神道を知る講座IV〜第三回

今日は国学院での講座だったが、今日のテーマは伊勢神道の前期だった。教授は中西先生だったが、一昨年も授業を行った先生なのような気がする。さて、講座の内容を紹介しよう。

伊勢神道というのは、鎌倉時代に始まった神道の種類だが、名前から分かるように伊勢の神宮と深く関わっている。だが、皇大神宮の内宮ではなく、外宮の神職の度会しによって提唱されたそうだし、別名は度会神道だ。始祖は、1236年に生まれた度会行忠だったそうだ。外宮の禰宜として仕えて、死ぬ前にトップの一禰宜に達成したが、様々な書物を著わしたようだ。その内、三つはいわゆる神道の三部書の「御鎮座伝記」、「御鎮座本記」、「御鎮座次第記」は一番影響があったようだ。この書物は、神宮の禰宜ではないと、更に60歳を越えないと、見ることは許されないという。だが、伊勢神道の説教などを通して、神宮の若手禰宜はもちろん、俗にも内容が伝わったようだ。

この時期の伊勢神道の重大な点は、外宮の神の豊受大神は、別名は天御中主神も国常立神もあったことだった。つまり、外宮の神は、内宮の天照大神に古事記で先立つ神様だとの強調だった。この八百年前の時代に内宮と外宮が対立したようだが、これはその拮抗の顕在化だといえるだろう。

次は、度会常昌だった。常昌は24年間一禰宜のトップを勤めたが、その間御伊勢参りの規定を定めた。それは、心身の浄化を進めるための規定で、神宮に参拝する人を対象にしたという。道で穢を避けながら伊勢に近づくことと、伊勢で或る行動や言葉を避けることもあったようだ。その上当時の天皇に祓えの言葉の集を献上したようだ。当時の祝詞はいつも同じことばではなかったので、収集して献上したというが、これは伊勢神道の強化の始まりと言えるのではないかという。常昌も鎌倉時代の事物で、亡くなったのは1339年だそうだが、伝承によると外宮に近い山の上から天に上がったそうだ。

最後の重要人物は度会家行という人だった。家行は、鎌倉・南北朝時代に活躍したが、生没年は未詳だそうだ。家行は北畠親房と近い関係を持って、外宮の神職が直接的に戦に参加したようだ。家行が伊勢神道の伝承を収集して、書物を著わした。この中で伊勢神道の中心となる概念を説明したが、それは清浄と正直だったと言う。当時の戦乱の中で神宮の境内にさえ遺骨がよく発見されたようだから、穢れを清めるためのことを真剣に考えるのは当然だろう。

最後に紹介されたのは事物ではなく、書物だった。それは「倭姫命世記」だった。倭姫命は、ご存知の通り、垂仁天皇の皇女で天照大神に授けられた鏡を伊勢まで遷した人物だったので、神宮の歴史の中に重大な役割を担う。この書物は、行忠に編纂されたようだが、中には古い文章が散在残っているそうだから、古代の伊勢の神話も窺えるようだ。例えば、豊受大神が丹波国の吉佐宮から遷った時、井戸も一緒に持ってきたという話があって、外宮で今もその井戸が残るという。

今回の講座には内容がたくさん入っていたので、満足だ。むしろ、すべては覚えられないほど多かった。次回を楽しみにしている。


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