大学の夏休みが終わったので、國學院大学の神道の講座が再開した。だから、今朝行ってきた。真由喜もゆり子も生活に慣れてきたので、行く許可もらった。
さて、今週から教授が変わったが、坂本教授になった。近世と近代の神道の歴史はテーマで、変化を焦点とする予定だそうだ。テーマの400年の内に画期的な変更が二つあるという。一つは、明治維新。もう一つは、第二次世界大戦終戦。今日徳川幕府の神道制度について語ってくれた。教科書などをもう読んだので、私にとっては復習の形だったが、復習はいい。ちゃんと覚えるようになるからね。そして、具体的な例も教えてもらった。
例えば、本文に入る前に若い研究者(大学院生か博士号を獲得したかわからないが)に江ノ島の神社を紹介してもらった。江ノ島にはお宮は三つあるが、江戸時代にはそれぞれ仏教のお寺に配下されたそうだ。管轄するお寺は、江戸初期に定められて、二百あまり年を続いた。そして、明治維新の神仏分離で、僧侶がほとんど還俗して神職になったそうだ。お寺との関係は絶えたという。変わらないことは、観光地の性質だったようだ。江戸時代から旅行先だったそうだ。
そして、坂本先生が江戸の制度について語ってくれた。基本は、法律によって定められたことだ。衣装も、振る舞いも、神職になれるかどうかは、すべて法律に定められたそうだ。坂本先生は社家出身で、坂本家の証明書のコピーを配れた。宮司に位を与えるものなどがある。今日の熊本県の神社だったので、やはり江戸時代にかなりお金持ちなはずだが、今貧乏だと言った。まあ、大学の教授だから、信じがたくないだろう。
近世の神社の制度は、多元的のようだ。江ノ島のようにお寺に管轄された神社もあったし、吉田家か白川家、すなわち従来の神祇官、に付属した神社もあったし、それに村持ちという小さい神社もあったそうだ。修験者が司る祭りもあったが、陰陽師が司る祭りもあったという。
後水尾天皇が「神事第一」との書物を著したから、幕府と協力して昔の祭祀を再興しようとしたそうだ。そのなかで画期的な神社建立と関わっていた。それは、東照宮のことだ。豊臣秀吉の豊国神社は、秀吉を祭神として祭る神社だったが、それは画期的な新しい形だった。その前に、人間が祭神になるのは、怨霊信仰と関係があったそうだ。要するに、祭神は祟り神として祭られた。普通にこの世で不幸な最期を遂げた人の憎みを慰めるために神社を建立したという。豊国は、ただ尊敬すべき人間を神として祭る形だった。最初の豊国神社は、徳川幕府の廃滅されたが、日光東照宮も同じ形だったという。近代に入ったら、明治神宮も同じだし。
そして、明治維新で神仏分離と踏襲廃止で江戸時代の制度は一斉崩壊されたという。だが、それはこれからの話題になる。次は、近世の神道思想についての講座だそうだ。近世にできた思想のなかには、神仏分離の種が秘めたようだ。