神道を知る講座III〜第3回

今日は講座の日だったので、渋谷の國學院大学に行ってきた。今回のトピックは、平安時代の中央祭祀だった。私は基本的には平安時代に興味を持っているので、本当に楽しかった。

まず、いわゆる延喜式内社を紹介した。これは、平安時代の半ばぐらいに編纂された延喜式という書物に入っている神社だそうだ。今「式内社」と誇る神社は少なくないようだが、その理由は二つあるそうだ。一つは、かなり古い神社の証拠だということだ。少なくとも千年続いてきたはずだし。もう一つは、千年前に皇室と係わって、結構有力な神社だったという証拠にもなるからだそうだ。ところを数えたら、2861にのぼるそうだから、全国にあるそうだ。

本来、式内社からの神職が毎年の春に都に上がって、政府から供え物をもらって、帰って、祭を行う形だったようだ。近畿の社なら、別に問題はなかったが、東北はもちろん、九州や関東の社もかなり辛かったようだから、地方の神社が国司からもらうことになった。それは、神社の格差社会の場面の一つだった。

さらに式内社の間から300前後の神社が名神(みょうじん)として選ばれたそうだ。皇室の祭はこの有力神社を焦点にしたという。時間が経つと、さらに二十二社制が生まれたそうだ。それは、京都の周りの二十二の神社を皇室の信仰の中心となった制度だそうだ。伊勢神宮はもちろん、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社、石清水八幡宮、大神神社などの神社が入っていた。さらに少なくなるのは、勅祭社(ちょくさいしゃ)というところだ。これは、天皇自身が祭に係わるところだった。伊勢神宮は別格として、春日大社賀茂別雷神社賀茂御祖神社石清水八幡宮の三つだった。

そして、平安時代初期には、神様に位を与える制度、いわゆる神階制が始まったと言われる。人間の冠位制のように設けられたので、天照大神には位はなかったそうだ。(同じく、天皇には位はなかった。)正一位から下がったが、八幡様が正一位の上の一品という位に付けられたそうで、900年代までに殆どの神様が正一位になったようだから、神階制があまり現実的ではなくなったようだ。

さて、公祭の制度も語られたが、天皇の外戚の氏神様を祭るための制度だそうだ。それ以外、都の守護神とか、疫病を防ぐ神様などが対象になったようだ。面白いのは、賀茂社を始め、四箇所でいわゆる臨時際が恒例になったことだ。恒例になっても、まだ「臨時際」と言われたから、毎年特定された日に執り行われた祭がまだ「臨時」と言われたしょうだ。

一の宮制度の起源にも触れたが、もう一つの興味深い逸話があった。孝明天皇まで、天照大神を除いて、天皇が直接神様にお参りしなかったそうだ。神社まで幸行しても、神社の入口で仮説な殿に入って、配電まで直視を派遣したそうだ。なぜ天皇が神様との直接な関係を避けたかというと、明らかではないようだが、祟られないようになのではないかと、教授が言った。

今週本当に興味深かった。次回を楽しみにする。


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