今日國學院大學に行ってきた。夏休みの前の最後の講義で、それに岡田先生の最後の講義だった。今日の課題は中世の神道の展開だったが、内容はちょっと例とまとめになった。
先ず、例として伊勢の参詣曼荼羅を見せた。ところどころをいちいち説明してくれて、当時の庶民信仰を紹介した。当時というのは、十六世紀後半か十七世紀当初だったそうだ。曼荼羅で、外宮も内宮も赤く描かれたが、他の資料から伊勢の神宮はずっと白木作りだったのが分かると言われるので、曼荼羅のインパクトを増やすための工夫だっただろうと。外宮の後ろにある山には古墳だあり、当時にその前に天の岩屋戸に準えた神楽が行われたそうだ。その絵画で天照大神の顔の描かれた。
宇治橋からお金を川に投げ入れる習慣があったようで、曼荼羅で銭を拾おうとする人の姿もあった。そして、左上に富士山が描かれた。伊勢の山の上から、冬の空気が綺麗な日に富士山が見えるそうだ。だから、曼荼羅に入った。
曼荼羅は、宣伝役したそうだ。いわゆる御師が全国を回って、高級の人を始め国民の全てに伊勢のことを紹介したそうだ。そして、お伊勢参りの準備も負担して、まるで旅行会社かのように働いたそうだ。岡田先生によると、国内旅行を考えたら、御師が構えた形は今もあまり変わらないそうだ。
そして、両部神道をちょっと紹介した。それは、仏教側から生じた神道だそうだ。1052年に末法という仏教の教えが効かない時代に入り、僧侶が神の力を合わせて救いを求めたそうだ。だから、両部神道によると神道と仏教は同じことだったようだ。今でも高野山で続いているそうだ。
最後に先生が神道の本質についてちょっと語ってくれた。神道は、言挙げしない宗教で、本質を問うのは難しいが、大きく別けたら三つの点を掲げた。
一つめは、神に対しての純朴な感謝の気持ち。神と神の間の争いは神道にはあまりないと言って、神の由緒にこだわらずに感謝することだそうだ。
もう一つは、人間の元に戻って、元から歩むことだった。
最後に、明るくて清らかに正しくて直に行くことだった。特に正直の心は大事だそうだ。
言挙げを避けるので、これ以上解説はなかったが、これを見たら私も賛成できる。正直というのは何か、感謝を表す方法は何か、人間の原点は何かという細かい質問で探ったら意見がばらばらになるかもしれないが、この大まかなレベルで、違和感は何もない。