政治家の批判

政治家を批判する人は多いだろう。特に記者が目立つが、少なくとも欧米で一般人も居酒屋などで政治家を激しく責める。日本も同じであろう。だが、最近私がちょっと遠慮してきた。

Ars Magicaの管理者として決断権力があるが、反対の意見を持つファンもある。だから、批判される。ほとんどの批判する人は、よりいい方法が勧められない。ただ、私がやったことは好ましくないので批判する。政治家の同じような立場にいるのであろう。

社会の問題は複雑で、重層で、相乗効果もある。一つを解決するのは難しい。例えば、日本の年金記録漏れ問題を挙げよう。確かにあるまじき問題だが、今日の政治家にできることは少ないだろう。記録をなるべく早く直そうとするしかないが、それをする為には財政が必要だ。政府には基本的には財産はないが、税金で得るお金しかないのである。だから、一つの問題を解決するには、他の問題を放棄するのが必要となってしまう。

長期的な問題を考えれば、環境問題と高齢社会問題には対立的な要素があると言える。環境問題を解決するために人口を減らすのが必要と言えるが、高齢社会を防ぐ為に人口を増やすほかならないと考えられる。両方は深刻な問題だから、どうしたらいいだろう。

権力のない人は、何を言っても世界には影響はあまりないので、間違えてもばれない可能性は高い。政権が間違えたらすぐにばれてしまう。だから、批判する資格のない人がよく批判すると私が思う。ほとんどの政治家は、泥棒でもないし、自分の威力のために働くわけもないので、難しい問題と挑戦する人として考えたほうがいいと思う。

政治家を批判するために、一つの政策を否定する気分より、纏めた国を指導する方針が必要だと思う。それはなければ、異論を発表してもいいが、政治家を批判するのは過言だと思う。


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