今日進んだ

今日の仕事がかなりうまくいった。まず、執筆も、読書も、編集もできた。そして、レッスンが三つあったが、順調だった。そのうえ、生徒さんに時給を上げてもらったし、新しい生徒さんになるかもしれない人からの連絡が届いた。執筆できた量はちょっと少ないほうだったが、それ以外問題はなかった。そして、真由喜と遊ぶ機会もあったので、楽しかった。今日は満足だった。

ブログを書く余裕はまだあまりないけれども。

書く時間はない

やはり、ブログを書くのには、時間が必要だ。今日実は言いたいことがあるが、ちょっと複雑なはなしで、話を整えるのにも時間がかかるし、日本語で書くのにはますます時間がかかる可能性があるので、もう遅くなったので今日できないよりほかならない。そして、今日の仕事も様々な事情の上最低限にとどまったので、急にブログの時間が取れなかった。短くしてしまう。

神道を知る講座III〜第10回

今日は今年の神道講座の最終回だったので、また渋谷に行ってきた。いつもの通り興味深かった。今回は近世・近代の神道思想をテーマとしたが、始めたところは明治時代の制度だった。あのころの神社行政の機関には思想を担当する部はなかったそうだが、西欧の思想を輸入する傾向は強かったという。神道の範囲でも見える。例として、神社の祭りを挙げた。一般には記念祭、新なめ祭、例祭が定められたという。例祭は、毎年同じ日にすることにしたが、それは西欧の思想の影響だった。江戸時代以前「一月の初卯」などの規則の上、日にちが毎年異なったそうだ。そして、改暦の時記念祭などが季節と比べたら一ヶ月早くなってしまったようだ。例えば、新なめ祭は、もともと年の一番短い日のころに行われたが、改暦後11月23日になったそうだ。(だが、これはもともと十月だったと聞いたことがあるような気がするので、聞き取れなかったかもしれない。)七夕の天気も、織姫に対する厳しくなったようだ。

さて、西欧思想と異なる思想があったようだが、それは何だったのだろうという質問に移った。それは、いわゆる国学者が探ったことだったそうだ。国学は、最初のころ、文学の勉強だったようだ。万葉集の歌の意味を探って、古典の仮名遣いが分かったら、不明な意味を明らかにした。そして、一番有名になった本居宣長が同じ方法で古事記を解いた上、日本の古代の思想を明らかにしたという。

そして、坂本先生がこの思想の内容を説明しようとした。キリスト教の神学と比べたら、細かくはないし、中国の儒教などと比べたら、規則は少ないという。日本の思想の基礎には、皆それぞれ自分の考えがあると言って、毎日無事に生けると言う。それは、簡単に見えるが、実は奥深いと言う。このように講座でよく言われるので、本当に神道には正統はないようだ。敬神思想と言えるかもしれないが、具体的に「敬神というのは、なんだろう」と尋ねたら、答は自分の心によってだと言えるようだ。祭祀や神事には定かな形があるが、理念とか倫理などには、定かな考えはないようだ。大事な概念があるのは確かだ。今日も挙げた例として、正直な心。祭に秘めている感謝の心。自然との共存もよく挙げられるが、今日言われなかった。なんでもいいとは言えないが、数百年前に執行された規則に縛られない。それは、坂本先生が言ったことだ。神道の思想は、縛らない思想で、縛れないしそうだ、と。

神道が好きということの理由の一つは、これだ。

ベッドメリー

今日真由喜がベッドメリーを長い間(20分以上)じっと見た。楽しそうな顔で笑ったりしたので、本当に赤ちゃんっぽかった。でも、もう飽きてしまって、泣き出した。だから、もうすぐブログを置いてゆり子を手伝いに行く。だが、真由喜は本当に可愛かった。いつも可愛いね。