神道を知る講座III〜第5回

今日國學院大學の神道講座に行ってきた。興味深かった。本題は、神仏習合だったが、それに入る前に教育勅語と大祓詞を合唱のように読み上げた。なぜなら、すぐに講座の受講者の一部分が(三分の二だそうだが)神社参拝に行くが、一緒に大祓詞を奏上するようだから、今回練習したほうがいいからだ。だから、講義が始まる前に教室が清々しくなったと岡田先生が言った。確かにそうだ。

さて、神仏習合が奈良時代から始まって、明治維新の神仏分離で終わったと言われているので、日本史の九割は神仏習合だそうだ。現代の状況は本当に珍しいそうだ。といっても神仏習合の形が時代の流れと一緒に変わったようだ。当初に、いわゆる神身離脱説が普及したと言う。これは、神様が仏教に帰依して、悟りを開こうとする説だそうだ。だから、神様を救うために神宮寺が建立され、社僧という僧侶が勤め、神前読経が行われたそうだ。これを見たら、なるほどねと思う。神様を生き物として見なして、仏教の救済を求めると判断する立場だ。

それから、護法善神説が現れたと言う。漢字からわかると思うが、これは神様が仏教を護る説だそうだ。東大寺の八幡神社を例として挙げようが、他のお寺にも守護神があったそうだ。

そして、本地垂迹説が盛んになった。これは、日本の神様は、実は、仏様の仮の姿だという説である。天照大神は大日如来で、天神様は観音様などの具体的な説があったようだ。だから、「権現」という神号が始まったそうだ。「権現」の意味は、「仮の現れ」だから、本地垂迹そのものを表す。「大菩薩」も神様の号になったことも、本地垂迹に基づく現象だそうだ。

この雰囲気のなかで、僧侶が神道を勉強し始めて、神道のことを解くようになったそうだ。それは、身分が低い僧侶に限らず、天台宗の首座の慈円まで及んだそうだ。この僧侶の間でも、仏教の優位に対する疑いがあったようだ。これは、鎌倉時代に起こって、次回の伊勢神道の前提になったそうだ。

講義の途中で、受講している僧侶が岡田先生の誘いに従ってちょっと発表した。ここは分からなかったところは多かった。なぜなら、仏教関係の用語や名前は多かったからだ、仏教はまだ詳しくないので、ちょっと聞き取りにくかったが、主旨は神前読経などが今も続くことだった。要するに、神仏習合が終わったことではなく、形がまた変更したという結論だと思う。ところで、この僧侶は、奈良のお寺に属しながら(興福寺かもしれないが、これもちょっと聞き取れなかった。興福寺と無関係ではないと思うが、詳しくどういう関係が分からない)國學院で神道の博士講座を受けているそうだ。

最後にちょっと熊野信仰に触れたが、平安時代以降これは神仏習合の極まりだったようだ。だから、熊野の建物がお寺に見えるだろう。

そして、もう一つな興味深いことがあった。神仏習合の時に、神様の前で仏教の儀礼が行われたが、逆に仏様の前で神道儀礼を行うことはなかったようだ。要するに、如何に「習合」と言っても、神道と仏教の格別がずっと続けたということだ。密接な関係だったが、二つの宗教の関係で残ったという。神仏分離も証拠になるだろう。曖昧なこともあったはずだが、「これは神道で、それは仏教だ」と言えた。そして、抵抗があったが、区別についての抵抗は余なかったようだ。抵抗は、分離しないほうがいいという意見だったようだ。

講座が明治維新に至ったら、神仏分離について聞きたいが、聞くかどうか分からない。なぜなら、教科書のなかで神仏分離が殆ど扱っていないからだ。読んだ時もちょっと不思議に思った。


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