初宮参り

昨日書いた通り、真由喜の初宮参りを執り行ってもらった。家族で本当に楽しい一日を過ごした。確かに台風が来てしまったが、大変な問題にならなかった。

さて、初宮参りは昨日の最初のイベントだった。アメリカやイギリスや名古屋から来てくれた家族が私たちのマンションで十時半に集まって、歩いて神社に行った。雨はもうひどかったので、ちょっと濡れてきてしまった。だが、風は特に強くはなかったので、真由喜を守りきれた。そうだと思うが、実はずっと眠っていた。

初宮参りの神社は、近所の氏神様の白幡八幡大神だった。縁があるようになったし、神社の人を友達と言えるぐらいだし、それに伝統的に初宮参りは氏神様でするのが定められているので、決めるのは難しくなかった。習慣によると、産後33日にするべきだそうだが、家族が皆参加できるために数ヶ月前に日付を決めなければならなかったので、50日目ごろになった。だが、日にこだわらなくてもいいと言われるので、大丈夫だと思う。

神社に着いたら、別の人の初宮参りが行われていた。だから、控え室に案内してもらって、準備した。準備というのは、真由喜を抱っこ紐からだして、私の母に渡すことだった。伝統によると、赤ちゃんを初宮参りで抱くのは、お父さんのお母さんだそうだ。母は喜んでそうしてくれようとしたので、伝統に従った。そして、奇麗な着物を真由喜の上に載せた。その着物は、ゆり子の上司から借りたもので、大変麗しかった。付ける縁起物もあったし。

準備ができたら、社殿に進んだ。神主さんが太鼓を叩いて、式の始まりを発表した。私の家族には祖父祖母三組があるので、大人が十人いた。残念ながら、妹が一番前の列に座れなかったので後ろに座ってくれた。

初宮参りの形は、基本的には何の正式参拝と同じだ。先ず、神主さんが祓え詞を唱えて、大麻を振って社殿も私たちも清浄した。そして、神様の前に進歩して、正座で祝詞を奏上した。祝詞の内容がいつもと違って初宮参りのことだった。先ず、私とゆり子の名前と住所、そして真由喜の名前を言って、健やかに成長するように、神様や家に逆らわないように祈った。健やかに成長することは、私も望むが、ずっと素直にしてくれるはずはないと思う。

そして、玉串を奉った。最初は私とゆり子だったが、母とレイ、父とジョイ、お母さんとお父さん、シルバー、浩二君が順番に奉った。神主さんは英語ができないので、私が呼びかけたので、順番も私が決めたことだった。私の側から、そして祖父祖母が叔父叔母の前に奉ることにした。正しいかどうか分からない。

お下がりをもらって、式が終わった。そして、拝殿の中でちょっと写真を撮った。神主さんにも集合写真を撮ってもらったりしたので、写真はたくさんある。そして、控え室に戻って、ますます写真を撮った。神社の中庭は素敵だから、それをバックにした写真は多かった。

式の間に雨がよりひどくなってしまったので、タクシーを呼んでレストランに移動した。レストランで個室のような所で座ったが、真由喜は大変いい子だった。ゆり子が一回レストランの授乳室に行って授乳したが、それ以外真由喜が静かにしてくれた。

食べてからいったんマンションに戻ったが、すぐにスタジオアリスという写真屋さんに行った。七五三のシーズンで、写真を撮ってもらう人がたくさんいた。だが、真由喜がまたいい子にして、ほぼ泣かなかった。そして、写真の時に泣かずにいい表情してくれたので、早めに撮影が済んだ。それから、モニターで使う写真を選んで、商品を作った。まだ出来上がっていないが、来月中旬にもらえるようだ。集合写真もあるし、家族の三人の写真もあるし、真由喜のアップの三枚もあるので、楽しみだ。

そして、台風のせいでタクシーが取れなかったのでバスと電車で溝口に戻って、和風の晩ご飯を一緒に食べた。また個室のようだったが、また真由喜がいい子にした。実は、昨日真由喜がずっといいこにした。私とゆり子がいよいよ帰ろうとしたときにちょっとぐずったが、それも特にうるさくなかった。

帰ったら、たてすのことを気づいた。台風の暴風で倒れて、物干竿にぶつかって壊した。そして、竿やたてすの部品はバルコニーから落ちかけていた。だが、幸い大きな被害はなかったので、一応直した。今度渋谷にいったら、ハンズによって必要な道具を買うと思う。そして、ちゃんと直すつもりだ。

では、台風があったのに思い出深い一日だった。楽しくて親しく過ごした。そして、父が数百枚も写真を撮ってくれたので、記録もちゃんとある。いい日だった。


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