今日あさきゆめみし6を読み終わった。これは、宇治十帖の部分の前半で、光る源氏ではなく、薫と匂の宮の話だ。初めて源氏物語を読んだときに、この部分のほうが好きだったが、翻訳によって相違があるので、今回源氏の部分と同じぐらいかもしれない。
前の部分と共通点があるのは当然だろうが、興味深いのは、亡くなった人の生き写しの主要な役割だ。源氏の場合は、桐壷帝が藤壷の宮を桐壷の更衣の生き写しとして気に入ったし、源氏がずっと藤壷の宮を追って、紫上を生き写しとして憧れた。薫は、大君の生き写しとして浮舟を慕っている。これは、二面から興味深い。
一つは本当に面的だ。平安時代に高級の女性の顔があまり見えなかったので、何で生き写しが大事になったかと分からない。歌の詠み方や風雅な好みのほうが分かるはずだから、外面はどうして重んじるのかなと思う。
もう一つは、もう少し深いことだ。亡くなった人を取り戻そうとする男性は多いということだ。特に自分の物にできなかった女性を身代りとしても手に入れようとする男性は多い。それを考えたら、どういう心理なのだろうか。最近、そういう傾向はないだろう。確かに平安時代の風習が大分違ったが、これは平安時代の風習か、紫式部の考え方か、分からない。平安時代に対してまだそれほど詳しくないから。益々勉強したらいいだろう。
コメント
“あさきゆめみし6” への2件のフィードバック
現代でも、昔好きだった人に似た人と結婚したなどという話は結構あると思います。実際10日ほど前、久しぶりに大学時代の友人に会ったとき、「結婚式に来たサトシに(花嫁が)あなたに似ていると言われた」と打ち明けられました♪♪
それはさておき、もしかすると平安時代の皇族・貴族社会は狭かったので、どこかで血が繋がっているために似ているひとも多かったのかもしれません。
ところで「好みのタイプ」という言い方は英語にはないのでしょうか。
YUMEMIさま、コメントをありがとうございます。確かにイギリスでも「好みのタイプ」もあります。英語で「type」だけと言われています。ですが、源氏物語では、もう少し強い感じなのではないですか。似ている人だけではなく、失った人の性格も、外見も、全て揃った人を探すような気がします。
でも、言った通り皇族、豪族の世界は非常に狭かったですので、非常に似ている人を探したかもしれません。