自由主義〜子供の問題

子供は、自由主義の立場から考えたら、問題だ。実は、ふたつの問題になる。

比較的に簡単な問題は、幼い子供を自由にするわけにはいかないことだ。赤ちゃんを自由にしたら、死ぬ。「さぁ、コンセントを食べよう!」と思ったり、「道路の真ん中で遊ぼう」と思ったりすることは多いからだ。そして、学校に行きたくない子供は多いが、学校に通わないと、将来が暗くなるので、強制的に通わせるのは必要だ。この問題は、成人の年齢を設定することで解決できると思う。ただ、一つの成人年齢は単純過ぎるだろう。ほとんどの国では、ちょっと分かれている。例えば、就職するのは、日本で十五歳からだが、お金を借りるなどは二十歳からだ。年齢について理論できると思うが、基本的にこの方針はいいと思う。言った通り、比較的に簡単な問題だ。

もう一つの問題は、子育ての問題だ。子育ての方法を選ぶのは、親の自由の重大な点だが、子供は親と別な人間だし、上に述べた通り自分で決められない。政府は、どのぐらい親子の間に関与すべきかは問題だ。幼児虐待を防ぐのはいうまでもないが、「幼児虐待」というのは、何だろう。明らかな例はあるが、「子供に損害を与える」と定めたら、宗教的な教育を禁止することになる。なぜなら、宗教には嘘はたくさんあるが、嘘を本当として教えるのは損害になることだ。これを禁止するのは、政府は必ず正しいという強調だから、避けたいと思う。そして、幼いころからスポーツに専念すれば、芸能界に入れば、後で肉体的に、精神的に問題になると言われるが、禁止すべきのだろうか。

子供を守りたいし、できるだけ親にも自由を与えたいので、慎重に考えたほうがいい。先ず親が教育を独占するのを禁止すべきだと思う。選択の自由を保つために大人になってからも普段の教育が受けられることになることはもう決めたので、子供のころに他の意見や生活の存在が知ったら、大人になって自分で決められると思う。これは、親は、教えないほうがいいことは子供に無理矢理教えることになるが、それは仕方がないと思う。一方、親の自由を保つために国も教育を独占しないほうがいい。そして、教育の最低限を強いてもいいかもしれない。ただ、これは内容より方法を中心にしたほうがいい。文字を教えるのは義務付けにしてもいいが、国史を教えるのは、義務付けないほうがいい。なぜなら、内容まで指定したら、国の方針のために子供を利用ことになりがちだからだ。

だが、親が子供にダンスをさせたり、囲碁をさせたり、数学をさせたりする行為をどうしよう。たぶん、ここで「大人になったら、自分で別な道が選べる限り、許す」方針がいいだろう。だから、ほとんどの人が子供の時代が無駄になったと思っても、親の方針を許したほうがいい。宗教的な環境で育てるのは、よくこの範疇に入ると思う。同じように芸能界を目指す親もこの例になるだろう。最適な育て方と思えないが、自由主義は、そういうことを許す方針だ。ただ、子供のひどい障害になる生活を禁止すべきだ。子供のころ毎日数時間ピアノの練習しても、文字などは大丈夫なら大人になったら数学者に転職できるだろう。

そして、この範囲にも子供に自由を段々与えたほうがいい。例えば、十二歳から親が反対しても公立中学校に通えることなどしたほうがいいのではないか。確かに子供がどれほど親の影響から抜き出られるのは問題だ。しかし、社会的に可能性を認めたら、親の行為に抑制になるだろう。子供もそのころ積極的に参加したかったら、許すべきだ。顧みると、私の十代には無駄になった時期は少なくないが、それは仕方がない。

明らかにするために、暴力は、普通の法律によって禁止される。それは、厳しく守って欲しいのである。暴力なしに子供が育てられなかったら、もう親としての失格だ。