今日は、岡田先生の吉田神道の後半だった。吉田神道の影響で、神道がかなり変質したようだ。主に公から私的に転じたようだ。
古代には、神道というのは、神職というのは、主に共同体の祭祀を行ったようだ。個人的な神道が存在したかもしれないが、記録は一切ないという。平安時代に入ったら、神道色がある個人的な神事などが見えるが、行うのは、神職ではなく、陰陽師や山伏や僧侶だそうだ。確かに神職との区別が難しくなる場合もあるが、兼務として神社で奉仕した人も神職として個人的な神事を行わなかったそうだ。
特に葬式は、神職が関与しないというより、死の穢れを強く忌んで、親の死ぬ瞬間さえ避けたという。葬式があったら、神職が列席しなかったそうだ。吉田家でも吉田兼倶から数代遡ったら葬式は僧侶に行われて、神職の親戚が避けたようだ。だが、兼倶の時代から神道の葬式が始まったという。実は、吉田神社の境内に兼倶を祭る神社があって、それは兼倶の遺体の上に建てられたそうだ。この影響から豊富秀吉も徳川家康も死後神格化されたそうだ。家康は、まず久能山に葬られて、吉田神道の儀式を受けたそうだが、その後山王神道の僧侶の促進で日光に改葬されたそうだ。
講義で岡田先生が19世紀初頭の神道葬式の絵巻を紹介した。それは、数年前に岡田先生が見つけたもので、死体の絵が描かれたものを見て気分が奇妙になったと言った。葬式を研究したときに、同時に御祓えも研究したそうだが、寝る前に必ず御祓えの研究したそうだ。葬式の研究の直後に安心して寝ることは出来なかったと言う。
さて、葬式には東枕で死体を置いて、最初の儀式が行われたそうだ。仏教の葬式なら、西枕だそうだから、この些細なことから区別をつけることにしたようだ。埋葬で、まず葬る土地で地鎮祭を行って、そして行列で神輿のようなものに入れた棺のなかの死体を葬る場所まで運んだそうだ。葬ったら、上に榊を植えたそうだから、樹木葬になったという。これは最近ヨーロッパで人気になったようだが、神道とは無関係だそうだ。
では、最後に紹介してくれたのは、吉田兼倶の一番好きな言葉だった。それは、「慎みて怠ることなかれ」という表現だった。記紀神話から発生して、神道の歴史に散見できる表現だが、兼倶には特に重大だったようだ。具体的な意味を教えてくれなかったが、それは秘伝だろう。
では、これから夏休みが始まるので、次回は十月だ。