはないので、中央のことを紹介する方針を批判できない。ただ、地方のことをどんどん知りたくなってきた。神道の統一性は薄いような気がするので、中央だけをいかに深く勉強しても、本格的に神道の本質がわかるわけはないだろう。