中世社会の構造

日本史講座の四巻だが、社会史の視角を取って鎌倉時代から室町時代までの時期を語る本だ。今回、二つの章は特に興味深かった。

先ず室町時代の寄合文化についての章は、階級を問わずに開かれた寄合ではなかったと強調した。イメージは連歌や茶道は、階級ではなく、興味や才能によって決まったことだが、分析したら寄合が階級ごとに分けられたようだ。だが、連歌や茶の湯の会を開こうとしたら、当然ながら知り合いを誘うだろう。そして、階級社会に住んだら、知り合いは殆ど自分の階級の人に限られると言えるのではないか。その上、下級な人が高級な人を誘っても、高級の人が参加する筈はないだろう。逆に下級な人が参加するが、仲間入りになる可能性は少ない。実はこの章でも下級な人が高級な連歌会に誘われた例が記されているので、もう少し分析したほうがいいかと思う。階級社会の中で連歌界が完全に平等になるわけはないので、一般社会より平等なら、連歌界の理想を語る事実として捉えられるのではないか。

そして、神仏についての章もあった。この章の強調は、近世の前に神道は独立した宗教ではなかったことだった。特に吉田神道は独立神道ではなかったと述べる。私は、ちょっと疑問を抱える。独立していなかった証拠として、神様と仏様の一体論はずっと維持されたことを挙げるし、反本地垂迹説は、即ち神様は本来の存在で、仏は神様の化身だとの説は、まだ神道は仏教の中にいたことを示すという。確かに近代のように神仏分離はなかったが、独立した仏教はなかったとも言えるのではないか。(念仏を置いておこう。)

さらに天台宗や真言宗は、仏教の影響を受けた神道としても受けられるだろう。つまり、基本的に仏教として受け入れなくてもいいだろう。その考え方を否定する為に仏の基本的な役割に依ったら、吉田神道を神道と呼ばないと行けないだろう。国家神道と全く同じ宗教は中世にはなかったのは確かだが、びっくりするほどはない。なぜなら、国家神道は明治維新の時に国家を支える為に作られた宗教だったからだ。だが、国家神道の素材として千年前から伝承されてきた神道と言える祭式などが使われたのは否めるだろうか。私はそう思わない。単純に作り話だったら、効果はないはずだし、史料を見たら国家神道の要素を古代、中世、近世からも見出せる。神道という一体化された宗教はなかっただろうが、仏教という一体化された宗教もなかった。仏教の宗は「仏教」として包含されたと同じように、神道の流派は「神祇」として包含された。

五世紀以下日本で神道なしに仏教の歴史も語れないし、仏教なしに神道の歴史も語れないことは事実だと思う。明治維新以降の範疇を押さえるのをちょっと避けたほうがいいけれども、現在の神道に流れ込んだ伝承もある、現在の神道から排除された伝承もある。仏教も同じだ。だから、「中世には神道はなかった」と言えば、同じように「中世には仏教はなかった」と言える。現在のままの宗教はなかったが、現在まで流れてきた宗教は確かにあった。神道にせよ、仏教にせよ、中世には歴史的な変貌が見えると述べたいのである。