自由主義〜宗教と性的な行為

今回ちょっと異なる話題について書きたいと思う。だが、大事な共通点がある故に書くことにした。それは、普段に宗教も性的な行為も自由主義の中で特別な扱いの対象になるということだ。確かに特別扱いは極端的なのだ。

宗教は、指定され自由にされる場合は多い。「宗教の自由」は、日本国憲法にもあるし、アメリカの憲法にもある。そして、自由主義を論じる人は、ほとんど宗教の自由を保つのは重大だと述べる。私はちょっと違う。宗教は、もう確保された自由で十分守られたと思う。表現の自由で布教が可能になるし、利益を与える自由で宗教の構造も守られる。確かに「地獄で苦しむよ」のような迫る布教は違法になるかもしれない。しかし、許すべきはない行為を許さない方針が固めたい。如何に宗教の名前を纏っても、許せない行為を許さない。普通の自由主義に確保された範囲が足りなければ、それは宗教の問題とする。もう自由をなるべく広げる方針だから、ほとんどの宗教には問題はないと思う。

そして、性的な行為。これは、普段は特に縛れる。私は他の行為と同じく扱いたいのだ。他の人に利益を与えてもいいし、自分に損害を与えてもいいし、表現も自由だから、禁止することは少ない。しないほうがいいこともするべきではない行為があるが、何回も述べたように自由主義は、するべきではない行為を許す方針だ。性的に侵すのは、まだ禁止できるのはいうまでもないだろう。それは、強制的に人に損害を与える行為だから、禁止できる範囲に明らかに入る。

つまり、宗教も、性的な行為も、普通の他の行為と全く同じように扱いたいのである。


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