経済力と幸せ

自由主義から課題を転じたいと思う。自由主義は社会の基礎だが、基礎だけは建物ではないのように、自由主義だけで社会が構えない。社会は多元的だと思うので、社会構成の理想も複合的なはずだ。とはいえ、重大な指針は人の幸せなのは否めないだろう。国民は皆幸せだからといって社会は理想的だとは限らないかもしれないが、幸せではない人は多いなら、社会はまだ理想から離れているとは言えるだろう。人の幸せを犠牲することは、慎重に考えたほうがいい。

どういう状況の中で人間が幸せになるかという課題について最近研究が活発になったが、発見された事実の大部分は思った通りだ。例えば、友達がいれば幸せになる傾向は強いとか、重病を背負ったら幸せの程度が衰えるなどのだれでも分かることも確認できた。だが、ちょっと意外なことも発見された。重病のことだが、長い間同じ重病を背負ったら、時間が経ったら病気になる前とほぼ同じ幸せに戻る場合は多いようだ。

もう一つの、重要な発見は、お金と幸せの関係についての発見だ。「お金から幸せが発生しない」と言われているが、殆どの人は信じないようだ。実は半分事実半分嘘のことだそうだ。或る基準まで持っているお金が増えたら、次第に幸せになる。その基準を超えたら、いかにお金を手に入れても幸せのレベルはあまり変わらないようだ。基準は、社会によって異なるが、日本なら一つの家庭には年収は400万円ぐらいだと言えるだろう。(実は、アメリカの数値しか見たことはないので、ちょっと推測した。)

社会構成への影響は、経済成長を一番重んじる必要はないことからくるだろう。要するに経済が縮小しても幸せのレベルが変わらない場合もあるので、経済の数値から目を離れて、直接に幸せや幸せの原因を見たほうがいい。途上国の場合、幸せの条件を見たら、経済力を伸ばすのは必要なのはすぐ分かるだろう。例の基準を下回る人は殆どだから、経済に気をつけるべきだ。一方、日本の場合基準を超える家庭は大部分だから、経済力より他の問題に集中したほうがいいだろう。経済力より生活に効くからだ。

つまり方針が経済に悪い影響を与えるからといって避けた方がいいとは限らないのである。慎重に考えるのはひつようだし、経済力を伸ばすのは悪くないのは認められるが、それはともかく経済の優先順位は一ではない。だから、この立場から社会のことが考えたいと思う。


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