前もって交換ミスの注意する。洗濯の自由も自由主義の当然な結果だが、重大なのは選択の自由だ。このミスは私によくあるミスだから、予めご了解ください。
さて、選択の自由。ある意味でこれは自由主義の基本だが、他の課題と取り組まないと具体的に分からないことだ。自由主義は、選択肢といえば、多ければ多いほどいいと思う立場より、選択肢をできるだけ広げる方針を指すと思う。前に述べたことは、するべきではないことまで選択肢を広げるべきだが、制限がある。制限をどこに置くかは、前の記事の話題になった。
だが、制限の内にも社会構成を自由主義によって築いたほうがいいと思う。本当に選択できるには、禁止する法律はないことは足りない。するか死ぬかというのは、本当の選択とはいえないのではないだろうか。そう思ったら、許すべき生活の中から何を選んでも、衣食住が賄えるのは必要だとの結果がある。要するに人が仕事しなくても最低限な生活に必要な財源を与えるべきである。最近これは自由主義の一部としてあまり挙げられていないが、古代ギリシアに遡ったら、生きるために働くのは必要であれば、本当に自由にならないと強調した哲学者は多い。定めた結論だったが、実は本当にそうだ。仕事したほうがいい理由に後で戻りたいと思うが、自由を保つために仕事しなくてもいい社会構成を築くのは不可欠だと思う。
もう一つの構成の側面は、いつでも選択できるようにすることだ。ちょっと前に「破壊の梯子」との記事で述べたが、高校でサボるばかりにしても、後で卒業資格を得て大学に進んで、いい職業に入れる社会構成は必要だと思う。即ち一回失敗しても、もう一度頑張って成功できる構成はいいと述べたいのである。極端の例として、生まれながら選択できないことをなるべく縮小するべきだ。歴してきにある例として、政権を貴族生まれの人に限るのは自由主義を侵す。だが、女性禁止の制度のこの例だし、実は天皇は天皇家で生まれないといけないことも例の一つだ。
天皇の例は、問題を思わせるかもしれない。社会構成を如何に自由にしても、生まれながら無理な選択肢が残る、天皇の場合は、天皇は一人しかいない。それは「天皇」の意味に含まれているので、数を増やしたら意味はない。だから、選挙などにしても、なれない人は圧倒的に多い。現実的な理由として、総理大臣になれるは、40年間には20人以下だろう。一億人以上の日本は、なりたい人に限っても、なれないのは普通だ。そして、私は如何にも日本生まれの日本人になりたかったら、できない。もうイギリスで生まれ育てだからだね。
だから、問題点を大まかにふたつに分けられると思う。一つは、物理的に、論理的に無理なことだ。身長3メートルになりたくても、できないし、生まれたら、生まれた場所は変えられない。これは仕方がないだろう。ただ、他の選択肢になるべく影響を与えないようにしたほうがいい。だから、アメリカの大統領の条件の一つ、即ち生まれながらのアメリカ人に限られたことは、自由主義を侵す条件だ。これも、もう一度頑張れるようになる理想と繋がっている。過去に何をしても、これから何の目標を目指しても可能とするのは理想だ。
もう一つは、日本の総理大臣のようにできる人数は本当に少ない場合だ。これも仕方がないが、だれでも頑張れるようにしたほうがいい。私は、芥川賞を受ける可能性はないと言ってもいいけれども、執筆に頑張れる。オリンピック選手になる可能性はないが、訓練はできる。
これも複雑になる。なぜなら、最初に許すべきと述べたのは、自由に利益を与えることだった。特に自分の家族に利益を与えるのは許すべきだ。そうすると、生まれながら受けられない人がいるのは当然だ。自由主義の中にも矛盾があるのは、哲学を実現としようなら必ずあることだから、これも仕方がない。具体的な例を考える時に判断したほうがいいと思う。
だから、自由主義の方針は、誰にもいつでも広い選択肢を与えることだ。