今日昼ごはんを食べながら、ゆり子とブログについて話した。ゆり子がブログを開くかどうか考えているようだ。私が長い間ブログを営んだので、ちょっとアドバイスをした。二つのポイントは大事だと思う。
第一は、ブログを書いたら、だれでも読めることだ。
第二は、いったんブログで発表したら、二度と消せないことだ。
私は、ブログを書くときにいつもこの二つを考える。だが、ブログが人気になる次第、社会が変わるようだ。注意をよく見る。例えば、ブログの情報を使って、悪徳な人がアイデンティティを盗んで悪いことをする恐れがあるとか、十代のころに情報を発表したら就職しようとする時に問題になる可能性があるなど。でも、よく考えたら、これは間違っていると思う。
アイデンティティを盗む問題を最初に考えよう。銀行などがウェブで見付けられる情報の上で口座やローンをしてあげたら、それは銀行の問題にしたほうがいい。ウェブで見付けられる情報は、アイデンティティの証拠ではないからだ。それを受け取ったら、元の人に損害するわけはないだろう。
そして、十代の恥ずかしい行為の発表は、なんで問題になるだろう。十代の人は、馬鹿なことをするのはごく普通なのではないだろうか。十代のころ馬鹿なことを一切しなかった人に限れば、雇える人の数が非常に少なくなる。十代の人に「ウェブで発表しないほうがいい」というより、会社に「候補者の十代の行為に気にしないほうがいいよ」と言ったほうがいいと思う。
実は、社会が変わりつつあると思う。ブログのお蔭で、一回も会ったことはない人の生活について非常に詳しくなれるようになった。そして、最近出会った人の歴史を調べたければ、簡単にできる。共通の趣味を持っている人が探しやすくなったし、偶然の出会いは地理的に限られていない。社会が変わるのはいうまでもないが、どういうふうに変わるか、予測できない。ただ、変わりつつある状況なら、不安定なところは多い。今不安定なのは、プライベートと披露する情報の間の線だ。世界的に披露された情報の範囲がどんどん広くなっていくと思う。有名人ではなくても、いちばん好きな色がだれでもわかる世界に入りそうだ。銀行などは、前はプライベートの情報に頼って口座などを造るが、もうプライベートではない。
社会の変化は、ブログなどの普及によって大きくなる筈だ。だれでもブログを開くことになったら、社会が大きく変わると思う。ブログはない人は、引き篭りのように扱われるようになるだろう。ネットで情報が見付けられない人に信頼できないと思う人が増えるだろう。ブログはない人には、悪い秘密がある可能性を高く判断して、雇わない会社も表れるだろう。人の半分ぐらいが開いたら、ブログのない人は珍しくないが、一つの連絡方法から離れた生活を送る。テレビのない人のようなのかもしれない。少ない人で止まったら、社会があまり変わらないだろう。だが、最近のウェブを見たら、ブログのようのmixiなどのサイトを考えたら、やっている人はもう少なくない。
この変化のなかでブログを書く人は、上手にするのは難しい。変化は途中だから、常識はまだ定まれていない。だから、ブログの本質を考えながら、だれでも、いつまでも読まれても良い情報しか書かないほうがいい方針で、私がブログを書きつづけるつもりだ。